人が死ぬ時ってどんな時か問われて、『人から忘れられた時だよ』
っていうフレーズをなんとなく思い出しながら
人が駄目になる時ってのはどんなかなと考えて
『楽な方向に身を委ねてしまう時』かな、と今までの自分を振り返って思ってみました。
最悪な状況を打開していく術は、人によって様々だと思うけれど
やはりというべきか、結果の善し悪しを決めるのは、「信念があった選択だったか」だと思います。
なんとなく決めたことや、逃げの姿勢からの選択では、後々、どの道尻拭いをしなくてはならなかったり、取り返すのにもの凄く時間を要したりする。
そんな経験を誰もがしているのかもって思うけど。
後輩のそんな姿を見ていると、密かに応援したくなったり、ダークサイドに堕ちる意味だとか周りの理解の範囲を考えてしまいます。
今回は、そこより自分のことで。
求めていたものが手に入ったり、現状維持で在る程度幸福で在る場合、そこに留まって向上しようとしないだらし無さは一般的な男には付き物だと思う。
奢りだとか、自信過剰だとか。
仕事して、疲れたから何もせず横になって明日に備える。
昔の自分なら、もっと楽しいことを探すパワーだとか運動して精神状態をより良い状態にするべくつべこべ考えずに動いたりした。
何が言いたいかって、人が歳を取る時ってどんな時か考えたんです。
それで至った結論は『求めなくなった時』に人は歳を取る。
より良い自分。
もっと良い場所。
より素晴らしいパートナー。
もっと高みへ。
そして楽しい時間。
色んな欲求を満たすためには、やはり自ら動く爆発力が大切だと最近強く思うようになってきた。
自堕落なことに気付きもしない生活を送ってれば、現状維持か若しくは降下の一途。
そういった一種の爆発力をもった感情を思い起こして、何をやるからって歳は関係ない。
遅すぎるってことはないって想いで活動するべきだと最近強く思う。
というか、そういう感情が今の自分には少し足りないかなと思ったりしてます。
つまり、本格的に痩せたい!って想い。笑
頭を使えば使うほど
身体を使えば使うほど
調子は良くなると知ってる。
だらけた時間が長いほど、次動き出す時に必要になるパワーは半端じゃない。
だから、よく頭を使って、身体を使って、若さとパワーを取り戻したい。
新しいことにチャレンジしたいなと思ふ最近。
どんな環境でも起爆剤に着火出来るフットワークの軽さを身に纏っていたいもの。
勉強しよっと!
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