いい歳こいて何がラララだって思ったかもしれませんがw
ミスチルのポップザウルスっていうLIVE DVDを買いました。
20周年記念ということで、数々の名曲や珠曲、もっと若い頃に力を貰った曲から現在に至るまで大好きな楽曲。
色んな曲を奏ってくれてました。
ミスチルの曲の何が良いかって、自分の感じてる心を素直に唄ってるところがとても心地よくて。
普段は色んなノイズがあるから、心の奥底の声は聴こえずらくなっているけれど、ミスチルの曲を聴くと、より繊細に、より素直に心の源泉に浸かれて、真心の声が聴ける気がします。
今回のLIVEでも、お薦めの一曲はいくつもあったけれど、今の自分にとても響いた一曲は、「ラララ」って曲で。
『失くてはならぬものなど、あんまり見つからないけど
愛する人も同じように、今日も元気で過ごしてる
1人じゃない喜び、何は無くとも、それで良しとしようか』
ひとつひとつ言葉を噛み締めるように、櫻井さんが唄ってる姿を見て、静かな水面に一滴の雫が落ちるかのように、波紋となって自分の心に響きました。笑
それで良しとしようか(^^)
愛する人がいる喜び、独りじゃない喜び。
自分がどういう状況でいたって、不満や悲しみがあったって、楽しいことや苦しいことがあったって、それだけで充分幸せなことかも。
今日も笑って歓んで悲しんで怒って、息を吸って息を吐いて。
元気で暮らしてる。
それで良しとしようか。
ミスチル、本当に心の琴線を鳴らしてくれます。
それで良しとしようか。
2013年2月27日水曜日
2013年2月18日月曜日
GIFT
いくつも歳下の後輩を持ってみて気付いたことがあって。
日頃から感じてる違和感とか不快感を、言葉にしてみたら一番しっくりくるワードを探り当てました。
それは、「信頼感」。
不足してるなって感じるものはこの一言に尽きるなって思いました。
時間をかけて、少しづつ育んでいくお互いの「信頼感」。
傷ついたり傷つけたり。
そんなことを繰り返しながら、相手を把握していって。
かけた時間の分、縮まるの距離であって、それを結ぶのが信頼だと思います。
一度分かり合えれば、時間が経ったって色褪せないし、よほどのことがあっても、そう簡単に崩れないかけがいのないものになると思います。
勿論、相性やそれが当て嵌まらない特別なものも存在するとは思いますが。
そのことを、「信頼感」を軽んじて距離感を計れずに知らない人が自分んちに上がる時に感じるであろう気持ちの悪さを露呈するのが最近の。。ってゆーより20代前半にありがちな心理の真理だと思う。笑
いきなり人んちに上がりこむのは、詐欺師か泥棒くらいだと思うよ。
それは、自分が築き上げた人間関係を通して学んだことで。
同じ人間に対して、違う人間が同じ言動を発するとしても違和感が生じたり生じなかったりするのは、信頼があるか否かだけが影響してるんだなぁって、今更ながらに感じて過ごす機会がすごく最近多いです。
そんで、例えば礼儀だとかしつけだとか、人間性を磨くことの意味は、実り有る人間関係を築くためにあるんだなって思った。
日頃の行いを善くしようと努力してる人には、必ずその想いが報われる人間関係が生まれる。
つくづく感じて暮らして、他人に感謝してる今日この頃です。
そのことを、是非とも最近のゆとりの子らに伝えたいw
勿論時間を掛けて。
時間がかかれば自ずと分かることではあると思うけども。
あの人と自分、あの人とお前。
いっちょまえに見栄張る前に、その人との間に在るべきものが何なのか。
そこに気付いたら、何をしてどういう志を持つべきか自ずと視えてくる筈じゃないの。
って、言えないからこそ態度で示す先輩。
皆同じ道を辿るように、自分の先輩の苦労を今になって気付いていくw
皆苦労してるんですねって、いつか後続の奴らと酒でも飲み交わす日が来る日を目指していきたい。
勿論それって、仕事関係だけでなくて、全ての関係に言えることだと思うから。
誠心誠意の気持ちで人と付き合っていきたいって、そう心から願う今日この頃。
本当の信頼を築き合える関係なんて、ほんの一握り。
どんなに近くたって、どんな関係であったって、その一言に尽きると思うから。
自分と『誰か』の関係を信じることが一度でも出来たなら、その奇跡に感謝して生きていたい。
信頼を崩すのは一瞬というけども、そう簡単に瓦解しないのが『信頼感』だと思う。
それは、永い時間の分だけ、強固になるものと信じてる。
日頃から感じてる違和感とか不快感を、言葉にしてみたら一番しっくりくるワードを探り当てました。
それは、「信頼感」。
不足してるなって感じるものはこの一言に尽きるなって思いました。
時間をかけて、少しづつ育んでいくお互いの「信頼感」。
傷ついたり傷つけたり。
そんなことを繰り返しながら、相手を把握していって。
かけた時間の分、縮まるの距離であって、それを結ぶのが信頼だと思います。
一度分かり合えれば、時間が経ったって色褪せないし、よほどのことがあっても、そう簡単に崩れないかけがいのないものになると思います。
勿論、相性やそれが当て嵌まらない特別なものも存在するとは思いますが。
そのことを、「信頼感」を軽んじて距離感を計れずに知らない人が自分んちに上がる時に感じるであろう気持ちの悪さを露呈するのが最近の。。ってゆーより20代前半にありがちな心理の真理だと思う。笑
いきなり人んちに上がりこむのは、詐欺師か泥棒くらいだと思うよ。
それは、自分が築き上げた人間関係を通して学んだことで。
同じ人間に対して、違う人間が同じ言動を発するとしても違和感が生じたり生じなかったりするのは、信頼があるか否かだけが影響してるんだなぁって、今更ながらに感じて過ごす機会がすごく最近多いです。
そんで、例えば礼儀だとかしつけだとか、人間性を磨くことの意味は、実り有る人間関係を築くためにあるんだなって思った。
日頃の行いを善くしようと努力してる人には、必ずその想いが報われる人間関係が生まれる。
つくづく感じて暮らして、他人に感謝してる今日この頃です。
そのことを、是非とも最近のゆとりの子らに伝えたいw
勿論時間を掛けて。
時間がかかれば自ずと分かることではあると思うけども。
あの人と自分、あの人とお前。
いっちょまえに見栄張る前に、その人との間に在るべきものが何なのか。
そこに気付いたら、何をしてどういう志を持つべきか自ずと視えてくる筈じゃないの。
って、言えないからこそ態度で示す先輩。
皆同じ道を辿るように、自分の先輩の苦労を今になって気付いていくw
皆苦労してるんですねって、いつか後続の奴らと酒でも飲み交わす日が来る日を目指していきたい。
勿論それって、仕事関係だけでなくて、全ての関係に言えることだと思うから。
誠心誠意の気持ちで人と付き合っていきたいって、そう心から願う今日この頃。
本当の信頼を築き合える関係なんて、ほんの一握り。
どんなに近くたって、どんな関係であったって、その一言に尽きると思うから。
自分と『誰か』の関係を信じることが一度でも出来たなら、その奇跡に感謝して生きていたい。
信頼を崩すのは一瞬というけども、そう簡単に瓦解しないのが『信頼感』だと思う。
それは、永い時間の分だけ、強固になるものと信じてる。
2013年2月11日月曜日
Simple。
最近の自分の流行はNORTH FACEってブランド。
2012年の後半くらいから手を出し始めて、取り敢えず上下揃えてファッションの主戦力で活躍出来るくらいまでは集めました。
自分の好きなブランドを持ったのは実は初めて。
値は張るけれど、その価値を十二分に見出してます。
さほど自分のファッションセンスに自信があるわけでもないですが、NORTH FACEの何が気に入ってるかって、デザインも然る事ながら、その機能に大変感銘しております。
まず、今まで着用してきたような服と同じくらいの薄さなのに、暖かさのレベルが違う!
店頭に行ってその秘密を聞いたら、世界最高級の羽毛を使っているからとの事。
羽毛ってこんなに暖かいの?って驚くくらい、着た瞬間から体温がどんどん確保されていくことを実感できます。
恥ずかしい話、こんな体験は初めてw
ただひたすらに、『暖かい』。
それだけでこんなにも人を感動させることが出来るなんて。。
『暖かさ』だけでも、充分にその製品としての魅力が感じられることになるなんて、なんてSimpleな魅力なんでしょう。
あらゆる複雑に折り重なった魅力ばかりが世にはびこってる現代ですが、ひとつの製品の良さを、プッシュする点をシンプルに絞るだけで、実は人ってそういうことに一番感動するのかもね。
デザインは勿論のこと、その機能という一点において特化し、それを体験することが出来る。
NORTH FACEというブランドに非常に感銘しました。
ってゆー記事ですw
仕事をする上で見本にしたい。
2012年の後半くらいから手を出し始めて、取り敢えず上下揃えてファッションの主戦力で活躍出来るくらいまでは集めました。
自分の好きなブランドを持ったのは実は初めて。
値は張るけれど、その価値を十二分に見出してます。
さほど自分のファッションセンスに自信があるわけでもないですが、NORTH FACEの何が気に入ってるかって、デザインも然る事ながら、その機能に大変感銘しております。
まず、今まで着用してきたような服と同じくらいの薄さなのに、暖かさのレベルが違う!
店頭に行ってその秘密を聞いたら、世界最高級の羽毛を使っているからとの事。
羽毛ってこんなに暖かいの?って驚くくらい、着た瞬間から体温がどんどん確保されていくことを実感できます。
恥ずかしい話、こんな体験は初めてw
ただひたすらに、『暖かい』。
それだけでこんなにも人を感動させることが出来るなんて。。
『暖かさ』だけでも、充分にその製品としての魅力が感じられることになるなんて、なんてSimpleな魅力なんでしょう。
あらゆる複雑に折り重なった魅力ばかりが世にはびこってる現代ですが、ひとつの製品の良さを、プッシュする点をシンプルに絞るだけで、実は人ってそういうことに一番感動するのかもね。
デザインは勿論のこと、その機能という一点において特化し、それを体験することが出来る。
NORTH FACEというブランドに非常に感銘しました。
ってゆー記事ですw
仕事をする上で見本にしたい。
2013年2月10日日曜日
UI。
えーっと、どうでも良い話しますw
良い事言ってるような気がすることをたらたらと勝手に書きます。
おほん
仕事柄、電気回路の図面を読む機会が多分にあります。
その中で、いつも漠然とした意味でしか捉えたことのなかった「インターフェース」って言葉。
自分の好きなAppleも、よくこの言葉を使います。
「ユーザーインターフェース」って。
電気回路の図面でもそうなんですけど、『インターフェース図面』ってのは、制御回路と制御回路の繋がりを記したものであって、ポイント的に「インターフェース」って書き方はしてないし、意味合いだって記されてません。
Appleのいう「ユーザーインタフェース」って言葉も、自分的にはユーザー体験のことなんかなーって深く考えもしませんでした。笑
でもね、なんでもない、何がキッカケかも思い出せない些細なことなんですけど、「ユーザーインターフェース」って、「繋がり」のことを言ってんじゃんって気付いたんです。w
はっきり言って、どうでも良い事をつらつらと綴りますよ?
ユーザーインターフェースってのは、コンピュータ用語的に言わせて貰うと、『ユーザーと製品(ここではパソコン)とを繋ぐ役割を担うもの』のことだと思います。
分かりやすく言うと、コミュニケーションツール。
つまりはキーボードのことですね。
人と人とを繋ぐ究極のインターフェースが、【言葉】であるように、コンピュータと人を繋ぐ究極のものも、【言葉】であると思います。
その先駆け的な存在がsiriだと思うんですが…
それはどうでも良くて。
よりマクロな表現を可能にする【言葉】は、インターフェースとしてとても優れていると思います。
それを扱うことに長けていれば長けている程。
処理する側も然り。
何が言いたいって、人間がコンピュータを作ったのは、人間が持ってる脳みその能力を、思考を手助けしてくれる道具を持てればって願ったからこそだと思うんです。
その繋がりを担ったのがキーボードで。
今はそれが進化して、【言葉】での繋がりが可能になってきています。
UIが優れているってことは、究極的には会話が成り立つ関係だとも思います。
日進月歩で科学が進化して、コンピュータがどんどんハイテクになっていくのも、結局は人間よりも処理能力に優れた人間(のコピー)を生み出したいって願いから来ているんだと勝手に思います。
よく、スマホに依存している、とかの問題を耳にしますが、それは思考の手助けってよりも人間の思考そのものになりつつあるからなんだと思います。
自分は今、こんな下らない内容の記事をひたすら打ってますが、自分にとってこれは思考の手助けや記録としての役割を担ってます。
新たに発見したことや、答えを残すってスタンスでこのBlogを続けてるわけです。
コンピュータに依存してるってゆー問題もあるけれど、処理能力が劣る生命体ではあるけれども、人間には【言葉】や【表情】、【感情】を表現するインターフェースがあります。
恐らく、対コンピュータとでしか問題を見てないからこそ問題視されるだけであって、人間同士の関わり合いの中では、コンピュータが付け入る隙なんて微塵もないんだと思います。
コンピュータが【言葉】や【表情】、【仕草】や【所作】を理解出来てないうちは。
コンピュータには真似出来ない沢山の素晴らしいインターフェースを、人間は持ってると思います。
そのお互いを結ぶインターフェースに磨きを掛けようって願うことは、とてもまっとうな事だと思います。
コンピュータも人間も、似て非なるもの。
そんな事を思いました。
人間の作り出すものって、その発想も含めて、無意識に活用していること自体素晴らしいことだと思う。
生きてるだけで凄いんですね……
上手くまとまらん!笑
じゃ。
2013年2月9日土曜日
滅私。
今に始まったことじゃないけれど、他人の感情をそのまま率直に刺激として受け入れて、その刺激にいちいち反応している自分が、どれだけ子供なのかを嫌って程自分に思い知った最近。
刺激に反応するだけの心。気持ち。言葉。衝動。
正に子供。
That`s Child。
大人になることと、衝動を抑えることとはまるで意味合いが違う。
相手の気持ちに寄り添ったりする力や、理解しようとする心、歩み寄りの精神をほんの少しだけでも持とうとすることが出来れば、それは「我慢」でなくて、結局自分に「納得」っていう救いになって返ってくる。
「諦め」でも「嫌気」でもなくて。
相手の気持ちに歩み寄れる力。
どこを斬っても『自分』という金太郎飴みたいな我しか見えない己の狭量さ。
分かってみれば、驚くほど納得いける。
納得いけないってのは、結局あまりに自分しか見えてないからなのかも。
だから、くどいくらい相手に突っかかる。
率直に自分のあまりの未熟っぷりを嘆く記録だけれど、昨日まで依存していたものや、寄り掛かっていたように思えたことも、結局視点を変えれば「自分」しか視えていなかったからこその苦悩や苦痛。
そういう意味で『大人』になるってことは、我慢でも抑制でもなくて、自分への救いとしての他人への歩み寄り、なのだと思った。それは一種、諦めにも似てる。
そこを「納得」出来ないうちは子供。
気持ち悪い。
「正しさ」も「間違い」も、自分だけのもの。
歩み寄って理解して健気になって、初めて他人を理解したり納得出来たりするもの。
自分とは醜さだと思う。
健気になって、初めて稚拙さを知り、大人であることを知るのかもね。
刺激された通りに反応するなんて、挑発に乗ったチンピラ同様。
気持ち悪っ
刺激に反応するだけの心。気持ち。言葉。衝動。
正に子供。
That`s Child。
大人になることと、衝動を抑えることとはまるで意味合いが違う。
相手の気持ちに寄り添ったりする力や、理解しようとする心、歩み寄りの精神をほんの少しだけでも持とうとすることが出来れば、それは「我慢」でなくて、結局自分に「納得」っていう救いになって返ってくる。
「諦め」でも「嫌気」でもなくて。
相手の気持ちに歩み寄れる力。
どこを斬っても『自分』という金太郎飴みたいな我しか見えない己の狭量さ。
分かってみれば、驚くほど納得いける。
納得いけないってのは、結局あまりに自分しか見えてないからなのかも。
だから、くどいくらい相手に突っかかる。
率直に自分のあまりの未熟っぷりを嘆く記録だけれど、昨日まで依存していたものや、寄り掛かっていたように思えたことも、結局視点を変えれば「自分」しか視えていなかったからこその苦悩や苦痛。
そういう意味で『大人』になるってことは、我慢でも抑制でもなくて、自分への救いとしての他人への歩み寄り、なのだと思った。それは一種、諦めにも似てる。
そこを「納得」出来ないうちは子供。
気持ち悪い。
「正しさ」も「間違い」も、自分だけのもの。
歩み寄って理解して健気になって、初めて他人を理解したり納得出来たりするもの。
自分とは醜さだと思う。
健気になって、初めて稚拙さを知り、大人であることを知るのかもね。
刺激された通りに反応するなんて、挑発に乗ったチンピラ同様。
気持ち悪っ
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