2012年9月30日日曜日

血筋。

明日から、会社が大きくなります。

これまでを振り返ると、嫌なこと7割、良いこと3割(あれば良い方?)の比率で、今こうして素直に笑えてることが不思議なくらい、苦渋も苦悩も味わってきました。

大体もう、自分にとっての諦めや身の丈に合う程度の望みしか持ってなかったりして、あまり多くの期待を自分に抱いてはこなかったけど。
けど、それでも最近思うことがある。

自分の仕事ややろうとしている事が認められると、血が逆流しそうなくらい「面白い!」って思うし、求めていることや求められていることが何なのか考えて、その末に核心に迫った答えを自分が出せた時の達成感や自信は、仕事以外では得られない感覚だと思う。

自分に期待していない、将来は諦めている、って思ってしまう気持ちとは裏腹に、そういった何かを求めたり追求しながら「面白い!」って感じるってことは、なんのことはない

自分は何も諦めちゃいないし、むしろ目立ったり自分の限界を越える様な力を発揮したりして人に認めらたい、そんで自分のやったことが誰かの役に立ち、より多くの人の目に留まる様な成果を、出来るだけ長く残したいと自分は心の底で願ってるんだなぁと、恥ずかしながら思ってたりもしまう。苦笑


血筋なのか、何をやってても目立つことにあまり抵抗がないのか、悪いことも良いことも、割りと目立ちやすい性格だと思います。
社会に出て、多くの優秀な人達と出会って自分の身の程を少しは知ったつもりです。
でも、性格や性分は、あまり関係がないんだなとも、思う。笑

実力は大切だと思う。噛み締めるほど、実力の大切さは分かってるつもりです。

でも、リーダー性分というか、ほっとけない性格っていうのか?
誰かとでもそうだけど、苦労を共にしたい、出来る限り力になって一緒に解決したい。
自分だけのほほんとしてられる様な、傍観的で他人行儀な態度は、未だに取れません。
別に格好付けるわけでも、そこに酔いしれるつもりは微塵もないけど、どんなに偉い人でも、自分の力が不足していても、やっぱ「その場」には一枚噛まないと気が済まない性分です(いや、言う程そこまでダメでもないけどw)。
勿論弁えるべきことや立場に見合う行動やその加減ってのは、ある程度わかってるつもりです。


目立ちたい!とか、出世したい!とか強く願っているわけでもないし、普段はそれに気付くことは少ない。

でも、自分の感情を振り返ると、きっとそう思ってるんでしょうw
より良いやり方や、良いことを、自分は知っている!と、どこかで思ってるに違いない。笑 通用しない時のほうが断然多いかもしれないけど。


だけど
隠せない。

いつまでも自分を信じてる辺り、馬鹿なんだと思う。
「全然応えない、凹まない」、昔から言われてきたのが証拠なのかもしれない。
恥ずかしいし、本当はもっとクールに決めたいんだけどね。
前向きなのか、つか前しか見えてないから失敗出来るのかもね。苦笑

3子の魂百まで。


祖母ちゃんとか、祖父ちゃんとか、兄貴とか、父親とか、家族の誇りを胸に、劣等感と自負を背負って、明日からも頑張っていきたい。ある程度。笑

やっぱ、誇れる自分に出会いたい。




頑張るでぃ。

2012年9月28日金曜日

BURN NOTICE.

大好きな海外ドラマ、BURN NOTICEのシーズン3DVD-BOXの安価版がやっと発売されました。

シーズン真っ盛りの頃に同じ内容のBOXを買うと、1万円くらいするので、大体いつも安価版(3500〜5000円)が出てから買うようにしてます。笑
ジェフリードノヴァンが本当、かっちょえ〜


人に優しさを伝えることって非常に難しいって最近思います。
威厳も尊重も、敵意も害意も、関心も無関心も乗り越えたところに、自分と向き合ったところにしか本当の自分の優しさは見つからない気がします。

人間関係にはメリットデメリットがあるかもしれないけれど、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかで語り尽くせない想いがそこにはあると思います。
手に入らなければ弾けてしまうくらいの想いとか、想い通りにならなければ壊れてしまうくらいの絆だとか。
そんなんばっかで人は生きていないから、求め合ったり与え合ったりして、自分の居場所を探して、気持ちを癒して前に進んでいくんでしょうw

どこまでいっても分かり合えない様なものなら、いっそ傷つけ合うのが人間の性であるのかもしれないけれど、傷つけた分、同じ分だけ傷ついて、ひとつを半分でなく、同じ苦痛をふたつで以て「分ける」でなく「分かち合う」ことに繋げれば、それで少しは優しさに近づけるのかもしれない。
咎め合うことに何の意味もないことを、中国人や韓国人、日本人は「分かち合う」ことが出来るんでしょうか。笑

そこに何もなくても、矛盾も正しさも、主張も不満も全てを飲み込んでいく自分だけの我欲に乱されない『優しさ』と隣り合える強さを理解したい。


それは、自分だけの問題。
疲れ果てることに疲れるだけの気持ちの機微なんて、はがゆいし、切なくて空しいだけ。
人の主張は置いといて、少し独りになりたい気分。



要充電(″∇″)

2012年9月13日木曜日

小銭。

500円貯金ならぬ、小銭貯金。
財布に溜まった小銭を、適当に缶にぶち込み続けて早くも2年(詳細はわかんないけど)。

そろそろ缶が満杯になったので、先ほど銀行に行って両替してきました。

せいぜい5、6千円程度だろうなー、なんて思いつつもiPhoneを弄りながらイスに座って待っていると、
『番号札62番の方ー』
と、銀行員の声がこだまする。

呼ばれたのでカウンターへ行くと

2000…
の文字。

え、2000円ぽっきり!?…と思いきや…

0がひとつ足りない。


なんと、2万円もの大金になっていた!!




うぉおー



まさかの小銭で2万円も溜まっている事態になっていようとわ!
まさかの臨時収入。

先日、兄夫婦の出産祝いにチャイルドシートを送ったお金の一部が、返ってきた。笑
これは嬉しい。

塵も積もれば山となるってのは本当だね。

これからも期待しないで小銭貯金を続けよう♪

今日はnice day.

2012年9月10日月曜日

囃子の音色。

今日は地元のお祭りが開かれている模様。

父親から電話が鳴り、囃子の音色を聴かせてくれるのはもう何年も恒例の行事になりました。笑
これを聴く度に、青春時代に夢中になった囃子方のことを思い出します。


毎年、6月頃から囃子の練習が始まって、地域の山車ごとに夜な夜な集まっては子供から大人まで皆祭り囃子の音色に夢中になる。
あの高揚感とか躍動感はいつまで経っても忘れられないなぁ。

和の『粋』なスピリットを音で表現して踊り明かすこと程、心躍り期待に胸膨らむことはありません。

練習終わっても囃子の音色が耳に残り、口笛を吹きながら友達と家路につく夜道。


最っ高に人生が楽しかった日々です。




今となっては遠い地で、あの頃の感動を生で味わうことも出来なくなって。
少し悲しいけれど、自分の心に染み付いた囃子の耳障りの良いあの音色は、きっと死ぬまで褪せないんだろうなと、満足な面持ちで思ってます♪



祭り最高。

優しい歌。

いい人や悪い人の定義なんて、大体が自分にとって都合が良いのか悪いのか。
そこだけで決まる事が多い様な気がしてる。

本当の優しさって何んなのか、大人になって社会人になった辺りから、よく考えるようになった。
自己犠牲なんて、そう簡単に出来るもんじゃないし、相手によっては馬鹿をみることも多い。
てゆか、そんな大層なことが出来る程の器でも、力量もないかもしれないけれど。
でも、それについて真剣に考えて、自分なりの答えを見つけることは大切だと思ってる。


口で言う言葉とは裏腹に、心の中は常に揺らいだりしていて、受信した側は送信されたものが全てなわけで、出来うる限りにピッタリな表現だとか、誠意を持ったものを自分の中から探し出して、発信者は送信しなくてはと思う。
何度も失敗してるからこその教訓で、いつも頭からつま先まで後悔してるからこそ出来上がった、自分の中でのモラルではあるけど。


けど


それもまた、凝り固まった考えだったりして。笑
何が正しいとか、間違ってるとか、それを求める事自体が無駄なことなのかもしんない。
何が功を奏すのかとか、ハッキリ言って馬鹿には分かんないことなんだよね。


思ったのは、大人になるにつれて人は、寡黙にならざるを得ないのかもねって事。
でもそれは、優しさからくるもので。

察したり、悟ったり、同情したり。

背中で語る、そんな大人に、おっさんに、くそじじーに、私はなりたい。
優しさと寡黙は、イコールで結べるって、そう信じてる。


抽象的で自分しか分かんない話ですけど。

どうせ誰も読んでねーBlogだし、イイベ。
ひょー!


2012年9月8日土曜日

ロックンロールは生きている。

職場で班のメンバーが一新した。

ひょっとして4班あって一番まともな感じじゃなかろうかってくらい、円滑な人間関係。
それぞれに思惑はあっても、基本的には皆チームを重視していて、良い雰囲気を築いていけそうで、日は浅いながらも久々に楽しく働いてます。

もう、しちめんどくさい事は考えないで、全身全霊で働いて、無い知恵を絞り出して、流れるプール逆走してるみたいに、全力で走ってもやっと少し進む、みたいな疲れ方をして、ただひたすら全力で自分の壁をブチ壊していきたい。

何かにすがったり執着することをやめることで、新しい力に目覚めたり、反骨心を活力にしたり、前に進むことで得るものは大きいけれど、同時に失うものも多かったりして、両者を比べた時にどちらが重いかって問われたら、未だにハッキリ言って分からないことばかり。
色んな風に色んなことが変わってしまったけど、それで今の自分の方向性が正しいのかどうかなんて、所詮すがったり執着してた頃の自分に問うているようなもんで、自分の正当性なんて考えてもあまり意味がない様な気もしてる。
その時その時でその時の理由があって、その時しうる最良の選択をしてきてここまできたのだから。


ポテンシャルなら無限大にあるような気がしてる自分にも、周囲と比較した時のあまりにも無力で無能な自分を曝け出してるような時でも、いつでも思い出すべきことは、ひとつで充分なんだと思う。

自分がわかるように、ゆっくり、ひとつひとつ噛み砕きながら、納得しながら。

これが自分のスタイルなんだと言い聞かせれば、大体劣ることもなく昔の自分に立ち戻れる。
見劣りすることなく主張して、無我になって夢中になって。
ひたすら自分の力だけで進めるとこまで進んでみたいって気になって。



どこまでも追求してめんどくさくなって、行き詰まって、苦しみ抜いた挙げ句に吹っ切れて。
実はそのくらいが丁度良かったりして。




結局は自分に正直でいることでしか、自分にとっての一番楽しい生き方はないんだと思う。



こうして書き連ねることでも、少しは溜まった憂さも晴れる。

人のために遠慮なんてしていたくない、今はそんな気分。

いっぺん、自分の思ってることを全てぶちまけて、俺の思う通りに事を運びたい衝動に駆られるけど、いつも腰抜けな自分が邪魔をして自由に動けなかったりする。
だから、こざかしい手を使ったり、上手い立ち回りをして軌道修正ばっかしていくけど、ロックンロールは生きているって自分で言えるうちは多分この葛藤とか反骨心と付き合っていくことになるんでしょう。笑

そもそもなんだよ!
ロックンロールって!


ただのジャンルだろうが!



…大抵のことはどうでも良いよね。

このBlogも。


なんだよ、わっためがすって。笑


秋田弁。