活発で、刺激的で、ユーモラスで、創造的で、精力的で、愉快で。
そんな楽しいひとときを過ごすのに必要なものは、「快活なコミュニケーション」であると、今更ながらに自覚した。
「自然体であること」と「快活なコミュニケーション」を繰り出すこと程、暮らしにおいて『豊かさ』を生み出す術においてbestなことはないんじゃないかって、もの凄く最近思う。
きっかけは職場だったりして。
対人関係において、当たり前のことではあるが
より良い人間関係を築けている人に対してと、そうではない人に対してとでは、
例えば対象が同じ失敗をしたら、確実に周りは前者に対してフォローかユーモア、最低でも指導またはアドバイスでコミュニケーションを図ったりする。
それが後者では、指導以上の叱責か、または事が済んでも人間関係に歪みを生んだり悪い噂となって対象の評価を落としたりする。
とても当たり前なことだと思うが、もし自分が前向きな精神の持ち主だと自負しているならば、そのことを発信して、より良いものを残す為にどうしたら良いかなど、周囲にも感化しながらお互いのことを知り合い、例えるなら石がぶつかり合って研磨し合うが如くよりシンプルで美しい形に物事が進んで行くと思う。
しかし、良いコミュニケーションを生んでいない場合、それは研磨でなくただ『破壊』。
どこまでぶつかれば良いのか、どの程度で壊れて、どの程度なら研磨されるのか。
心を閉ざして不貞るような人だったり、相手を思いやる心を見失ってる状態であれば、簡単なミスでも必要以上に悪く思われたりする。
最近は凄くそのことが顕著に身の回りで起こっているため、コミュケーションてこんなに大事なことなんだねって備忘録を兼ねて記録するに至った。
自然体な自分を知ってもらうためにコミュニケーションを図る。
それも積極的な視点で、そして快活に。
きっと心を閉ざす人は弱さから着込んで自然体をさらけ出せず、自分の思う方向に相手を促すためにダークになって、でも自然じゃないからどんどんダークになって。
コミュニケーションの取り方もわからなくなってふさぎ込んで。
そんな負のスパイラルから中々抜け出せずに独りで四苦八苦してるんじゃないだろうか。
自分もそんな気があったから、そんなふうに勝手に思ったりしてる。
「自然帯」と「コミュニケーション」。
きっとこの二つはお互いが相乗効果でより気持ちを高めていけるものだと思ってる。
コミュニケーションを取るからより良い人間関係が築けて、楽しいから自分をさらけ出すことが出来る。
そのお陰で自然体でいれるからより良いコミュニケーションが生まれる。
そんなスパイラルが生まれたらきっと楽しい。
自分の暮らしをシンプルに例えたり、「これをしよう」ってひとつずつ決めていくことって楽しいんだな。
そう思う今日この頃。
コミュニケーションに関して思うお話でした。
2014年3月15日土曜日
2014年3月5日水曜日
Natural。
ナチュラル
【意味】
・自然のままの
・生まれつきの
・天性の
・気取らないさま
・普段とかわらないさま
・飾らないさま
大変個人的な話なんだけど、自分が思う『人の魅力』について最近感じたことがあるので書いとこうと思う。
生まれてこの方、自分の対【ひと】における[好み]に関して、これだという把握をしたことがなかった。
ピンと来る言葉が無かったから、例えば好きな女性の[好み]を聞かれれば、なんとなく
「粋な人」、と応えていた。笑
ま、どうでも良い話なんですけど。
で、じゃ「粋」って何よと聞かれても、上手く答えることが出来ず。
自分がどう在りたいか、どんな人に魅力を感じて、どんな人を自分は目指すのか。
具体的な指針など無いし、人に出会うことで手本にしていくのかなぁと漠然と思ってきたけど、こないだ自分が何に魅力を感じるのかを知るキッカケがあったので書いとく。
冒頭にも書いてるけど、「自然体」な人に一番魅力を感じていることに気がついた。
飾らない、気取らない、混ざり気の無い生粋なさま。
つまり、「粋」。笑
大好きなミスチルの桜井氏や、今まで好きになった人。
皆ナチュラル。
大好きな祖母も。笑
ナチュラル故に、生まれ持った強さを他人が感じ取る。
そこに安心するし、揺るぎないものを感じ取る。
だって、もともと自然なわけだから。
素直って言っても良いね。
弱さを認める強さや、他人を安心させること。
三つ子の魂百まで、と言うけれど、幼い頃に築き上げた他人からこう見られたいという自己評価。
それが高かった人ほど、理想に遠い自分を見た時に精神のバランスが崩れてしまったり。
だからこそ、他人の評価だとか、ある意味『自己』にとらわれない自己を持った、自然のままの人が、凄く魅力を放って見えるんだと勝手に思う。
弱さや自信の無さが自分を飾り付け、強さや魅力から程遠いものに自分を仕立てる。
強いから自然体なのではなくて、自然体だからこそそこに拘らない揺るぎないものになるのだと思う。
だから、強く見えるし、魅力的に映る。
気がする。。
表現し辛いし、読む人も鬱陶しいかもしれませんが…
趣味や好みや目標や性格。
その全ての裏付けが、取れた気がして。
バラバラに散らばった何かに、規則性を見つけた時の嬉しさを感じ取ったような気がした。
自分がどうすれば一番ナチュラルでいられるのか。
頭で考えるというよりは感じ取るってのが近いけど、そういう状態を覚えておくと、何かここ一番て時に強みになると思った。
視界も、見え方も、今までとはまた違ったものが広がる系。
長年探してたものだと思う。
目指してたものは、実は最初から備わってた的な。
弱さゆえに着込み続けて、どんどん視えなくなってたけれども、実は誰もが見失ってるだけで。
いつも感じてた『違和感』の正体は、そういうことだったのかもしれない。
やっぱ、心って不思議。
最初から答えは自分が握ってて、答えを握ってるからこそ、道を踏み違えた時に『違和感』として警告したり、精神的な病気みたいな形となって現れてくる。
やっぱ、心の奥から聞こえてくる些細な声に、耳を傾けることって大事なんだなと思う。
出来るだけ心静かに。
自分の中の一番自然な部分はどこか、いつもそこに居座り続けたい。笑
そんなお話でした。
【意味】
・自然のままの
・生まれつきの
・天性の
・気取らないさま
・普段とかわらないさま
・飾らないさま
大変個人的な話なんだけど、自分が思う『人の魅力』について最近感じたことがあるので書いとこうと思う。
生まれてこの方、自分の対【ひと】における[好み]に関して、これだという把握をしたことがなかった。
ピンと来る言葉が無かったから、例えば好きな女性の[好み]を聞かれれば、なんとなく
「粋な人」、と応えていた。笑
ま、どうでも良い話なんですけど。
で、じゃ「粋」って何よと聞かれても、上手く答えることが出来ず。
自分がどう在りたいか、どんな人に魅力を感じて、どんな人を自分は目指すのか。
具体的な指針など無いし、人に出会うことで手本にしていくのかなぁと漠然と思ってきたけど、こないだ自分が何に魅力を感じるのかを知るキッカケがあったので書いとく。
冒頭にも書いてるけど、「自然体」な人に一番魅力を感じていることに気がついた。
飾らない、気取らない、混ざり気の無い生粋なさま。
つまり、「粋」。笑
大好きなミスチルの桜井氏や、今まで好きになった人。
皆ナチュラル。
大好きな祖母も。笑
ナチュラル故に、生まれ持った強さを他人が感じ取る。
そこに安心するし、揺るぎないものを感じ取る。
だって、もともと自然なわけだから。
素直って言っても良いね。
弱さを認める強さや、他人を安心させること。
三つ子の魂百まで、と言うけれど、幼い頃に築き上げた他人からこう見られたいという自己評価。
それが高かった人ほど、理想に遠い自分を見た時に精神のバランスが崩れてしまったり。
だからこそ、他人の評価だとか、ある意味『自己』にとらわれない自己を持った、自然のままの人が、凄く魅力を放って見えるんだと勝手に思う。
弱さや自信の無さが自分を飾り付け、強さや魅力から程遠いものに自分を仕立てる。
強いから自然体なのではなくて、自然体だからこそそこに拘らない揺るぎないものになるのだと思う。
だから、強く見えるし、魅力的に映る。
気がする。。
表現し辛いし、読む人も鬱陶しいかもしれませんが…
趣味や好みや目標や性格。
その全ての裏付けが、取れた気がして。
バラバラに散らばった何かに、規則性を見つけた時の嬉しさを感じ取ったような気がした。
自分がどうすれば一番ナチュラルでいられるのか。
頭で考えるというよりは感じ取るってのが近いけど、そういう状態を覚えておくと、何かここ一番て時に強みになると思った。
視界も、見え方も、今までとはまた違ったものが広がる系。
長年探してたものだと思う。
目指してたものは、実は最初から備わってた的な。
弱さゆえに着込み続けて、どんどん視えなくなってたけれども、実は誰もが見失ってるだけで。
いつも感じてた『違和感』の正体は、そういうことだったのかもしれない。
やっぱ、心って不思議。
最初から答えは自分が握ってて、答えを握ってるからこそ、道を踏み違えた時に『違和感』として警告したり、精神的な病気みたいな形となって現れてくる。
やっぱ、心の奥から聞こえてくる些細な声に、耳を傾けることって大事なんだなと思う。
出来るだけ心静かに。
自分の中の一番自然な部分はどこか、いつもそこに居座り続けたい。笑
そんなお話でした。
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