現代社会で働いてる人の誰しもが、「人間関係」という問題に一度はぶつかっているだろうと思う。
一度とは言わず、何度でも。
確かに、上手に円滑に、仕事を進めていく上でも「人間関係」はとても重要なことだし、自分の精神衛生上もとても大切なことと思う。
でも、必要以上にそれを求めていると、それはただの「馴れ合い」でしかなくなってきて、本来自分が行うべき『仕事』の本質を見失ってしまう可能性を秘めた要素となるであろうことも、共に危惧すべきだと思う。
自分の「仕事」とは何なのか。
何を全うすべきなのか。
時にそれはシビアであったり、他人から陰口や避難を浴びながらも「仕事」を遂行しなければいけないような状況に立つ時は、社会人なら誰しもが経験あるんではないだろうか。
「仕事」に熱くなりたい。
全体像を把握して、次から次へとやるべきことが頭に浮かんできて、手や頭は休むことなくフル回転で状況終了に向かって突き進む。
そんな風に熱くなれる時間は、ハッキシ言って『面白い』。
「仕事」って、本来『面白い』からやれることであるとも思ってる。
綺麗事ばかりではないが。
ただ、その【本質】がどこにあるのかだけは、自分の仕事の【本質】を見失わないでいるってことが本当に大切なことなのかもしれないと、最近よく思う。
接客業であれば、お客様の満足。
時間制限やコスパがあっても、そこに尽きるだろう。
例えば、凝りをほぐしに行って、時間制限で身体が充分にほぐれないままサービスが終わったところで、誰がそこに二度行きたいと願うだろう?
接客する側が「時間ですから」みたいな気持ちで仕事していたら、決まりは守ってるかもしれないが、本来の「仕事」の本質から離れたところでしごとしてることになるだろう。
終業時間内を規則通りに動いていれば良い。
その通りだと思うけど、でも、それだけじゃないと思う。
他者からの色んな意識を正々堂々受け止めて、自分自身と葛藤して、それで誰が満足するんだろうか。
全うすべき【本質】を貫くことのほうが、よっぽど刺激的で面白いと思う。
少数でも、それを提示してくれる先輩や上司、後輩がいたらそこに何も感じないで良いわけが無いと思う。
社会人を何年も経験して、上手に生きてきたつもり(実際思ってないけど)でいる自分の中に、熱くなりたいとどこかで願ってる自分がいることを、くぐもらせる視界や胸くその悪さが証明してる。
とにかく!
もっと仕事に熱くなりたい。
実力不足や経験不足に二の足踏むけれど、そう心から糞願ってる。
不完全燃焼なんてほんと真っ平だし、本質を全うして熱い時間を過ごした時のあの爽快感を、毎日感じていたい。
こんな風に思うってことは、やっぱ堕落した相応な仕事しかしてなかった証明だと思う。
スケールは違っても、やっぱ『世界を変える』ような仕事をしたいと思う。
まずは自分の世界を変えていく為にも、日和った行動は取らないように自分に戒めたい。
他人の前にまず自分に厳しくなければいかんと、【働きマン】て漫画を読んで思い返した。笑
地でそれやってる上司が身近にいることを、ラッキーだったと思いたい。
誰しも完璧な人間などいない。
他人を非難する権利など、自分のどこにあるというんだろうか。
仕事の出来る出来ない、性格の不一致、良い悪いはあるけれど、それを非難したり言及する権利など、自分だけでなく誰一人にもそんなものは存在しないんだよな。
全うすべきことは何なのか。
自分の仕事の本質はなんなのか。
それが分かってれば熱くなることなんて思ってるより簡単なのだと思う。
いやいや、熱くなることよりも、本質を貫きたいだけなのだ。
日和った自分を戒める日記なのだった。
あじゃぱー!
2013年7月29日月曜日
MacBook Pro。
先輩がRetina版MacBook Proを購入した。
大好きなバンド、フーファイターズのボーカルこと、デイヴグロールのこの画像を観て、初めてのMacを購入したのが2008年のこと。
それ以来、Macに魅了されて三台ものMacを使い分けるまでに至りました。
Macの魅力に今でもヤラレ続けています。
そして、その影響を知人友人にも波及させることにも成功したりしています。
結構嬉しい。笑
実際Windowsよりも楽しいしね!
で!今回先輩がMacを買うに至りました。
前にあるのが先輩が買ったRetina版MacBook Pro。
奥にあるのが私の2008年late MacBook Pro。
やっぱね、薄くなってる!
やっぱね、、
速いよ!笑
今までMacBook Proを使う度に感じていたストレスが、全く皆無。w
要らん写真や動画を全て削除したのも相まって、メモリー増強と余裕あるHDDを併せ持つかなり優秀なサブMacに変貌を遂げました♪
5年前のMacとはいえ、パフォーマンスに優れたosをストレス無く弄れるのはやはり快感。
メモリーはでかいに越したことはないです。
この際、MacBook Airもメモリ増強してみようかな。。
こういうの弄るのほんと好きです♪
それ以来、Macに魅了されて三台ものMacを使い分けるまでに至りました。
Macの魅力に今でもヤラレ続けています。
そして、その影響を知人友人にも波及させることにも成功したりしています。
結構嬉しい。笑
実際Windowsよりも楽しいしね!
で!今回先輩がMacを買うに至りました。
前にあるのが先輩が買ったRetina版MacBook Pro。
奥にあるのが私の2008年late MacBook Pro。
部屋汚いのは許してね。
Retinaディスプレイはやはり、というべきか当然というべきか。
美しい。。
今ではメインMacはiMacな私ですが、先輩がMacBook Proを買ったのに感化されて、ちょっと自分のMacBook Proも今一度使い込もうかなと思い至りまして。。
実に5年ぶりに、メモリ増強を決意したのであります。
今現在のMac環境としては、動画編集や音楽編集など、重い作業は全てiMacでこなしており、makkubukkuea 11インチは完全モバイルPCとしての扱い(Blog作成はこいつで行っております)、そんで、MacBook Proはほとんど起動させずにたまに寝ながらDVD観る時とかに使っておりました。
で、今回MacBook Proのメモリーを2GBから8GBにしてみたのですが、
速いよ!笑
今までMacBook Proを使う度に感じていたストレスが、全く皆無。w
要らん写真や動画を全て削除したのも相まって、メモリー増強と余裕あるHDDを併せ持つかなり優秀なサブMacに変貌を遂げました♪
5年前のMacとはいえ、パフォーマンスに優れたosをストレス無く弄れるのはやはり快感。
メモリーはでかいに越したことはないです。
この際、MacBook Airもメモリ増強してみようかな。。
こういうの弄るのほんと好きです♪
2013年7月26日金曜日
WATTAMEGASU AWARD 2013。
いち音楽ファンとして、数多くの名盤を聴いてきたが、単なる「名盤」として自分自身の中では留まらせることの出来ない特別な思い入れの一枚というものが存在する。
それは音楽的なクオリティは勿論のこと、共に歩んできた思い出や演奏者として楽しいかとか、色んな要素が詰まった一枚で、特別になった者としては特別たる所以がそこには在る。
「最初は特別でもなんでもなかった」という一枚が、あとになって「忘れられない傑作」として自分の脳みそに深く刻まれることが多いと、そんな風に感じる。
そのまま自分の音楽歴史として語っても良いのだが、ここでは敢えて『WATTAMEGASU AWARD』の受賞作品として紹介することとしよう。
そうそう、なんでこんなことを書いているかというと、実は10年ぶりくらいにその受賞作品と出会うことが出来たからである。
他人からしてみれば凄くどうでも良いことかもしれないが、いち音楽ファンとしてはとても重要なことなのである。
だから、書く!
世界には有名な音楽的に栄誉ある賞「グラミー賞」なるものが存在するが、それに匹敵するくらいに栄誉ある賞が、この「わっためがす賞」なのである(あくまで個人的に)。
では、今までその栄誉ある「わっためがす賞」にノミネートされた作品を紹介しよう。
まず第一回「WATTAMEGASU AWARD」の最初の「わっためがす賞」ノミネート作品。
Mr.Childrenの「Q」。
音楽的に斬新なところは当時の自分には凄く興奮を御しきれるほどの衝撃ではなかった。
そしてこのアルバムの真骨頂は、詩の良さ。
Mr.Childrenの詩にはバイブル的なものを感じずにはいれないが、このアルバムには本当に色んなことを教えてもらった。
心の名盤である。
そして第二回「WATTAMEGASU AWARD」の「わっためがす賞」受賞作品。
それはFOOFIGHTERSの「ONE BY ONE」。
これは、最初は凄くうるさいなくらいの印象しか受けなかったのだが、聴けば聴くほど脳内でエンドレスに流れてくる魔法のフレーズがいくつも存在していて、気付いた時には「ONE BY ONE」の虜になっていたりするのである。
キラーチューンであるTIMES LIKE THESEやALL MY LIFEなど、栄えある楽曲も多いが、分かりにくくも味の深い楽曲など、独りで聴くのにこれほど適したアルバムは、今でも聴いたことがない。
正直言って、自分の葬式の時には是非ともTIMES LIKE THESEを流してもらいたいものだ。
最高の名盤である。
そして今回、第三回めの「WATTAMEGASU AWARD」を開かざるを得なくなった作品とは一体なんなのか。
では、発表したいと思います。
じゃらららららららららら
じゃーん
COLD PLAYの「MYLO XYLOTO」
でございます!
正直、このアルバムも最初は「普通だな」くらいにしか思っていませんでした。
「わっためがす賞」のノミネート作品の共通点は、最初の印象は別に良くないって点でしょうか。笑
自分の中で名盤に進化するまでは、本当に時間が掛かります。
生活に溶け込むのか、衝撃的な印象を受けて感動するのか、それとも詩に深く共感したり音楽的な感銘を受けるのか。
そのいずれかを感じれるということは本当に楽しくて、人生に良いスパイスを与える要素のひとつであったりします。
今回この「MYLO XYLOTO」が賞にノミネートされた理由は、いくつかありますが、聴く人にとって自由な印象を持って貰えるものであるべきだと思うので、深くは言及しないでおきます。
ま、これ読む人ってほんと少数だと思いますがw
4曲めのCHRILE BROWNは最高!とだけ言っておきましょう。
それでは!
それは音楽的なクオリティは勿論のこと、共に歩んできた思い出や演奏者として楽しいかとか、色んな要素が詰まった一枚で、特別になった者としては特別たる所以がそこには在る。
「最初は特別でもなんでもなかった」という一枚が、あとになって「忘れられない傑作」として自分の脳みそに深く刻まれることが多いと、そんな風に感じる。
そのまま自分の音楽歴史として語っても良いのだが、ここでは敢えて『WATTAMEGASU AWARD』の受賞作品として紹介することとしよう。
そうそう、なんでこんなことを書いているかというと、実は10年ぶりくらいにその受賞作品と出会うことが出来たからである。
他人からしてみれば凄くどうでも良いことかもしれないが、いち音楽ファンとしてはとても重要なことなのである。
だから、書く!
世界には有名な音楽的に栄誉ある賞「グラミー賞」なるものが存在するが、それに匹敵するくらいに栄誉ある賞が、この「わっためがす賞」なのである(あくまで個人的に)。
では、今までその栄誉ある「わっためがす賞」にノミネートされた作品を紹介しよう。
まず第一回「WATTAMEGASU AWARD」の最初の「わっためがす賞」ノミネート作品。
Mr.Childrenの「Q」。
音楽的に斬新なところは当時の自分には凄く興奮を御しきれるほどの衝撃ではなかった。
そしてこのアルバムの真骨頂は、詩の良さ。
Mr.Childrenの詩にはバイブル的なものを感じずにはいれないが、このアルバムには本当に色んなことを教えてもらった。
心の名盤である。
そして第二回「WATTAMEGASU AWARD」の「わっためがす賞」受賞作品。
それはFOOFIGHTERSの「ONE BY ONE」。
これは、最初は凄くうるさいなくらいの印象しか受けなかったのだが、聴けば聴くほど脳内でエンドレスに流れてくる魔法のフレーズがいくつも存在していて、気付いた時には「ONE BY ONE」の虜になっていたりするのである。
キラーチューンであるTIMES LIKE THESEやALL MY LIFEなど、栄えある楽曲も多いが、分かりにくくも味の深い楽曲など、独りで聴くのにこれほど適したアルバムは、今でも聴いたことがない。
正直言って、自分の葬式の時には是非ともTIMES LIKE THESEを流してもらいたいものだ。
最高の名盤である。
そして今回、第三回めの「WATTAMEGASU AWARD」を開かざるを得なくなった作品とは一体なんなのか。
では、発表したいと思います。
じゃらららららららららら
じゃーん
COLD PLAYの「MYLO XYLOTO」
でございます!
正直、このアルバムも最初は「普通だな」くらいにしか思っていませんでした。
「わっためがす賞」のノミネート作品の共通点は、最初の印象は別に良くないって点でしょうか。笑
自分の中で名盤に進化するまでは、本当に時間が掛かります。
生活に溶け込むのか、衝撃的な印象を受けて感動するのか、それとも詩に深く共感したり音楽的な感銘を受けるのか。
そのいずれかを感じれるということは本当に楽しくて、人生に良いスパイスを与える要素のひとつであったりします。
今回この「MYLO XYLOTO」が賞にノミネートされた理由は、いくつかありますが、聴く人にとって自由な印象を持って貰えるものであるべきだと思うので、深くは言及しないでおきます。
ま、これ読む人ってほんと少数だと思いますがw
4曲めのCHRILE BROWNは最高!とだけ言っておきましょう。
それでは!
2013年7月13日土曜日
iPad。
最近は、以前から計画していた所有する書籍の電子化や、余計な物を全て電子化してMacで管理、そしてiPadやiPhoneで愉しむ。ってスタイルがしっかり確率出来てきつつあります。
初めて買ったタブレット、iPad2の威力が今ここに来て最大限に発揮されております。
64GBで3G対応、バッテリー持続時間10時間。
はっきり言って、室内で愉しむには最高のデバイスだと思います。
ひとつネックを述べるなら、画質。
Retina搭載じゃないため、正直なところ、漫画や本を読む際、画質の荒さは目立ちます。
最近、会社の先輩がMacを買いたいということで、時間があれば、相談に乗っている状態であります。
彼は、RetinaのMacBook Proを買う予定。
やっぱRetinaディスプレイの威力は高いと思います。
iOS7や、新しいMacのOS、マーベリックスを控えてる昨今。
そろそろRetinaの導入を検討する段階にきているかと思います。笑
で、Retinaデビューするとすれば、私の場合はiPadになると思います。
一番、Retinaの効果を体感出来るであろうデバイスは、私の場合はiPadであるから。
写真はiPadminiですけど、今部屋ん中で一番使っているiOSデバイスは、間違いなくiPad2であります。
本や映画、音楽、ウェブブラウジング、色んなことをiPad2で行っております。
でも流石に使い古した品物でも在るため(と言っても2年程度ですが)、動きが遅いと感じることや画質に不満が生まれることもシバシバ。
これは、、
次期iPadを買うのに申し分ない口実であるかと思います。
次期iPadは、ベゼルがiPadミニみたく薄くなるとの噂。
むー。。
まぁ、ディスプレイ側はそれで良いのですが、裏面までiPadミニみたいなデザインになるのにはちょっと抵抗ある。
今のiPadのあからさまに「アルミボディ」って感じが凄く好きなので、iPadミニのようにちょっとちゃちい感じになるのは嫌かなって思ってます。
でも、まず買うけどね。笑
次期iPad。
スペックは勿論、最高スペックを狙っております。
128GBもあるんでしょう、きっと。
それ買います♪
白を!
こんな風にベゼルがないデザインだったら格好いいなって思います。
今のRetina版iPadは、正直重いと思う。
最低限、iPad2並みには軽くなって欲しい。
新しい発表が凄く楽しみなのでした。
初めて買ったタブレット、iPad2の威力が今ここに来て最大限に発揮されております。
64GBで3G対応、バッテリー持続時間10時間。
はっきり言って、室内で愉しむには最高のデバイスだと思います。
ひとつネックを述べるなら、画質。
Retina搭載じゃないため、正直なところ、漫画や本を読む際、画質の荒さは目立ちます。
最近、会社の先輩がMacを買いたいということで、時間があれば、相談に乗っている状態であります。
彼は、RetinaのMacBook Proを買う予定。
やっぱRetinaディスプレイの威力は高いと思います。
iOS7や、新しいMacのOS、マーベリックスを控えてる昨今。
そろそろRetinaの導入を検討する段階にきているかと思います。笑
で、Retinaデビューするとすれば、私の場合はiPadになると思います。
一番、Retinaの効果を体感出来るであろうデバイスは、私の場合はiPadであるから。
写真はiPadminiですけど、今部屋ん中で一番使っているiOSデバイスは、間違いなくiPad2であります。
本や映画、音楽、ウェブブラウジング、色んなことをiPad2で行っております。
でも流石に使い古した品物でも在るため(と言っても2年程度ですが)、動きが遅いと感じることや画質に不満が生まれることもシバシバ。
これは、、
次期iPadを買うのに申し分ない口実であるかと思います。
次期iPadは、ベゼルがiPadミニみたく薄くなるとの噂。
むー。。
まぁ、ディスプレイ側はそれで良いのですが、裏面までiPadミニみたいなデザインになるのにはちょっと抵抗ある。
今のiPadのあからさまに「アルミボディ」って感じが凄く好きなので、iPadミニのようにちょっとちゃちい感じになるのは嫌かなって思ってます。
でも、まず買うけどね。笑
次期iPad。
スペックは勿論、最高スペックを狙っております。
128GBもあるんでしょう、きっと。
それ買います♪
白を!
今のRetina版iPadは、正直重いと思う。
最低限、iPad2並みには軽くなって欲しい。
新しい発表が凄く楽しみなのでした。
2013年7月5日金曜日
いつか見た慈悲深さの中に。
薄情さは心の未熟さだと思う。
また、慈悲深さは成熟さと同意義で、信念は残酷さに繋がっていくものと思う。
薄情さと慈悲深さと信念が入り交じったものが、人情であると思うが
環境次第で折れそうになる心もまた、未熟さゆえのことなんだろうか。
向き合うことに臆病になってると感じる昨今の若い人達。
なんて書くと自分より先輩の人達に「お前が言うな」なんて小言を貰いそうで怖いが。
自分より若い人達のあまりに未熟で小賢しくて醜くて、無作法で小さな気持ちを目の当たりにした時、そこから去りたい気持ちで一杯になる。
はっきり言って、昔の自分を見てるようで、とても恥ずかしくなる。
自分の都合の良い方向にしか行こうとしない輩だらけだなって、失念してしまうことも多々あって、こっちの方が心労重なってガックリ来ることもシバシバ。
だけど、自分がそうだった時に色んな心ある対応をしてくれた人達みたく、今の自分が対応出来ているか、疑問だ。
おそらく、求めることが多すぎちゃ駄目なんだろうし、そこまで他人に入れ籠む必要もないのかもしれないけど。
最近では無関心でいれることも覚えてしまった自分に、これで良いのだろうか?
なんてちょっとだけ自分に猜疑の気持ちを持って過ごしたりもしてる。
どれだけ他人に入れこんだって無駄にしかならない時は沢山あり、その時の失念の気持ちは、自分だけでどうにかなるものでなくて(お節介ではなくて心で思ってるだけで態度にはおくびにも出してないつもりだが)、相手の未熟さにも起因することだから、結局は長い気持ちで相手を信じることでしか解決出来ないことなんだってこと。
上から物を申すことに抵抗あるけど、確実に未熟さを見抜ける時ってあるでしょう。
時が解決してくれることを、むやみに弄り倒すものではない。
そう思います。
成熟にはそれぞれの時間や機会、栄養や休暇が要ることだと思うから。
偏屈なことばかり書くけど、普段からこんなこと考えてるわけじゃないし、もっと単純で笑いたがりな気持ちで泣きたくなってくるくらいの自分だけど、そうやって今まで支えてくれた大事な人にありがとうと伝えたい。
そういう気持ちを育んでくれた全てのものに感謝する。
いつからか、残酷なだけじゃなくなった自分を、少し笑って許してやりたいです。
また、慈悲深さは成熟さと同意義で、信念は残酷さに繋がっていくものと思う。
薄情さと慈悲深さと信念が入り交じったものが、人情であると思うが
環境次第で折れそうになる心もまた、未熟さゆえのことなんだろうか。
向き合うことに臆病になってると感じる昨今の若い人達。
なんて書くと自分より先輩の人達に「お前が言うな」なんて小言を貰いそうで怖いが。
自分より若い人達のあまりに未熟で小賢しくて醜くて、無作法で小さな気持ちを目の当たりにした時、そこから去りたい気持ちで一杯になる。
はっきり言って、昔の自分を見てるようで、とても恥ずかしくなる。
自分の都合の良い方向にしか行こうとしない輩だらけだなって、失念してしまうことも多々あって、こっちの方が心労重なってガックリ来ることもシバシバ。
だけど、自分がそうだった時に色んな心ある対応をしてくれた人達みたく、今の自分が対応出来ているか、疑問だ。
おそらく、求めることが多すぎちゃ駄目なんだろうし、そこまで他人に入れ籠む必要もないのかもしれないけど。
最近では無関心でいれることも覚えてしまった自分に、これで良いのだろうか?
なんてちょっとだけ自分に猜疑の気持ちを持って過ごしたりもしてる。
どれだけ他人に入れこんだって無駄にしかならない時は沢山あり、その時の失念の気持ちは、自分だけでどうにかなるものでなくて(お節介ではなくて心で思ってるだけで態度にはおくびにも出してないつもりだが)、相手の未熟さにも起因することだから、結局は長い気持ちで相手を信じることでしか解決出来ないことなんだってこと。
上から物を申すことに抵抗あるけど、確実に未熟さを見抜ける時ってあるでしょう。
時が解決してくれることを、むやみに弄り倒すものではない。
そう思います。
成熟にはそれぞれの時間や機会、栄養や休暇が要ることだと思うから。
偏屈なことばかり書くけど、普段からこんなこと考えてるわけじゃないし、もっと単純で笑いたがりな気持ちで泣きたくなってくるくらいの自分だけど、そうやって今まで支えてくれた大事な人にありがとうと伝えたい。
そういう気持ちを育んでくれた全てのものに感謝する。
いつからか、残酷なだけじゃなくなった自分を、少し笑って許してやりたいです。
あんまり覚えてないや。
久しく聴いてなかった音楽を流して何も考えないでリラックスをして。
ライフワークの走ることや、水泳でよけいなものを全て発散して
ごちゃごちゃだった部屋を片付けて
新しく出来た言葉の通じない友達と言葉を勉強しながらFaceTimeをしたり
好きなことを誰かに教えてその輪が広がっていったり
今、不足してた心のカルシウム的なものはもう、随分と補充出来てきた気がする
忘れることで前向きに
覚えてるからこそ忘れることが出来る
そうやってコミカルに人生は続いていくのも面白いじゃない
耳触りの良いピアノの音に
誰かが鳴らす音楽に
色んなエピソードを浮かべながら、音がこだまする世界を堪能して
今日も何も考えずに誰かを笑かします。
「あんまり覚えてないや」
Amazonで買った折りたたみ自転車、もうじき届きます。
いつになく詩的な日記と相成りました。
お見苦しゅう。
ライフワークの走ることや、水泳でよけいなものを全て発散して
ごちゃごちゃだった部屋を片付けて
新しく出来た言葉の通じない友達と言葉を勉強しながらFaceTimeをしたり
好きなことを誰かに教えてその輪が広がっていったり
今、不足してた心のカルシウム的なものはもう、随分と補充出来てきた気がする
忘れることで前向きに
覚えてるからこそ忘れることが出来る
そうやってコミカルに人生は続いていくのも面白いじゃない
耳触りの良いピアノの音に
誰かが鳴らす音楽に
色んなエピソードを浮かべながら、音がこだまする世界を堪能して
今日も何も考えずに誰かを笑かします。
「あんまり覚えてないや」
Amazonで買った折りたたみ自転車、もうじき届きます。
いつになく詩的な日記と相成りました。
お見苦しゅう。
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