2014年7月2日水曜日

わっためがした。

こんばんわ。


このBlogを読んできた皆様。

本日を持って、本Blogわっためがすを閉鎖することをお知らせします。



今までの自分の気持ちや想いに区切りを付けるべく、このBlogの閉鎖は必要なことなので。
人の決意というのは、中途半端な気持ちではいけないと思うのです。

選択は慎重に、されど決意は堅固に。
それがこのわっためがすBlogで学んだことです。

勝手に始まって勝手に終わる、最初から最後までわっためがしたBlogになりましたが、今まで一度でもこのBlogを読んでくれた皆様、本当にありがとうございます。

そして、さようなら。

もう会うこともないでしょう。

皆様の人生に、幸多からんことを。

2014年6月22日日曜日

G-SHOCK!

白いG-SHOCKをGETしました。



腕時計はあまりする方ではなく、左手にはもっぱら愛機FUELBANDがここ二年程巻き付けられておりました。

がしかし、ここに来て欲しいと思える腕時計が出現。

それが、白いG-SHOCK。
どのモデルが良いとかは特になく、取りあえず白いG-SHOCKを巻きたい!
ただそういう願望が湧き出ておりました。

きっかけはきっと、尊敬する映像クリエイターのCASEY NEISTAT。







自分が目指すとこを地でいってる彼が大好き。

自分がこのように生きたいと思うことを実現している彼を尊敬しています。


で、いつも右手に巻いている白いG-SHOCK。
まるで、そのアクティビティや行動力、発想、自由を表現しているかのような白いG-SHOCK。
決して真似しているわけではありませんが。笑

白いG-SHOCKには実はちょっとした思い入れもありまして、腕時計はそんなに欲しかったわけではありませんが、プライベートでのきっかけもありまして、一気に2個GETするまでに至ったわけであります。

モデルはCASEYとは違うけど、なんかG-SHOCKって集めたくなるような魔力を秘めていると思いますw



海外では今空前のG-SHOCKブームらしいですしね♪


意識してたわけではありませんが、流行に乗っかったわけであります。


G-SHOCKを持つ時って、なぜか今まで色んな経緯があったりと、不思議な縁を感じたりしています。
そのカジュアルさであったり、「物」として自分の周りに存在している時のなんとなく愛着湧く感覚であったりと、自分の中の腕時計というカテゴリーの中で、G-SHOCKは少し特別です。

なんとなく、子供の頃の感覚を思い出すような。


いつも一緒に冒険のお供だった自転車のような。



これからも宜しく、白いG-SHOCK。


次にG-SHOCKを買う時は、スカイコックピットモデルが欲しいな!




2014年6月17日火曜日

手を引いて。

最近、ハマってる写真の撮り方がありまして。
写真家は色んな表現をするけれど、今までこれ良いなってゆー撮り方に出会ったことがなくて。
それが最近、凄く良い発見をして。
撮り溜まってきたのでUP します。

素敵な写真を撮ることって、楽しい
新しい表現の場を得たみたいで、楽しいです。
では。









         

2014年6月16日月曜日

勝利の笑みを 君と。

ワールドカップが始まりましたね!

スポーツ観戦はそんなに夢中になりはしないけど、その熱量や選手達のモチベーションやそこから得るものには凄く関心があります。

どうやって乗り越えるんだ?
その心意気や勝利を手にする為の心構えは、いつだって自分の求めるところだったりして。
それを知った時は自分の暮らしにもなんとか活かすことが出来ないだろうかって、模索しつつ応援してます。


こういったスポーツの祭典は、心が盛り上がって好きです。


近頃は、妙に器用に生きてたりして、そんなに上を目指さなくなったりしていて。
「まぁ別にいいか」なんて熱量の少ない自分にも慣れちゃったりしていて。

でも、そんな時、こういうイベントに感化されて気持ちを高めるのも悪くないなって思います。



なんで乗り越えるんだ?


って思う時、シンプルな答えが在るほど、良いと思います。


『誰かと心から笑い合えるように』
そんな根本にあるものがいつだって湧き出てこれば楽しいだろう。



高い壁も、どんな相手であっても、乗り越えた時の楽しい瞬間のために。


そんなことを唄ってるウカスカジーの楽曲がとっても良いです♪


職場でワールドカップの日本の勝敗について賭けたりしていて。
ギリシャに勝つか負けるか。

勝利の笑みを
摑み取ることが出来るだろうか。
ウキウキdays。





2014年6月3日火曜日

WWDC2014。

今年もこの時期がやってきましたね。
ワールドワイドディベロッパーズカンファレンス!

Appleの発表会でございます。



今回はiOSとOSXのアップデートが主体でした♪

毎年、iOSにせよ、OSXにせよ、心ときめくようなアップデートがされるので、ユーザーとしては本当に楽しいのひとこと。

日本ではiPhoneや新製品が発表されないと肩すかし的な記事をよく見ますが、各種アップデートの意味がライトユーザーには浸透するのが遅いから、いまいちインパクトに欠けるんでしょうか。

よく、部屋を片付けたり、模様替えをしてる時などは思ったりします。
『今、自分の部屋のアップデートが始まってる』
みたいなw

そう、見た目や機能、趣向など、OSのアップデートやリニューアルされたデザイン。
これらは、正にパーソナルスペースがリニューアルされるのと同じことだと思ってます。

部屋の飾り付けや色模様。
テイスト、配置。

自分の部屋がかっこ良くなったり奇麗になったりすれば、誰だってときめくでしょう?
そういうことだと思います。笑


個人的には今回のOSXヨセミテは、今までのMacOSの中でもデザインが一番好き。

もともとフラットデザイン肯定派なので尚更。


機能も今回は特に不満なしです。
見事にiOSとの連携が成されている。

早くMacで電話を取ってみたい。
そして、Siriも『へいSiri』で起動させてみたい。笑
待望のヘルスアプリも発表されたし!名前忘れたけど。

今年の秋は、
iPhone6とか噂のウェアラブルデバイスが発表されるのだろうか!

WWDC2014を現在観ながらこの記事を書いている。

参加者の歓声が凄くテンション上げる。
まるで祭り。


AppleのSE達。
彼らは自分にとって、自分の部屋を彩り美しく楽しく飾ってくれる、魔法の様な存在。
楽しくハイセンス、そして快適な暮らしを。


楽しい冬を過ごせそうです。

ウキウキ。

2014年5月28日水曜日

オッドトーマス。

①オッドトーマスという映画を観た。

久しぶりに無意識に泣けた映画だった。

「愛する人を失う」ってのがテーマなんじゃないかって気がして、とてつもなくグッとくるものがあった。


時間があっという間に過ぎてしまって、シーンのひとつひとつに迫真があったことが伺える。
そしてヒロインのアディソンティムリンの既視感さえ覚えるような美しさっぷりと言ったらもう。
この映画に言うことはないでそん!

…ないでしょう。

良いなぁ、良い映画だったなぁ。



②エンダーのゲームという映画を観た。

久しぶりにラストに衝撃を受けた。
「っえぇーー!」

みたいな。

そこに関しては、もっかい衝撃受けたくて、二度見。
そんでもっかい

「っえぇーー!」

ってなった。


ストーリー的にも大好き。
記憶に残る作品となりました。





ここ最近、面白い映画に出会えている気がする。
なんか今シーズンの映画は、関心の高いものばかり。
残すは夏のアメリカ版「ゴジラ」のみ。


自分てSFものが好きなんだなって、最近凄く実感する。


アクションも、グラフィックも。
暴力的なカットだとか、ダイナミックな映像が観たいのではなくて
恐らく、アクションをしている人間やダイナミックな映像の中にある、『迫真』の部分に何か感じ取るものがあるのだろう。

そのシーンでなくて、その背景にある【感情】や【心理】。
日常に置いてきたものがその時だけ振動するかのような感覚。


そこはかとなく真に迫る一瞬を観た時に、掌がグッとなって自分の感情が一瞬だけその瞬間とリンクする。
そんな時間が楽しいんだと思う。


なにはともあれ、ここまで書かせたオッドトーマスという映画に感謝したい。



愛する人を失うってのは、それは辛いことでしょう。
出来るなら、今後において経験したくないものだ。


2014年5月26日月曜日

妄想しながら煙草を吹かす。

長いことリーマンやってて、ここ最近つくづく思う。

自分勝手な人が多いよなって。


それが良いか悪いかは置いといて。
年齢がどうとかも置いといて。

博愛精神を培っていて、時に自己犠牲。
そんな人に自分も成りたいと望んではいるけど、端から見たら自分も勝手な人間なのだろう。
認められたいって気持ちが無い事無いし。


子供の頃、ほんと小学校低学年の時のことを思い出す。
給食の給仕の、自分よりも一年低学年の子達が、ご飯の大きな箱をひっくり返していたのを見て、自分がやったことにして、逃げなさいと言ったことを思い出したりする。
たまに。
その子達からはその後、師匠って言われたっけ。

自分がしたこと以上に、嬉しかったりした。
打算もなかったから尚更。

誰かが笑顔になれさえすれば、自分の些細な犠牲なんて苦にもならなかったあの気持ち。

なんで大人になったら見失ってしまうんだろう。



利害が自分の生活に与える影響が大きいからってのは大いにあるけれど、そんな時代だからこそ、そういった純粋な博愛の心が、人の心を打つってのも、少なからず思ったりしてる。


そういう人に、実はなれたらなって思ってるけど、自分だけそう思ったところで、周りの稚拙な利己主義な人たちに感化されたり、疲れ果てて怒りに負けてしまう時、ほんと自分も勝手な生き物だなと自覚してしまったりする。
まるで自分が良い人間だみたいな書き方だけど、そうではなくて。


本質は、悪い時に生まれる心だとも思うから。


結局自分はまだまだ未熟な精神性なんだと思う。


悔しいけど。



自分の置かれた立ち位置からちょっと離れたりすると、実はどうでも良いって思えることがほんとんどだったりして。
ほんとに大切なことはいつも、2つか3つ程度しかない。

何に怒りを覚えるかで、その人の本質が見えてくると思う。


自分はまだまだ、「我」の強いままだと思う。



毎日を静かな気持ちで過ごしたいと願うからこそ、無我の境地じゃないけど、何か悟ったような心持ちを開拓したいのだ。



つまり、怒りが湧かない精神を宿したいってことか。




もういろいろ、疲れた日記になります。



ふーっ


月夜に照らされながら煙草吹かしてる時が今いちばん幸せ。


妄想満月。



ほんと、いろいろ疲れた。