2012年12月18日火曜日

情報化。

よく、「情報化社会に乗り遅れない様に」とか言いますが、もう少し若い頃は、その意味について考えることはありませんでした。

情報を制するって言われてもピンとこないし、情報を得たからって、自分が生きることにどういう風に関わりがあって、暮らしていくことにどう事欠くのか。
ずーっとピンと来ないまま20代前半をのほほんと過ごしてきたような気がします。

最近、仕事で自分のスキルが大きく役立つことが多分にあって、自分が好きで培ってきたものが会社のシステムの先駆的な役割を担いそうなチャンスが巡ってきております。
…あんま自分でも実感湧かないけど。。苦笑

ちょっと嫌味ったらしい書き方な気もするけど、実際、やってることを披露すると割りと評判良く、自分が今どの位置にいるのかあまり理解出来ておりません。
そんな、ちょっと追い風吹いてる状態で、ふと、今よりも若い頃に思ってた『情報』について考える機会が増えてきました。
『情報』とは何か、『情報』って自分が生きる上でどんな役割を持つのか。
みたいな。。ちょっとは自覚した方が良いんでないかい、的な。。


いきなり結論に達しますけど、『情報』とは【選択肢】だと思います。
生きる上で事欠かないけど、自分が生きる上でより自由になる為の、より行動範囲を広げるためのカテゴリー。
それが『情報』…持論です。てゆーか、考えあぐねた末の結論。


情報を得る程、知識や見聞は広がる。
情報を理解する程、自分の行動に意味や役割、意識が芽生えて、やりたいことに幅が出来るような気がします。
行動範囲が広がれば、自分の意識はより自由に、より革新性を持ったものに変わっていくもんだと思ってます。

つまり、『情報』を得ることで【選択肢】が出来、自分の行きたいあらゆる方向を自由にチョイスし易くなる。
そういうものなんだと、今やってる仕事を通じて考える様になったッス。


ただモヤモヤぁっと『情報』〜
って捉えるんでなくて、『情報』得れば【選択肢】増えるなぁ〜って思った方が、なんか行動力増す気がするし。
より自由になった気がします。


で、今取り組んでるのが正にそこに絡んでいて。
俺のやってることって一体何よ、って思った時に、ふと頭に閃いたのが、
「情報を共有」するということ。
ただその一点において、今までに在りそうで無かった、新しいツールとしてその利便性が認められてきてるのかもなぁって思うようになりました。

詳細はあんま口外しない方が良いらしいので、言えないけども。

多分、結構多くの人が『情報』の有効性や活用性を、割りと気楽に捉えてる気がするけども、自分やグループ、牽いてはいち会社としての【選択肢】が増えるってふうに考えると、『情報の共有』というひとつのカテゴリーを成長させていくことは、凄く重要なことのように思えます。

どういうツールで、どういったルールで、どんな風にどんなグループにバラバラに散らばった『情報』を伝えていくのか。
それを、自分の好きなことや好きなものが革新性を以て関わっていく。
バラバラに散らばったものが集約して、しかも必要に応じた時に手元に手軽に表現されるということ。

入社して10年弱、なんか結構自分のひとつの提案(って言ったらなんかちょっと、おこがましい気もするんだけど)がここまで期待を担うようになったことが、素直に嬉しく、この会社に自分がいることが、初めて意味を持ったかもって思えるようになりました。



つっても、まだまだ生まれたての赤ん坊みたいに、どんな風に化けるのか分からないから、あんま大きな口を叩けないわけだけど。
インパクトだけは絶大みたいです。笑
廃れていくのか、成長していくのか。

自分の中でも期待と不安が入り交じっているけれど、立ち上げた張本人として、下らない意見や立場に埋もれた意見を盲目的に取り入れることだけは出来るだけ看破して、拘りを持った『情報共有ツール』になる様に、努力して取り組んでいきたい。




『情報』とは【選択肢】


どう動くのか。どう反応していくのか。
鋭いひと言と考察を意識して、この蜘蛛の巣状に張り巡られた情報フィールドを一本の糸にまとめて、上へ上がる手綱のように太くて頑丈なツールに仕立てていくことが出来たら、サラリーマン冥利に尽きます。(格好良いこと言った)
オーバーだけど。


糸も簡単に。

とは上手く言ったもんですねぇ。

…なんかちょっと、読み返すとちょっと下衆いね。
でもUP。

2012年12月17日月曜日

BENNIE K。

数々ある音楽CD群の中、お気に入りのバンドやアーティストはほんの一握り。

大体1年くらいのサイクルで、自分の中でトレンドは変わっていくけども、その中で普遍的に好きなバンドやアーティストが自分の中では特別なものに変わっていきます。


最近のトレンドは、タイトルにも書いてる通り、BENNIE Kってゆーユニット♪

高校時代から好きだったけど、なぜか最近夢に出てくるようになった。笑
なんか、LIVEとか観たことないのに、夢の中でLIVEが始まって、それがまた凄い良かったw

ピアノに併せて、ドでかいスクリーンに映し出されたボックスの群れが折り紙のように物語を生み出していて。笑
ボーカルの人が凄い時間掛けて構想練りました!みたいなこと言っててw
夢なのに事細かにリアルで、起きてからもなんか無駄に覚えてました。笑

目覚めた時、おもっきし泣いてたってゆーw

良い歳こいて恥ずかしいです。


傷心も前向きさも、なんか良い感じの旋律に乗せてポップなメロディーになってる曲ばっかで、なんか今の自分には心地いいくらいに耳に入ってきます。


ミスチル、フーファイ、ラルク、この三大フェイバリットアーティストの中に、新たにひとつ、新しいフェイバリットが刻まれそうです♪

その名はBENNIE K。


これ聴きながら、どっか旅にでも行きたいです。



クリスマスは岐阜県は下呂温泉に旅行に行くので、BGMはBENNIE Kと洒落込んでトリップと決めたいと思います♪


音楽から分かる、自分の趣味嗜好。
いろんなことがあっても、結局前向きなのが取り柄なのかもって最近思う。


BENNIE Kって最近活躍してないように思うなぁ。


新しいALBUM出さないかなぁ。



ボーカルの子の声が凄っごい好きです。


是非、お薦め♪


夢に出て来たあのLIVEは、永久保存版です。
自分補正で、良いものがまた、凄い良い!ってなんかまた崇拝しそうw

2012年12月13日木曜日

Dead On Alive。

この月曜日にジッちゃんが亡くなったとの連絡がありました。

すぐに駆け付けられない。
普段からそんなにコンタクト取ってるわけでもないので、凄く悲しいわけでもない。
少しの寂しさと、面倒をみてくれた時のジッちゃんの満面の笑みを想いながら、12月の冷たい風に当たっているだけの感傷さ。

自分の冷たさも、この冬の寒さに紛れて慌ただしさに感情が消えていく様です。

こんなにも、自分の暮らしにあまり関わりのない人とはいえ、血縁が亡くなった事にそれほどダメージを負っていない自分がいることに、正直少し驚いてもいます。
高齢ってこともあって、悲観的に送るわけではなくて、むしろ祝いに近い餞けなんでしょうけれど。

やっぱし、心の支えでない限り、人は割りかしドライに生きていけるもんなのかもしれませんね。

でも、ジッちゃん、今までありがとうね。
今だからこそ思い返したり、振り返った時に自分の中に脈打つジッちゃんの要素を見たりもするけど、優しく感謝と尊敬を込めて、静かに黙祷します。

なんか、死んでもちょっとユーモラスな魅力を兼ね備えた人だったよ。
色んなエピソードと、人懐っこさの暖かみをありがとう。
歳食った時の支えにさせて頂きます。


タイトルにDead On Aliveって書いたけど、生物は全部「生まれた時から死ぬ運命」を背負って誕生しますよね。

悲劇だなんて思わずに、そのフレーズにユーモアを感じ取って歳を取っていきたいです。



DNAの寿命が最近判明して(確か20万年だっけ?)、永遠に種族を保つことが出来ないって科学で証明されて、少しやりきれなさを感じるけれど、終わりがあるって知ったところで現状は何も変わらないし。
正に、Dead On Aliveが真理なら、笑けてくるくらいには楽観的でありたいです。

w
何を語ってるのかもうわけわからんけど。


悲劇も百年経てば喜劇に変わる。

それをジで体現してみたいです。



さよなら、ジッちゃん。


へばまんつ。
どっかでね。

2012年12月7日金曜日

ダイバーダウン!

自分の本質や臨んでいることを、自分でどの程度分かっているかって結構大事なことだと思う。

面倒くさい人間って思われるかもしれないけれど、浅はかに言葉を紡いだりしたら、それなりの人間関係しか築けないと思うしそれなりの結果しか人生に生まれないと思うから。

普段からそこまで考えてるわけではないけれど。


新しいアイディアだとか、これだ!って思えるほどピンポイントで自分の感情を伝える手段は、やっぱし自分と向き合っていないと出てこないことだと思うから。

周囲に流されたり、納得いかないまま過ごしてたりすると、自分に嘘を付いた代償はあとになって肥大して、自分に降り掛かってくるから。
心の病とかになってね。

だから、自分の深さを知るということは自分の健康のためにも大切だと思う。


自分の心の最深部を探ることは、そんなに嫌なことでもない。


未熟でいると、他人と話す時、気持ちを交わす時に自分の心の海の、極浅いところまで浮き上がってきてしまって、最深部のある位置を見失ってしまう。
再びそこまで潜って同じ場所を見つけるのは至難の技。
深ければ深いほど、潮流が速ければ速いほど。

ある程度の深域に留まっていても、いきなり水中爆弾を落としてくる様な人もいる。
他人の海の深さを知らないが故に『この程度の破壊力があればこの人に届くだろう』みたいな感じで爆弾を発射してくるから、
そういう人を「浅はか」と呼ぶんであれば、昔からある言葉や表現って、凄いなって思う。

恐らくきっと、自分ひとりでいる時は、心の最深部に静かに潜っていることが出来るから、色んなことが視えてくるんだろう。
勿論、自分の海の中にいるだけじゃ視えないことも一杯あるんだけど。
出来るだけ他人と話す時でも、なるべく深いところに潜りつつ、ある程度の浅瀬まで浮上してみたり、深くまで潜って相手を潜らせてみたり、その掛け合いをすることで相手の深さや浅はかさを知る。
コミュニケーションは、自分の潜水能力と相手の潜水能力を伺いながら、気にかけながら、思いやりと気配りを以て二人意外の新しい海の、ある程度の深さまで二人で到達しようと努力することなのだろう。

自分がそこまで潜れないからって、深部まで爆弾ぶち込む人は、好きくないです。


気を遣うことなく、相手の最深部まで到達出来たり、自分の深いところまで苦労することなく到達出来たり、新しい深海に一緒に潜り込める人と出会えた時は、それは本当に大切にしなきゃと思う。
信頼出来る人とじゃないと、ダイビングなんて出来ないだろうから。

そんな人とは、滅多に出会えないだろうし、巡り会える可能性は、かなり希薄な気がする。
優劣じゃなく、相性って意味で。

人を惹き付ける人っていうのは、その深度を保ったまま、まるで潜水艦に乗せるが如く相手に苦労をかけずに深いところまで誘導出来たり、深過ぎる深海が魅惑の魔力を放ってる
ように、深淵な魅力を見出させる人なのかもしれない。

浅ければ浅いほど、波に飲まれて揺れ動く。
深ければ深いほど、静寂と暗闇の中で光が輝きを増す。

真理な気もしてる。


一緒に深いところまで潜っていける相手は、それだけで光となって深海を照らす道しるべになるんでしょう。


…なんつって。




でも、なかなか上手いこと例えれた気がします。


上ばっか見て宇宙の輝きを物欲しそうに見るのも良いけれど、足下の大海を把握することもまた、楽しめないこともないと、そう思います。

面倒くさいのも良いじゃない。
浅い海に漂って藻くずのように消えるよりも、深海を探検する方が性に合ってる気がしてる。


巨大なイカが現れるのか、はたまた強い意思と優しさを兼ね備えたクジラと出会えるのか。
深くまで潜ってみないとそれは分からないでしょう。



息が続かなくなったら陸に上がって、何も考えないでいるのも良い!

地元の海で、素潜りしたい。

2012年12月6日木曜日

THE DARK KNIGHT RISES。

バットマンの新作、「THE DARK KNIGHT RISES」のBlu-rayを買いました。

大好きな、大好きな大好きなシリーズです。

最初の「バットマンビギンズ」と「DARK KNIGHT」は確かDVDで観たと思います。


今でも忘れない、シリーズ通して通称の『バットモービル』の強烈なインパクトは、血が逆流するかのような興奮とワクワクを毎回与えてくれます。


本編の面白さは言わずもがな。笑


バットマンシリーズの何が好きって、やっぱ『バットモービル』の格好良さに尽きるでしょうw


今回のバットモービルは、タンブラーという名前。
公道を走る黒き戦車です。

自分の愛車、オデッセイでも実践していることですが、自分の車への拘りは、【内装】。
このひとつ。
部屋とはまた違う、自分だけの空間を創り上げて、その空間でどこへでも移動する。
サスペンションのしなり、ボディ剛性の強さを感じるカービング、回転数が上がった時の血管を猛烈な勢いで巡る血流のような音。
ハードの魅力も充分理解しているつもりです。
でもね、私が求めるのはあくまでソフト!つまり中身なのです。
精悍な外装も良いけれど、あくまでゴージャスな内装を突き詰めるのも、至極喜びの極地でございます。笑

その車に乗ることで何が出来るのか、何を積んでどんなテクノロジーを搭載して、どう遊び尽くせるのか。
これだけの為に何時間でも車の中で頭を悩ませることが出来ると自負出来ます。

バットモービルは、その気持ちを増幅させてくれて、いつもお手本となってくれる。
毎回、新しいシリーズが発表される度にね。



愛車オデッセイに乗る人は、是非そこいら辺を頭に入れて搭乗して欲しいw

気付かないところにアイディアを沢山詰め込んでいます。

大好きなAppleとの連携。
ミラーに内蔵されたハイテクレーダー。
ゲームを楽しめる純正ナビゲーション。
音声認識。
テレビ電話をすればナビに映像が出力されたり。

本当は、車の中で色んなテクノロジーを駆使したいと思ってます。
冷蔵庫付くとかさー、ヘッドレストに画面付いてるとかさー。
まぁ、やりたいよね。笑

で!
そこにきて遠慮なしにアクセル踏み込んで、豪快にカービングしたり凸凹道をサスペンションの豊かさを感じながら走行したり。
まるでテクノロジー全開のバットモービルを想起させるマシンに、いつも搭乗していたい。

映画を観たあとは、いつもバットマンな気分です。
勿論サウンドはバットマンのサントラで♪
すぐに成りきります。


車に乗るようになって、今まで3台の自動車を経験しました。
最初はドイツ車オペルヴィータ。
二台目は三菱のレグナム。
そして三台目のHONDAオデッセイ。

オデッセイに出会うまでは、車は多人数乗れて走れば良い、くらいにしか思ってませんでした。
だがしかし、内装が自分の嗜好にハマるとこうまで違うかね。
めっちゃ車が大好きになり、バットマンの影響を思いっきり受けるにまで至りましたよ。


それまで気にする事のなかった車としてのスペックを考えたり、雑誌を買ったり。
色々と詳しくなりました。笑
仕事に対して、大して自分に誇りとかもなかったけれど、こうして【バットモービル】や、他にも好きなドラマ【バーンノーティス】など、テクノロジー関連に魅力を見出す様になって、もっと!もっと詳しくなりたい!自分の手であれやこれやを直したり改善したり、技術と知識を磨いて活用したい!って思えるようになって、本当に良かったと思ってます。

話は飛躍するけど、自分にとって仕事とは、私生活に多大な影響を与えるものであって欲しいと願っているところがあります。
それは『成長』という意味で。


簡単にマスター出来るような仕事や、創造性のない仕事は、まるっきり自分には向いてないって分かってます。
自分のアイディアや工夫、独創性や感性を最大限に活かさないと興奮出来ない質です。
だから、自分の創ったもので誰かが喜んだり、何かに活かされて効果が上がったりすることに、至上の幸福や達成感を得ます。笑


バットモービルから話が凄く脱線したんだけども、Blu-rayの特典の【バットモービル】の生い立ちを観て、凄くそんなことを思いました。


自分の暮らしに関わりある点と点。
今はそんなに大して繋がりがあるわけではないけれど、追求していけば、いつかきっと、こんな風に点と点が線で繋がって、今までの自分で良かったって思える日が来るんだねって。
仕事を私生活に活かしたい!ってずっと考えてたり苦悩したりしていた甲斐があったかなって、やっと最近思えてます。


Appleにしたってそう。
やっぱし、『好きなこと』を大人が追求していったらそれが『仕事』になる。

こうでなくちゃ!




いつかね、、パソコンで車の走行性能とかを改造とか変更出来るくらいにまでは遊びを追求したいんだよね。笑


ハイテクと暮らし。
切っても切れない遊びがそこにはずっとある。


そんな気がしてます。笑



なので、金稼ぎたい!


欲じゃなくて好奇心、ですね。

童心は消えないもんだ。


【追記】
自分の嗜好にドンピシャハマった物と出会うってのは、本当に運命を感じます。笑
自分の人生に『それ』があったこと。
自分が選んだ『物』が自分の人生に多大な影響を与えたこと。
多分ずっと、今の車は乗り続けることと思います。
いくら『物』といっても、愛着は湧きます。
そんな『物』との出会いを大切にして、これからもそういう『物』と出会えるような人生だったら良いなって思います。

オデッセイ、愛してるよ。笑

バットモービルも、捨てがたいけどw

2012年12月2日日曜日

昔はものを思わざりけり。

後悔先に立たず。

選択選択の連続で人生は決まっていくんだと思うけど、その時のベストなチョイスで人は生きてると思うから、失敗やミスを、否定して生きなくても良いんじゃないかな?ってのが自分の考え。

だから、歳を食う度により思慮深く、より複雑な気持ちをシンプルにしていって、颯爽と生きていたいと願う。


ひとつの選択が、ひとつの言葉が、ひとつの態度が身の周りの出来事をめまぐるしく変えて行くから。


Do You Know My mind?


万葉集で唄っているように、賢く生きていけたら世話ねー。笑
歳食っても他人の開けたドアが閉まらないうちに入って行くような人間にはなりたくないから、自分の力でドアを開いて毅然と歩いていける人間になれるよう、七転八倒で来年もいくかー
…心が伸縮してる様を自覚しつつ、深呼吸しては心を落ち着けて、目に映らない優しさや寛大さを身に付けて、他人に左右されることのない信念を持ち続けていけるよう、切に願うっす/

そんなことを思いながら、今年も師走を疾走。
この街で。



なんかちょっと詩的。



明後日は試験。
仕事から一時解放されて、ちょっと落ち着いた雰囲気で臨みたいと思います。




2012年11月29日木曜日

後続のあなたへ。笑

昨日の晩、赤ちゃんの頃から知ってる親戚の娘っこから相談の電話があって。

正直、子供な印象しかなかった彼女も、今年で19歳。笑
妹みたいな存在。
ウケるほどに無情に時は流れますw

相談とは他でもない、どうやら就職が決まったらしく、実家から通える範囲の職場にするか、それとも一人暮らしを強いられる距離の職場にするか、どっちにするか悩んでいるという。
それで、一人暮らし9年目に突入する私に意見を求めてきたというわけで。

話振りを聴く限り、どうやら彼女は一人暮らしがしたいけど家族の意見はそうでもないらしく、実家圏内にいても一人暮らしは可能だべしゃとのこと。

なんとなく、自分に枷を外して欲しいような、そんな印象を受けながら話を聞いてました。

自分の時は、ハッキリ言ってそういったしがらみ(って言ったら語弊があるんだけど)のようなものもなかったし、家族からの応援や理解もあったお陰で、こうやって遠い地で悠々自適に一人暮らしが出来てるわけだけど。
10年近くも時が経つと、親の話など、何かと問題(問題とは思ってないんだけど)も発生してくるようになります。
当時は、そんなことも考えずに、ただただ「ここではないどこか」に興味津々で、自分の新しい生活場所に夢ばっかり観てました。

それでも今まで何かと上手くやってきて、それなりに楽しい生活も送れているし、自分にとってとても大切だなって思える人間関係を築いてもきたし、一生掛けても出会えるかどうかわかんないくらいの(大袈裟かもしんないけど)大切な友人にも出会えたつもりだし、この地に1人でやってきて、他では味わえないくらいの掛け替えの無い経験を沢山してきた自負はあります。

一人暮らしをする上で、そんなに考え抜くような要素なんて、19歳ってゆー若さでは然程ない気もするし、むしろ考える力なんて皆無かなっても思います。笑
ただ、自分の人生を、身の回りの枷でやりたいことや可能性を狭めることなど、出来るだけして欲しくはないわけで。
それは、親や保護者の目線で考えると複雑だし、自分だけ良いってわけにはいかなくもなるとは思うけど。

けど、自分の場合、いつでも見本や手本は祖母ちゃんで。
いつも自分のことなど二の次で、子供(孫)の迷惑にならないように、枷にならないように、祖母ちゃんのことは心配しないで、自分の思うようにやりなさいって、昔から、思い出すとグッとこみ上げるものがある程、私や兄弟のことを考えてくれてました。
今でもそう。
90歳になっても、子供達の迷惑にならないように、死ぬ時はドン!っと逝きたいって言ってる程です。

…そんなことないのに。

自分はきっと、祖母ちゃんが帰ってきて欲しいって言ったらきっと、実家に帰るくらいの気持ちではいるつもりだし。
迷惑だなんて、1mmも、1nmも、1μmも思ってないです。
むしろ、ただただ祖母ちゃんを喜ばせるためだけに働いたって、良いかなっても思います。
実際は、結構難しくもあるんだけどさ。。苦笑

それくらいの気持ちや、感謝を、胸に抱いて生きてます。
なるたけ感謝や愛情を、伝えたい気持ちで一杯だけど、無性の愛を受けたい放題に受けて来て、それをどうやって還元しようか、祖母ちゃんの喜びに変えていけるかなぁって考えてもいる今日この頃。

きっと、少しでも伝われば良いほうなんだろうけど。



まぁ!その話は今はよくて、親戚の娘っこがそんなこんなで、一人暮らしについてのアドバイスを求めてきたわけです。


まぁ自分は、興味があるならすれば良いし、不安ならよせば良い。
それだけを伝えました。

家族の意見もあるけど、先輩として言えることはそれだけでした。
変に奇麗言も良いたくないし、正直な気持ちです。
1人だと、家族がいないストレスを体験するだろうし、いかに家族が自分の精神を安定させていたのかを、知ることにもなると思うし。
それと同じくらい、素敵なことや新しい出会いが訪れて、奇跡みたいな体験もすることもあるだろうし。
それを呼び寄せるのは、自分の行いや心がけ次第、そんで運やタイミングもありつつの出来事ばっかで、色んな意味で自立するんだろうなぁって。
彼女に対する期待も込めて、一人暮らし賛成派だってことを伝えましたよ♪


案の定、裏で動く親戚の姉ちゃんから、それを阻止する方向でアドバイスして!っていうメールもありましたけど。
ごめん、裏でって言ったら例え悪いよね。苦笑
それほど、可愛く思ってることはわかってるし、その気持ちや事情もある程度なら理解出来るけれど。
それには謝罪メールを入れつつ、姉ちゃんもやっぱ彼女を応援してる立場は同じなわけで。
やっぱ最後には彼女の意志を尊重するとのこと。


色んな思惑や事情、気持ちもあるけれど、やっぱ自分のしたいことをさせてあげるのが一番。
結局これしかないと思います。



10年、やってみたら、自分の伸び代や生き方も身に付くんじゃないだろうか。
自分はやっと、今になって仕事することの意味や生き甲斐みたいなのも見つけつつある程度ですが。

仕事に生きるわけでもなく、命掛けるほどのやりたいことがあるわけでもないけど、自分の気持ちには少しは素直に向き合えるようになってきたかなと思うし。
それはきっと、また家族と一緒に暮らし続けてたらどんな式を書いて、解を導いていたかわかんないしね。


長々と書きましたが、愛する親戚の娘の新たな門出を祝いつつ、この記事を締めくくりたいと思う。



苦難や苦悩、良い思い出も恥ずかしい想いも、悔やみながら悔やみながら。
誇りながら踏ん張りながら、この先を歩んで下さいな。


そんで自分だけの想いや考えを、いつか飲み交わす日が来たら良いね。


あ、ひとつだけ言っとくけど、俺酒弱いから、その辺考えといてね。


じゃ、またなんかあったらいつでも気軽に。



グッバイララバイ。
家族を大切に。

2012年11月27日火曜日

Mr.Children〔(an imitation)blood orange〕

待望のミスチルの新しいALBUMをゲットしてきました。




好きな曲や思い入れの深い曲、未だ聴いたことのない曲。
色んな曲が詰まった一枚ですが、今回は音楽的な側面と詩の深さや含みを持たせた表現の仕方が、いつもよりもより大きなテーマに準えているような印象がして。

庶民なミスチルを一歩踏み越えたところから出したような、自分の知ってるミスチルからは少し離れたところから出されたような印象を与えられています。笑

なんか、ジャケットもちょっと90年代を感じる造りだしw

あ、そうそう例えるなら子供の頃に兄貴世代とかが聴いてるような。
それをたまたま手にして、ちょっと大人びた気持ちになりながら聴いている。
そんな感じや雰囲気を醸し出している、、ような気がしてます。笑



 Marshmallow dayが一番の推し曲かなぁ、って思ってましたけど、なんか、そうでもないな。

駄曲が一曲もないー。


いつも思うんだけど、「新しいALBUM」を聴く時って、全体像が掴めてないから、いつもそれを探りながら聴いていて、耳に慣れるまでは暫く好奇心で味わっていて。
それが終わってからやっと、ALBUMとしての意味を自分なりに掴んでいって、そんで一曲一曲の良さを自分なりにわかっていく。
そんでやっと一枚通して聴いて、やっと「新しいALBUM」が「お気に入り」に変化していく。


今はまだ今回のALBUMの全体像は全然わかってなくて。
どんな一枚なのか、どんな気持ちや思い出をこの一枚と一緒に刻んでいくのか。
ワクワクとドキドキと、嫌な印象は持ちたくないなぁって気持ちや安っぽい一枚になって欲しくないって願いと。笑

つまるところ、このALBUMにはとても期待しているということでw


たかが一枚のCDですけど、「お気に入り」になれるかどうかってのは結構自分にはデカイことでして。

音楽好きには音楽好きとでしか分かり合えない感覚ではあると思うけど、一枚を深く味わえていけるってことの幸せは、そう滅多に味わえることではないので、数少ないいつも予想の斜め上をいってくれるアーティストやバンドであるミスチルを、今回もゆっくり堪能してきたいと思います♪


チューインガムの味のように、消えてなくなったりしないでよ?


笑。





2012年11月26日月曜日

NORTH FACE。

今日は今年の冬物の服を買いに千葉県のららぽーとに行ってきました。

ここ2年くらいは新しい冬服を買ってなかった気がするので、奮発して良いものを買おうと思いまして。
奮発してきましたよ。


ちょっと部屋汚くて申し訳ないですけど。

NORTH FACEのアウターでございます。


35000円!!
高過ぎ!


なんでこんな高いんですか?
って思わず店員さんに聞いてみたところ、どうやら世界最高級品質の羽毛と、表面は超細い頑丈な糸を使っているため、かなり長持ちする素材をフル活用しているから、、とのことでした。

ふーん。まぁ、NORTH FACEのちょっと良いアウターは欲しかったし、この際奮発してみようってことで、手を震わせながら購入に踏み切りました。


着てみると、、成る程、確かに。
超暖かいし、なのにスーパー軽い。
そして洒落ている。

と、自分に言い聞かせております。

お気に入りの一品になること必至。



で、ついでにお気に入りのiPhoneを収めるポーチも一緒に買いました。
こちらは2000円。

NORTH FACEの色合いがとても好きです。




そして今夜も兄貴家族とFaceTime!


やっぱこれ、良いなぁ♪




実家では、祖母が補聴器を欲しがっているご様子。

今年は結構父親や姪っ子様にお金を投資したので(実家にAppleTVとiPhone4sを今後贈る予定なので、それも含めて)、補聴器は兄貴に任せたいと思います。


今しかないこの時、後悔のないように自分への投資は二の次で、家族が満たされるお金の使い方をしたいって、普段から思ってます。

まぁ、今回の服の買い物は別として。苦笑

積み立て貯金は結構貯まってきてはいるものの、プライベートでいつでも下ろせる貯金は割りかしレッドゾーンぎりぎりな管理。

来年はその辺りも堅実に貯めていかないとなぁ。


日を追うごとに、自分の年齢の重みと、責任や自己管理能力などを見直すことが多くなってきた昨今。



早く兄貴夫婦に追いついて、落ち着いた生活をしたいものだ。笑


消費の暮らしから、蓄える暮らしに、シフトチェンジのタイミングを感じております。



では。

2012年11月21日水曜日

LIFE = LIVE。

今年のミスチルの新譜アルバムは、個人的に凄い気になってる♪笑

耳に残る聴き心地の良いフレーズに、完成度の高い歌詞
言葉にするのも野暮なくらいに、心地が良い歌が多いッス。

『自分はこうしたいと思ってる、自分の理想とする気持ちはこう!』
ずっと笑ってたいとか、より良い関係をずっと願ってるって気持ちがあれば、例え何があっても乗り越えていけるよねって。
そこに他人は関係なくて、俺は笑ってたいよ!
って、自分の芯を見つける標にもなってくれたり、色んなことに気付かせてくれるミスチルの歌はいつも何かを自分に与えてくれます。
そもそも、歌ってて気持ち良いしね。


生きてるうちはきっと、その真理を求めたり、自分の生きてる意味とか価値を、誰でも手探りで暮らしていくものなんだと勝手に思ってます(めんどくさい人間と思われてもね苦笑)。
その先を照らすライトみたいな存在は、人によってマチマチだと思います。
たまたま自分にとってはそれが歌だったり、身近な人だったり、するわけだけど、ミスチルはそこに手を添えて『間違いなんて無いから、信念を忘れないで』ってちょっと応援してくれてる様な気がしてます。

都合の良いように捉えてるだけかもしんないけど、そう思えるなら別に信じたって良いと思うしね。笑
照れくさい様なことでも、そう思ってることは事実だから、それは自分の気持ちとして、ちょっとは大切にしないとね。
自分の理想を、たまに訪れるダメな感情に飲み込まれてちゃ何も変わんないってことを、自分の気持ちと信念を胸に刻めたような、そんな一年だったと思います。
まだ2012年は終わってないけど、このまま年末まで駆け抜けていけたら最高だなぁ。

最高の一年だったって、人生を振り返った時にそう思えるような、そんな年に。
2012年を最高に胸に刻み込んでいきたいです。

色んな人に迷惑を掛けたし、嫌な気持ちにさせたり、色々反省もあるけれど、これをこの気持ちを与えてくれた、全ての近しい人達に、心から感謝を送れるような心持ちを、きっと忘れないで全力で目の前のことに没頭していきたいと思います。

2012年はそんな年。
何度も言うけどね。笑



そうそう、桜井さんが言ってましたね。
『LIVEとは、人生に命を与える点と点 ひとつが僕で、ひとつがあなた』

ライフ = ライブ  

ライブの「ブ」この二つの点、つまり濁点のことだそうです。笑


ほんと、上手いこと言うよね。



洗顔料とアイボン買いに行かなきゃ!




Marshmallow day。

ミスチルの新曲、『Marshmallow day』が久しぶりに自分の中で大ヒットです♪

自分の中で、プラスのパワーだけが遠慮なくブッ飛んで行けるようなメロディーに合わせて、次第に引き込まれていくような、それでいて常に自然に隣り合わせていけるような詩。

超共感出来る想いの連続。笑


何一つ不自由のない暮らしに溶け込んでいって、誰かと接する時にもどっかで鳴ってるような、そんな歌です。

…ちょっと抽象的。


でも、なんか聴いてるとプラスが滲み出してくるような、そんな一曲です。



Marshmallow dayが、どんな一日を意味しているのか、なぜマシュマロなのか、それはよく分かんないけど、いつか分かる日が来るんだろうか。笑

ただ、凄く心地良く聴き入れる曲で、ずっと、歌の中のそれぞれのフレーズが、頭の中でこだましてます♪




自分を見失うような時でも、何かに魅入ってしまうような時でも、他に何かする事があるような時でも。
このメロディーラインを頭の中で鳴らすことが出来たら、ずっと爽やかに暮らしてけるのかなぁ。
なんつって。笑



正にこんな気持ちでいれたら、素敵なんでしょうね。

忘れちゃいけないことを、注意深くそして優しく、Marshmallow dayで歌ってるみたいにチューインガムを噛み締めるようにちゃんと味わって日々を暮らしてきたいッスね!



早くアルバムが聴きたい!笑


2012年11月20日火曜日

エヴァンゲリオン新劇場版Q。

を観てきました。


前作からどんくらい経ったんだろうか?

前作がとても面白かったので、期待して映画館へ。



…感想は、相変わらずファンを置いてきぼりにする展開だなーって感じ。笑
一緒に行った人はエヴァを観たことない人だったので、実に微妙な雰囲気にw

でも、初めて観たけども、取り敢えず「面白かった♪」の声は貰えました。笑


早く続きが観たい!
来年かな?


アスカが良かったなー。笑



エヴァが社会現象になった時代を生きた世代としては、次で最後だなんてちょっと切ない気もするけども、早く完結編が観たいでごわす!


…なんか、観たあと 嫌なこと全部吹っ飛んだ様なサワっとした気分でした。笑


良かったよ。是非、お薦めでござんす。


2012年11月19日月曜日

邪拳道。

ここ最近、会社で『男気ジャンケン』という遊びが流行っている。

…若者の間で。笑


ジャンケンした際、例えばペナルティーとして敗者がジュースを買ってこなくてはいけない、とかいうような一般的なルールでなくて、『男気ジャンケン』とは勝者が男気を魅せるという意味で喜んで敗者(達)の分のジュースを買ってくる、、みたいないわば勝敗逆転ルールのジャンケンなのだ!

心の中で邪道のジャンケン、「邪拳」、と勝手に呼んでいる。笑


実は私、ジャンケンにはそこそこ自信がありまして。


というのも、自分流のジャンケンに対する攻略法を幼い頃から編み出し続けているからであります。

子供の頃は、兄にはほぼ勝てず、友達としても何も考えずただ運任せなジャンケンをしておりました。

でも、ある時気付いたんです。


ジャンケンする時に、なんらかの「予感」を感じ取って、大体の勝敗を察知することが出来る自分の直感力の高さに!
…なんて、大袈裟に書いたら神経疑われますねw
でも、一対一のジャンケンであれば、かなりの確率で勝てる法則を、私は見つけました。

それは。。




(ここで書いても、かなり直感力に頼っている技なのは確かなので、紹介しても直感力や洞察力ない人は恐らく体得できないだろうことを祈り、紹介したいと思います)



それは!

『その人の人間性や体系によって、一発目に繰り出されるジャンケンの種類が大方決まっている』
というもの。

。。笑


馬鹿にすべからずw



あのね。
子供の頃からそうして私は勝ってきました。



下記にその法則を記します。



【グー】…体系は筋肉質な人や太っている人に多い。また、人間性としては柔和な人や誠実な印象を受ける人に多い。あまり悪知恵が働かない、一般的に良い人は大概一発目にグーを繰り出します!(わっためがす統計)


【チョキ】…体系は痩せ型の人に多い。また、人間性としてはずる賢さや自分より弱い人間には態度豹変するような陰険な印象を受ける人に多い(←ひどいw)。悪知恵が人より働いたり頭の回転が早い人に、一発目チョキを繰り出す確率が非常に高いと思われます。(わっためがす統計)


【パー】…体系は肥満体系の人に多い。また、グーと性質が似た人がパーを出す傾向が強いが、グーより狡猾な人、しかしながら物事を広い視点で捉えようとする姿勢が見える人は最初にパーを出す傾向が強い。本当かぃ!表現は難しいが、チョキより誠実でグーよりずるい、どこか捉えどころのない印象の人に多い。(わっためがす統計)



以上。笑



これを、「じゃー、んけーん、ぽん!」の一瞬で思考するわけだが、上記の法則に基づいてジャンケンした時、勝率としては、そうだな、8割!といっても良いくらい私は勝てます。。
言い過ぎたな、7割、ですかね。
いや…6…?
取り敢えずやんない時より勝てます!


しかしながら、これは家族やより親しい人には通じません。
裏の裏を読み合っているので。



で、話は戻って、『男気じゃんけん』の話。
例によって、私は、(そうだな、名前を付けるとしたら【邪拳道】にのっとって)ジャンケンを敢行します。
しかしながら、『男気ジャンケン』は敗者がいわば勝者。
無意識のうちに【邪拳道】発動する私は、割りかし高確率で決勝まで残ったり、あわよくば勝ってしまう為、結果として損をしてしまいます。
先日も、後輩達とメシを食いに行った時、割り勘な気満々でしたが、流れで『男気ジャンケン』でメシ代払う人を決めよう、ということになりました。
無意識に【邪拳道】発動です。
喜ぶべきか否か、その時も勝ってしまいました(これって、逆にジャンケン弱い?)。
で、一万円近くを奢るハメになってしまったのですが、痛い出費とはいえ、まぁ先輩なので奢るのは良しとしましょう。

でもね、普通に奢るのと違って、奢った人の威厳がこれっぽっちもありません。笑
奢った時のやせ我慢しつつのカッコ付けも、ちょっと後輩に太っ腹なとこ魅せるとか、そんな感じが一切しません。

だって、ジャンケンに勝って、勝負に負けてるわけですから。w
いわば罰ゲームになってしまってるわけです。
奢った上になんか損な気持ちになって、しかも負けた気持ちにもなる!

『男気ジャンケン』恐るべしです。


そこはやっぱり、男気でいくべきなんでしょうねw


いや!奢る時は最初っから奢るでぇ!って感じでいきたいよ。
ぼかぁ

苦笑



まぁ、なんにせよ、【邪拳道】に入門したい方は、遠慮なくマスターまで問い合わせ下さい。
入門者は今んとこゼロです!

…押忍!



…さんざん書いたけど、ぶっちゃけなんも考えず直感でやってるだけですけどね!



押忍!

2012年11月10日土曜日

ジッチャン

自分の育ての親は祖母ちゃんで、実家が床屋ということもあってか、幼い頃から色んな人に面倒を視てもらいながら育ちました。

祖母ちゃんの実の兄でもある、ジッチャン(本名不明、友人達からの通称は仙人)には、特に可愛がって貰ってました。

保育園の送り向かいはジッチャンのチャリンコの籠に乗って。
寝小便を掛けば、布団をジッチャンが運んで一緒に家まで帰ったり。
ジッチャンの孫の姉ちゃんや兄ちゃんにも可愛がってもらい、親戚の枠を越えて、皆して一番近い家族のような繋がりで今でもそれは変わらずに思ってます。

そのジッチャンも今年で95歳。

長寿の一族です。

兄と妹と、揃って床屋さん。

つい最近までバイクが交通手段で、チャリンコも健在。
だと思ってました。

1世紀近くも生きてると、やっぱ身体も思うようには動かないみたいで(当然かもしれないけど)、実家に帰る度に、老いの印象を禁じえません。
当然かもしんないけど。


こないだ、実家に電話した時に、ジッチャンが危篤状態という話を聞きました。

取り敢えず、山は越えたそうで、今は持ちこたえてるそうなので少し安心はしてますが。
でも、いずれ時間の問題で、迎えるべく時間は刻一刻と、無情だけど穏やかに、刻んでるみたいです。


老いれば必ず、迎える覚悟をしながら生きていくものなのかもしれません。
でも、その電話で聞いたのは、祖母ちゃんや家族が来た時に、涙を流したのだとか。
喋れないけれど、感情はそのまま。
肉体は衰えるかもしれないけれど、心や感情は、ひょっとしたらずっと輝き続けてるものなのかもしれないなって。


誰だって死を受け入れて生きるということは、しんどいことだと思います。
自分がもし、今のままで「死」と隣り合うことがあったら、まともでいれるか疑問です。

100年近く生きてるうちに、ゆったりと受け入れていくものなのかもしれませんが、やっぱ、老いた今も尚、近しい人達を視て涙を流すということは、それって今の自分も老いたジッチャンも、そんなに心境的には違いはないのかもしれないな、なんて思いました。

充分生きただろう、とか、ただ受け入れるだけの他人事ではいられず、涙したって話を聞いた時に浮かんだ想いは、『可哀想』。
今自分はまだ若いけれど、ジッチャンとの間にあるのは『年月』という隔たりだけ。

死にたくないという想いや、恐いと感じる想いは、きっと自分とそんなに違わないんじゃないだろうか(語弊はあるけど)。

そう思うと、同情もあるし、名残惜しい気持ちで一杯になるし、可哀想になってくる。
こういう時に涙は気付かぬうちに湧いてきて、人の人生の貴重さを噛み締めます。


人の心の中で生き続けるとか、忘れない限りは死なないとか、それとはまた違う次元でリアルな喪失感は、出来れば一生味わいたくはありません。

近い存在を亡くすということの悲しみを、本当の意味ではまだ味わったことはないのかもしれません。

考えたくもないけれど、親も、祖母ちゃんだって、いずれは兄弟も、そして自分も。
いつかはこの世から無くなって、新しい命の糧になっていくんでしょう。

でも、もしその時が来たら、きっとその気持ちを誰かに分かって貰いたい。
そんな風に思うんじゃないだろうか。
『人は最後まで孤独』という言葉もあるけれど、その気持ちに付き添える限り最後まで隣り合うことが、一番寂しくさせない方法なのかな、ってちょっと思いました。



あなたは1人じゃないよ、見守ってるよ。
ずっと忘れないよ。いつかの晩餐で、話のタネに上がって笑い合いながら思い出したりするよ。
あなたの育てた子供達や、可愛がった妹の孫達は、ジッチャンの存在感も人情も、面白さも繊細さも、受けた恩も与えられた愛情も、無くさないで暫く生きていくよ。

孤独や寂しさや名残惜しさは拭えないかもしれないけれど、ちゃんと想ってるから。

その時まで、思いっきり生きて下さい。


遠く離れた地より
文では伝わらない、真心と愛を込めて。



…いや、生きてるからこそね!

2012年10月20日土曜日

BINGO!

寮祭が開催されました。

いつも、高額な景品がズラリと並び、無料の料理が所狭しと並ぶ、リッチな寮祭。
今年の景品の総額は、なんと80万らしいw
掛け過ぎ!

去年は仕事の都合で参加出来なかったので、今回こそは!
ってことで仕事が終わってから即ビンゴゲームの申し込み。笑


そんで!
ビンゴゲームが始まってなんと。。

一番最初のビンゴに!笑

これは凄い興奮!


景品はなんと。。
iPod touch!


持ってる!笑



要らない、、ことはないけど、今新しいiPod touchを発注してる最中でして。。
どんだけApple運が強いんだろうか。苦笑


どうしようかな。
誰かにあげようかな。。

売り捌くよりは、誰かに喜んで貰いたい性分なもので、どうしようか検討中でございます。
父親が欲しいとか言ってたんだよなぁ。。

でもなぁ、、宝の持ち腐れにはして欲しくないから、、



嬉しい悩みですw

2012年10月19日金曜日

『魔のぞーん』

部屋の中に、5年くらい手を付けていない「魔のゾーン」がある。

観なくなったVHS、履かなくなった上履き。
毛布や長靴が、所狭しと放置されている、廃れたエリア。

「魔のぞーん」



先日、とうとう現実と向き合いました。

負のオーラでもあったのか、そこを奇麗さっぱり、まるで新居のように奇麗にしてみたら、想像以上にスッキリした印象に。笑

白と黒のコントラストが際立つ、とてもシックな雰囲気の部屋に変わりました。

ゆっても、一畳程度のエリアだったのですが、そこが奇麗になっただけで、なんとなく心の余裕も産まれて、空いたスペースの分がそのまま心に加わったかの様。
オーバーかな?


で、観なくなったVHSの中には、いろーんな思い出の作品達が埋もれてました。


片付けながら、およそ10年前に録画した、「耳をすませば」を観る。

昔のCMを観ながら、『10年前から液晶テレビって普及しつつあったんだなー…』とか『ミキプルーン懐かしー…』とか思いつつ、耳をすませばに魅入る。
やっぱ、ジブリ作品を観る度に思うのは、自分の視点がその都度変わってきているなという事。

子供の頃は、憧れのような気持ちを抱いて観たりしていたのが(今もそれはそうだけど)、主人公を見守るような目線になっていたり。
昔は視えてなかったことが、今は視えていたり、逆に視えていたことが視えなくなっていたり。

そういう意味でも、本当に面白いなーと、思う。
ちょっとの描写も、街の中の雑音でさえも、ジブリを通して観ると、愛おしさを感じてしまうよw

あとはー、、昔夢中になってたバンドのLIVE版とか、深津絵里の撮り溜めてたドラマ集とかw


青春時代の思い出が今、蘇る。笑



今となってはとてもシックな空きスペースだけど、空いたのは空間だけで、心は満たされてます。
この調子で他もどんどんシンプルにしていこうと思います。


順次、読まなくなった本や漫画を、あげたり売ったり、寄付したりしている最中。



自分が暮らした証が無くなっていくのは若干寂しさを感じるけれど、生涯をここで暮らすわけにもいかんしねw

なるべく愛用のMacに詰めて、身軽さと洗練さを兼ね備えた部屋に住んでいたいです。




次は、『雑多品地帯』を攻めたいと思ってる。


あ、そうそう、なんかね、『魔のぞーん』を片付けたら、部屋の音響もビックリするくらい変わったんだけど。笑
対して量なかったんだけど、反響ってちょっとしたことでも影響するんだねってビックリした。



自分の空間を、もっと洗練していきたい。

2012年10月15日月曜日

pieces.

ずっと笑ってたいとか。
素直な気持ちでいたいとか。

そう思ってるのに、ちょっとしたことや、ちょっとの嫌がらせに腹を立てて、そう想ってたことを簡単に忘れてしまう。
それで、自分が抱く想いとは真逆の気持ちに心が占領されて、その時々で感じた苛立ちや汚い気持ちをぶちまけて、ちっとも自分の中で消化しきれない辛さに変わる。

それは、自分の中の悪意に負けてしまうってこと。
それは、こう在りたいと願う自分の『芯』を見失うこと。
それは、描いてた未来を糸も簡単に捨ててしまうということ。


誰かが何か面白くないことや、自分の意図にそぐわないことをしたからといって、自分の理想を捨てたり忘れたりして、自分自身が怒りに駆られて失敗して良いという道理なんて、これっぽっちもないと思う。

自分さえ、心の中で納得出来る『芯』を見失なわなきゃさえすれば、それに納得出来てる限りは、きっとどんなことにも素直でいれるし、いたずらに人を傷付けるようなことをしたりは、きっとしないと思う。



だから、何かに躓いたり苛立ちや納得のいかない事があったら。
その都度、「自分はこう在りたかったよな」って、思い返してさえすれば、少なくともあとで後悔するような事態にはならない気もするし、そう思い返すことが唯一、自分を平常心だとか変に凝り固まってない気持ちでいれる為の術に成り得るのかもしれないな、って、思った。

それが、自分にとって「芯」があるということなのかもしれない。




誰かが何をしても、間違いやミスを犯したとしても、自分が「芯」を見失って、自分さえも見失って良いなんて道理は、微塵もない。


だから、〈私はこう在りたいと願ってる〉。
それだけで事は足りるのかもしれないと思う。


こういう想いでいたい、これをこう伝える気持ちでいたい、
誰かに何をされても、それを忘れなければ、良いんだと思う。




誰かを傷つけることが望みじゃないし。
自分だけふんぞり返っていたいわけでもない。

理想に障害が現れても、「こう願う」って気持ちを自分の中で忘れずに、怒りや苛立ちが訪れる度に、「こう願ってた自分」を思い出すことさえ忘れずにいれば、素直な気持ちと向き合えるんだと思う。
素直でさえいれれば、分かち合うことに向き合えると思うし、誰かの痛みを無視してまで自分の我やプライドや正義を押し売りしたりして、嫌な気持ちに満たされることは、少なくなれるのかもしれない。



自分にとっての「芯」を見失わない。
いつも願ってた正しいと納得した気持ちを、負の感情で充満させない。

色んな場面で言えることなのかも。


愛と憎を自分の中に観た時に、どちらが本物なのかを問い正せば、絶対に愛を取る筈。
それを、稀に訪れる僧に占領されて、嫌な想いをするのは、誰だって良い気がしないと思う。



自分がどう願って、どういたいのか。
どんな負の感情が襲ってきても、
それを忘れずに、自分の納得出来てる「芯」を忘れずにいれば、
きっと良い未来が待ってる。




自分探しの答えは、誰かと向き合うことで得られることなのかもしれないね。
今までの色んなことに、感謝。
そして、負で覆われた過去と自分と、大切に出来なかった言葉達に、謝罪。


ありがとうと、ごめんね。


どんなに歳を取ったって、三つ子の魂は百まで続く。
どんな大層なことを言ってたって
後ろめたさや、なんか納得いってない様なモヤモヤ感があるなら、その都度向き合って納得いく気持ちと出会わないと、気付かぬうちにグロテスクな心に支配されていくのかもしれないね。

人を恐れたり、悲しさで満ちた人生にはしたくないから。

自分が笑っていたい未来と、真っ直ぐな気持ちでいつもいれる人生で在れるように。
何を願ってる自分がいたのか、嫌なときはそれを思い出そう。


分かち合えないものを、分からせるでなく
「自分はこう在りたい」と願ってる、そこから発信出来るものだったら、結果はどうあれ、納得のいく結果には繋がっていくかもしれないから。

泣きたいくらいそう在りたい。

2012年10月13日土曜日

ヨガ。

始めました。笑


と言っても、本格的なものでなく。


その名も、『寝たまんまヨガ』。



身体を緊張させた後の弛緩を利用した、全身をリラックスさせるヨガ。



ヨガって何なのか、いまいち分かっちゃないけれど、その効果だけは実感。
例えると、30分程のヨガで4時間くらい熟睡したかの様な回復力がある。。様な気がしてる。笑



基本、自分の身体や周りの空間に気を配って、余計な力みや雑念を取っ払う。
余計な動作や緊張が取れるので、その分 自分の身体に意識が向いて、回復力高まる。
みたいなw

まるで「瞑想」



幼い頃から武道をやってきたので分かるのだが、ヨガって本当「瞑想」に似ている。


雑念が浮かんだら、それに『雑念』というレッテルを頭の中で貼る。
全ての思考に『雑念』というレッテルを貼れば、頭に残る思考は無くなる道理。
それで余計な力や考えがなくなり、身体に純粋に意識が向く。

何も努力しない、完全なリラクゼーション。
ヨガは、『雑念』というレッテルを貼らずに、言葉や所作で身体の隅々まで意識を向かせる手法みたい。

凄い効くなー、と思ったのは、まず最初に身体を力ませて、緊張を産んだ後に力を抜くってヨガ。
これやると、一気に余計な力が抜ける。


そんで、呼吸に意識を向けて、身体の部位ひとつひとつに意識を向けて、自分のいる空間や大地、地球にまで意識を向ける。笑
これね、意外にリラックスとリフレッシュに効果絶大w


寝たまんまやってるヨガなんで、本格的なものではないんだけど、これはちょっと『ヨガ』に関心湧く。



会社でヨガ教室あるんで、チャンスあったら通おうかな。。
わからんけど。


精神統一と、心の澱みを無くすには最適かもしれないね。
ヨガ。


静けさと、意識を観察するヨガ。


うーむ、良いな。
ヨガりまくろ。



2012年10月11日木曜日

涼、この頃。

10月になってから一気に涼しくなってきましたね。
どうも、僕です。

このくらいの涼しさに懐かしさや気持ち良さを感じるのは、東北人だからなのでしょうか。

暑くて死ぬのと、寒くて死ぬのとだったらどっちが良い?

子供の頃から議論してきたことです。


俺は断然寒くて死ぬ方が良い!



暑さに弱いのが、東北の人。
と勝手に思ってます。




秋田の冬は、本当にしばれる。
けど、その寒さや極寒の容赦ない風、見渡す限りの白。
唾を吐いても座標を大きくずらす強風や標高が高い故に空を近く感じるような東北ゆえの環境は、私大好きです。

そう、私は東北の人。




秋田で学んだことも、得たことも培ったことも、関東圏に永くいることで忘れがちになるけれど、体重が増えても服の趣味が変わっても良いことしても悪いことしても、紛れも無く私は「東北の人」なのです。



この歳になっても訛りは取れないし。笑
歌ってたって訛ってるって言われるくらいに、東北の人。


最近、一番強いのはどういうことかって、考えるようになってたりしたけど、なんのことはない、自然体でいることが誰にとっても最強なんだと、ハタ!と気付きました。w


だがらぁ、東北人は東北人らしくいれば良いのだ。



涼、歓迎!





早く冬になれば良い!


田舎のプレスリー♪

感情漂流。

ずっと笑って過ごしてたり、前向きな気持ちで物事を捉えて良い事に向かっていく強さを手にして暮らしてたいって思ってるけど、ちょっとしたことに腹を立ててみたり、上手くいかなくなって気持ちを周りに撒き散らして誰かに迷惑を掛けたり。

実際は想いとは真逆のとこに来てしまって途方に暮れたりしてるのが大抵の現実で。苦笑

人が変わることはとても、とてもとても難しいことだけど、変われないわけじゃないと、自分では思ってる。
人にはそれぞれの立ち位置があって、それぞれの都合があって、いつもそれを分かっていれるわけじゃないけれど、ちょっとは頭をかすめる程度でも気持ちの余裕を、いつも持ってなきゃ理想像を語る資格もないし、全てを分かり合えるなんて到底出来ることじゃないと思う。


「ずっと笑って過ごしてたり、前向きな気持ちで物事を捉えて良いことに向かって行く強さを手にして暮らしたい」
そう思ってるなら、嫌な気分が来たときに、それを忘れちゃ何も変わらないんだって、少し思った。
少しは信じていなければ、嫌な気分に負けるってことになってしまう。

そういたいなら、少しでも自分の居たいところに留まったり辿り着く為には、その時の感情に負けてちゃいけないんだと思う。

それは、あらゆる場面でそうだと思う。
家族に対しても、友達に対しても、大切に想う人に対しても、同僚に対しても。
誰に対しても。


いつかその気持ちが本物になって、良かったなって思える日が来るとベスト。
笑って暮らしたいって、誰だって思うのは一緒だと思うから。

伊達に目指すものを目指してるわけじゃない、下らないことかもしれないし当たり前のことかもしれないけど、理想はすぐに崩れたり忘れたりしてしまうから、こうやって旗を突き刺すくらい自分に言い聞かせないと、そのフレーズすら忘れてしまう。
何かを変えるには、自分が変わらない限りはその繰り返し
何を求めて暮らしてるのかをその都度言い聞かせて。

本気で生きたって思って人生の終わりを迎えるためにも、精一杯ベストを尽くしてきたって思える生き方が出来たら最高だな。


人生を映画にした時に、見劣りすることがないくらい、本気な人生を歩めたら。



本気な想いや、辛さや、幸福や、切磋琢磨。



小手先だけで生きてちゃ、絶対ダメ!


言い聞かせて生きてます。笑


怒り新党。

ひょっとしたら初めてかもしれないなー、と思うくらい、面白い番組と出会えた気がしてます。

有吉とマツコの、『怒り新党』。


いつも、何かしょうもないことについての文句だったり、何かモチベーション的なことを議論し合ったり、マーケティングから世論と本質を見極める話をしてみたりw

とにかく、視聴者目線を越えて、本人達の熱量で話をしてるので、まるで飲み屋で誰かと会話した時のような(笑)、何かを得る感覚を味わえる番組。笑

面白いなー、と思ったのは、『歌の価値』について話してた時とか。
今の歌は、大衆のニーズに応え過ぎてて、例えば青春の汚れない時とか美しさだけを唄っていて、人生についての歌が少な過ぎて、女子高生が聴くような歌にはお金を払う価値がない!とか。。w

確かに。。痒いとこを掻いてくれてるような感じ。

「今胸張って言うよ」とか「心から言うよ」とかねw

そういう時もあるけど、歌って自分じゃ気付かないとこを気付かせてくれたり新しい何かを、誰か別の視点から物事を視た時のことを伝えるからこそ価値があることじゃないのか、的なことを言ってた気がする。
今の歌で涙流したりする子がいるからこそ、今の歌も売れるんだろうけど、同じ熱量でニーズに応え過ぎてるから、それを聴く人や観る人の思考が停止して、どんどんなんでも受け入れられるような下らない大衆文化になっていく…的な。

深い。。!
面白いでしょ。




マツコの熱さと、有吉の公平さ。
すげーマッチングしてて面白れー。



そういえば、子供の頃は、「世界まる見えテレビ特捜部」を家族皆で観たりすることがちょっとした行事になってたり。
今だと兄貴が「世界の果てまで行ってQ」が同じようなポジションになってたり。
そういう、特別な想いで観る番組が自分の中ではあまりなかったけど、「怒り新党」は自分の中ではそういうポジションになってるかもしれないw


…生き物地球紀行、またやんないかなー。

2012年10月5日金曜日

わっためがして。

つい今しがた、学生時代の思い出の人と、Facebookで再会しました♪

その人の影響は割りと自分にとって計り知れないものがあって、共通の知人を介しての再会。

向こうも覚えててくれてて、凄い嬉しかったなぁ。

今でもその人から貰った言葉は、色んな場面で思い出すことが多く、今から出勤するけども、いまだにやる気と勇気を貰える気がします。

俺って、姉ちゃん多いな〜。笑


頑張るっす!

食。

断食に関心があります。

三日くらい続けた時に、生存本能が目覚め普段感じない程些細な周囲の情報にも、敏感になるのだとか。笑
何より、生きてるって実感を凄く味わうって話。
健康にも良いみたいですね。断食なのに。笑

今度三連休で何も予定無かったらやってみようと思います。
断食レポートをしてみたいw


断食じゃなくても、今後は少し食生活を変えてみようかと思ってます。
独身じゃないと出来ないことでしょうけど、例えば、腹が空かない限りは何も口にしないというやり方。
腹が減ってないけど、時間がきたから食を摂る。
昔からやってきたことだし、リズムを守るのは大事だと思うけど、これだとオーバーカロリーになってる時とか多いと思う。
良いか悪いかは別として、野生動物みたいに、空腹の時だけ食事を摂る。
どんくらい続けるかは分からないけど、ちょっとチャレンジしてみよう。

体重も減らしたいし。

一食一食を噛み締めて食べられると良いな。


何も食べないで、眠らないでいたら、何か見えるのだろうかw

それでぶっ倒れたとしても、ネタになると思えば、面白い。

2012年10月3日水曜日

みそ汁とスカイダビング。

みそ汁って
凄い美味いなーって、最近よく思う。

余計な具が入ってない、豆腐と葱のみの味噌汁。
早朝の誰もいない食堂で、一人きりで
熱々の湯気が立つお椀を持って、少しだけ啜るひとくちめ。

「…っんー…」

塩分と、熱さと、ほっとする一息。


美味し!


子供の頃はあまり熱い食べ物に頓着なかったけど、歳食ったせいか、熱い食べ物の有り難みと、美味しさに五臓六腑が満たされる喜びが分かってきた気がする。笑

みそ汁は、最高に美味い!
これが言いたかっただけです。



そんで、スカイダイビング。
今、中居正広の仰天ニュース観てたら、88人のロシア美女スカイダイバーが世界記録を狙うっていうやつを紹介してた。

スカイダイビング。
前にオーストラリア行った時、チャレンジしたものの、悪天候につき泣く泣く断念。
スカイダイビングは、一生に一度は(実行したら一度で辞めれるかは分かんないけど)、絶対にやってみたいことだ。
夢です。

運命みたいに逃れることが出来ない「重力」から解放される瞬間を、死ぬ前に絶対味わってみたいと、思う。
ドラゴンボールの孫悟空みたいに、空を身体ひとつで飛び回ってみる。
実に最高だろうなぁと、思う。

いつか絶対、やってみる!
その時がきたら、このBlogでUPしよう。笑
写真付きで!



あともう一つ。
人生哲学じゃないんだけど、ふと思ったことがあって、綴っときたいと思う。
「熱を持つものは、光を放つ」ということ。
火も、溶鉱も、人も。
熱いもの程、赤く周囲を照らす。
特に意味はないけれど、なんか真理っぽいなと思って、綴ってみました。笑

熱くなればなる程、光を放つってこと。

なんかちょっと、頑張れるよね。



じゃ!

腰痛。

肩こりが発生したものの、寝て起きたらある程度楽になっていました。
が、しかし。
いきなり原因不明の腰痛発生w
肩こりから来たのか?

腰を折れない程の痛さに見舞われて、ずっと背筋良くしてないと腰骨ずれるんでないかいという感じで、一日限定年寄り化しておりました。

そんな中、九十九里へ温泉旅行へ行くハメに。


最初こそ天候は良かったけど、次第に雨が降ってきて、最後には豪雨と化してました。笑
まぁでも、温泉浸かったらなんぼか腰痛改善。
行って良かったということかw


もう10月かー…
早いですねー。

やる事多過ぎて、てんてこ舞いです。

なので、昨日、今日、明日と骨休めの意味でも3連休を取りました。
旅行に行くかも検討したのですが、結局予定が合わず断念。

仕事を持ち込みつつ、家でゆっくりしたりしようかと思ってます。
突発的に遊びに行けるのが連休の良いところ♪

本日は散髪に行って参ります。


雨は好きです。
心が静かになって、穏やかな気持ちになれる。

由無し事になりましたが、綴ってみました。
それでは。




2012年10月1日月曜日

肩こり。

めっちゃ久しぶりに、右肩に強烈な肩こり発現。

首を傾けると、脳みそに鈍い重みが発生。

マッサージ行きてぇ〜



バイオハザードの最新作を観てきました。
あんだけ中身の無さ過ぎる映画も、めったに無いと思う。
バイオハザード2のシエンナ・ギロリーが素敵過ぎて、バイオハザードシリーズが出る度にチェックしてきたけど、本当、思考停止するのには最適な映画だと思いました。

最近、愛車オデッセイの車内を、徹底的に奇麗にしてみました。
片っ端から掃除機掛けて、要らないものをどかして、身軽になったオデッセイ。
中が奇麗だと、乗ってるだけで優雅な気持ちになれます。
まるでCMに出てくるように、かっこ良くてオーガニックな曲を流して、街中や橋の上を走るマイカー、オデッセイ。

オデッセイは、「長い冒険旅行」という意味があるらしい。
凄い、自分にとって最高のマシンだと思う。
シックリきてる。笑

『優雅』、今目指したい生活のテーマかもしれない。

echoes,silence,patience&grace

反響、静けさ、忍耐、そして優美さ

好きな音楽を聴いて、好きな乗り物に乗って、好きな場所に行って、好きな人達と夜を明かして。
今だからこそ出来る、自由な冒険旅行。


肩こってる場合じゃねぇ〜

2012年9月30日日曜日

血筋。

明日から、会社が大きくなります。

これまでを振り返ると、嫌なこと7割、良いこと3割(あれば良い方?)の比率で、今こうして素直に笑えてることが不思議なくらい、苦渋も苦悩も味わってきました。

大体もう、自分にとっての諦めや身の丈に合う程度の望みしか持ってなかったりして、あまり多くの期待を自分に抱いてはこなかったけど。
けど、それでも最近思うことがある。

自分の仕事ややろうとしている事が認められると、血が逆流しそうなくらい「面白い!」って思うし、求めていることや求められていることが何なのか考えて、その末に核心に迫った答えを自分が出せた時の達成感や自信は、仕事以外では得られない感覚だと思う。

自分に期待していない、将来は諦めている、って思ってしまう気持ちとは裏腹に、そういった何かを求めたり追求しながら「面白い!」って感じるってことは、なんのことはない

自分は何も諦めちゃいないし、むしろ目立ったり自分の限界を越える様な力を発揮したりして人に認めらたい、そんで自分のやったことが誰かの役に立ち、より多くの人の目に留まる様な成果を、出来るだけ長く残したいと自分は心の底で願ってるんだなぁと、恥ずかしながら思ってたりもしまう。苦笑


血筋なのか、何をやってても目立つことにあまり抵抗がないのか、悪いことも良いことも、割りと目立ちやすい性格だと思います。
社会に出て、多くの優秀な人達と出会って自分の身の程を少しは知ったつもりです。
でも、性格や性分は、あまり関係がないんだなとも、思う。笑

実力は大切だと思う。噛み締めるほど、実力の大切さは分かってるつもりです。

でも、リーダー性分というか、ほっとけない性格っていうのか?
誰かとでもそうだけど、苦労を共にしたい、出来る限り力になって一緒に解決したい。
自分だけのほほんとしてられる様な、傍観的で他人行儀な態度は、未だに取れません。
別に格好付けるわけでも、そこに酔いしれるつもりは微塵もないけど、どんなに偉い人でも、自分の力が不足していても、やっぱ「その場」には一枚噛まないと気が済まない性分です(いや、言う程そこまでダメでもないけどw)。
勿論弁えるべきことや立場に見合う行動やその加減ってのは、ある程度わかってるつもりです。


目立ちたい!とか、出世したい!とか強く願っているわけでもないし、普段はそれに気付くことは少ない。

でも、自分の感情を振り返ると、きっとそう思ってるんでしょうw
より良いやり方や、良いことを、自分は知っている!と、どこかで思ってるに違いない。笑 通用しない時のほうが断然多いかもしれないけど。


だけど
隠せない。

いつまでも自分を信じてる辺り、馬鹿なんだと思う。
「全然応えない、凹まない」、昔から言われてきたのが証拠なのかもしれない。
恥ずかしいし、本当はもっとクールに決めたいんだけどね。
前向きなのか、つか前しか見えてないから失敗出来るのかもね。苦笑

3子の魂百まで。


祖母ちゃんとか、祖父ちゃんとか、兄貴とか、父親とか、家族の誇りを胸に、劣等感と自負を背負って、明日からも頑張っていきたい。ある程度。笑

やっぱ、誇れる自分に出会いたい。




頑張るでぃ。

2012年9月28日金曜日

BURN NOTICE.

大好きな海外ドラマ、BURN NOTICEのシーズン3DVD-BOXの安価版がやっと発売されました。

シーズン真っ盛りの頃に同じ内容のBOXを買うと、1万円くらいするので、大体いつも安価版(3500〜5000円)が出てから買うようにしてます。笑
ジェフリードノヴァンが本当、かっちょえ〜


人に優しさを伝えることって非常に難しいって最近思います。
威厳も尊重も、敵意も害意も、関心も無関心も乗り越えたところに、自分と向き合ったところにしか本当の自分の優しさは見つからない気がします。

人間関係にはメリットデメリットがあるかもしれないけれど、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかで語り尽くせない想いがそこにはあると思います。
手に入らなければ弾けてしまうくらいの想いとか、想い通りにならなければ壊れてしまうくらいの絆だとか。
そんなんばっかで人は生きていないから、求め合ったり与え合ったりして、自分の居場所を探して、気持ちを癒して前に進んでいくんでしょうw

どこまでいっても分かり合えない様なものなら、いっそ傷つけ合うのが人間の性であるのかもしれないけれど、傷つけた分、同じ分だけ傷ついて、ひとつを半分でなく、同じ苦痛をふたつで以て「分ける」でなく「分かち合う」ことに繋げれば、それで少しは優しさに近づけるのかもしれない。
咎め合うことに何の意味もないことを、中国人や韓国人、日本人は「分かち合う」ことが出来るんでしょうか。笑

そこに何もなくても、矛盾も正しさも、主張も不満も全てを飲み込んでいく自分だけの我欲に乱されない『優しさ』と隣り合える強さを理解したい。


それは、自分だけの問題。
疲れ果てることに疲れるだけの気持ちの機微なんて、はがゆいし、切なくて空しいだけ。
人の主張は置いといて、少し独りになりたい気分。



要充電(″∇″)

2012年9月13日木曜日

小銭。

500円貯金ならぬ、小銭貯金。
財布に溜まった小銭を、適当に缶にぶち込み続けて早くも2年(詳細はわかんないけど)。

そろそろ缶が満杯になったので、先ほど銀行に行って両替してきました。

せいぜい5、6千円程度だろうなー、なんて思いつつもiPhoneを弄りながらイスに座って待っていると、
『番号札62番の方ー』
と、銀行員の声がこだまする。

呼ばれたのでカウンターへ行くと

2000…
の文字。

え、2000円ぽっきり!?…と思いきや…

0がひとつ足りない。


なんと、2万円もの大金になっていた!!




うぉおー



まさかの小銭で2万円も溜まっている事態になっていようとわ!
まさかの臨時収入。

先日、兄夫婦の出産祝いにチャイルドシートを送ったお金の一部が、返ってきた。笑
これは嬉しい。

塵も積もれば山となるってのは本当だね。

これからも期待しないで小銭貯金を続けよう♪

今日はnice day.

2012年9月10日月曜日

囃子の音色。

今日は地元のお祭りが開かれている模様。

父親から電話が鳴り、囃子の音色を聴かせてくれるのはもう何年も恒例の行事になりました。笑
これを聴く度に、青春時代に夢中になった囃子方のことを思い出します。


毎年、6月頃から囃子の練習が始まって、地域の山車ごとに夜な夜な集まっては子供から大人まで皆祭り囃子の音色に夢中になる。
あの高揚感とか躍動感はいつまで経っても忘れられないなぁ。

和の『粋』なスピリットを音で表現して踊り明かすこと程、心躍り期待に胸膨らむことはありません。

練習終わっても囃子の音色が耳に残り、口笛を吹きながら友達と家路につく夜道。


最っ高に人生が楽しかった日々です。




今となっては遠い地で、あの頃の感動を生で味わうことも出来なくなって。
少し悲しいけれど、自分の心に染み付いた囃子の耳障りの良いあの音色は、きっと死ぬまで褪せないんだろうなと、満足な面持ちで思ってます♪



祭り最高。

優しい歌。

いい人や悪い人の定義なんて、大体が自分にとって都合が良いのか悪いのか。
そこだけで決まる事が多い様な気がしてる。

本当の優しさって何んなのか、大人になって社会人になった辺りから、よく考えるようになった。
自己犠牲なんて、そう簡単に出来るもんじゃないし、相手によっては馬鹿をみることも多い。
てゆか、そんな大層なことが出来る程の器でも、力量もないかもしれないけれど。
でも、それについて真剣に考えて、自分なりの答えを見つけることは大切だと思ってる。


口で言う言葉とは裏腹に、心の中は常に揺らいだりしていて、受信した側は送信されたものが全てなわけで、出来うる限りにピッタリな表現だとか、誠意を持ったものを自分の中から探し出して、発信者は送信しなくてはと思う。
何度も失敗してるからこその教訓で、いつも頭からつま先まで後悔してるからこそ出来上がった、自分の中でのモラルではあるけど。


けど


それもまた、凝り固まった考えだったりして。笑
何が正しいとか、間違ってるとか、それを求める事自体が無駄なことなのかもしんない。
何が功を奏すのかとか、ハッキリ言って馬鹿には分かんないことなんだよね。


思ったのは、大人になるにつれて人は、寡黙にならざるを得ないのかもねって事。
でもそれは、優しさからくるもので。

察したり、悟ったり、同情したり。

背中で語る、そんな大人に、おっさんに、くそじじーに、私はなりたい。
優しさと寡黙は、イコールで結べるって、そう信じてる。


抽象的で自分しか分かんない話ですけど。

どうせ誰も読んでねーBlogだし、イイベ。
ひょー!


2012年9月8日土曜日

ロックンロールは生きている。

職場で班のメンバーが一新した。

ひょっとして4班あって一番まともな感じじゃなかろうかってくらい、円滑な人間関係。
それぞれに思惑はあっても、基本的には皆チームを重視していて、良い雰囲気を築いていけそうで、日は浅いながらも久々に楽しく働いてます。

もう、しちめんどくさい事は考えないで、全身全霊で働いて、無い知恵を絞り出して、流れるプール逆走してるみたいに、全力で走ってもやっと少し進む、みたいな疲れ方をして、ただひたすら全力で自分の壁をブチ壊していきたい。

何かにすがったり執着することをやめることで、新しい力に目覚めたり、反骨心を活力にしたり、前に進むことで得るものは大きいけれど、同時に失うものも多かったりして、両者を比べた時にどちらが重いかって問われたら、未だにハッキリ言って分からないことばかり。
色んな風に色んなことが変わってしまったけど、それで今の自分の方向性が正しいのかどうかなんて、所詮すがったり執着してた頃の自分に問うているようなもんで、自分の正当性なんて考えてもあまり意味がない様な気もしてる。
その時その時でその時の理由があって、その時しうる最良の選択をしてきてここまできたのだから。


ポテンシャルなら無限大にあるような気がしてる自分にも、周囲と比較した時のあまりにも無力で無能な自分を曝け出してるような時でも、いつでも思い出すべきことは、ひとつで充分なんだと思う。

自分がわかるように、ゆっくり、ひとつひとつ噛み砕きながら、納得しながら。

これが自分のスタイルなんだと言い聞かせれば、大体劣ることもなく昔の自分に立ち戻れる。
見劣りすることなく主張して、無我になって夢中になって。
ひたすら自分の力だけで進めるとこまで進んでみたいって気になって。



どこまでも追求してめんどくさくなって、行き詰まって、苦しみ抜いた挙げ句に吹っ切れて。
実はそのくらいが丁度良かったりして。




結局は自分に正直でいることでしか、自分にとっての一番楽しい生き方はないんだと思う。



こうして書き連ねることでも、少しは溜まった憂さも晴れる。

人のために遠慮なんてしていたくない、今はそんな気分。

いっぺん、自分の思ってることを全てぶちまけて、俺の思う通りに事を運びたい衝動に駆られるけど、いつも腰抜けな自分が邪魔をして自由に動けなかったりする。
だから、こざかしい手を使ったり、上手い立ち回りをして軌道修正ばっかしていくけど、ロックンロールは生きているって自分で言えるうちは多分この葛藤とか反骨心と付き合っていくことになるんでしょう。笑

そもそもなんだよ!
ロックンロールって!


ただのジャンルだろうが!



…大抵のことはどうでも良いよね。

このBlogも。


なんだよ、わっためがすって。笑


秋田弁。




2012年8月30日木曜日

youthful days.

関東圏はなんで、太麺のラーメンがこんなにも多いのか、、意味がわからない。。
うどんで良いじゃん。。
細麺のちぢれ麺と、とても味わい深いスープとの相性がマッチングした時のあの、、
これぞラーメン!って味を、垂涎必須のあの五臓六腑全部で欲する程のあの味を、体験したことがない人が多いのだろうか。。

味覚も人も、千差万別とか言って納得出来るほどの人物じゃないし、理解不能なことを無理矢理理解しようとする程馬鹿じゃないです。

太麺の、太麺たる所以を納得するようなラーメンに出会ってみたいものだ。





子供の頃は、東北の大自然を懐にいつでも雄大な景色と共にありました。
家族とか知り合いとか、友達とか学校とか、愛されることにも愛することにも何の疑問も感じずに、ただ自分の空想とか遊びとかに夢中で、自然と調和する喜びだとか湧き起こる感情をそのままダイレクトに全身で表現していました。

大人になることなんて考えずに、ただひたすら『今』を感じるだけで、毎日が充実していた少年期。


仕事終わって帰って、駐車場に佇んで夜空を見上げると、昔となーんも変わんない雄大でミステリアスな宇宙が広がってます。
視線を戻して、自分の車を見て、子供の頃には持っていなかった自分の行動範囲の広がりやその制限の無さを、ふと感じます。
この車に乗って、行きたい場所へ行ったりすることも出来るんだなぁって。
子供の頃に思ってたことや、やりたいなーって思ってたことが今、なんの制限もなくただ眼前に広がってるんだなぁってなんとなく感じました。

やらないけどね。笑
面倒臭さとか、気力も大体60%だったりするから。

でも、自分に意味も無く理由もなく、なんとなく今の生活に縛られてる気がして自分の心や気持ちに制限をかけるのは、超ー無利益で不毛で勿体ないことかも…って思う。
1人で山に登ったり、1人で河を泳いだり、1人で修行したり。笑

そうこうしてるうちに友達が集って、遊びが広がっていって、新しい遊びが増えていった少年期。



世界が変わったのか、自分が変わったのか、聞くまでもなくわかること。



子供の頃の自分と言葉を交わすことが出来たら、きっと楽しいと思う。
どんな気持ちでそんな頃を過ごしてきたか分かるから、今も余裕がある時はその気持ちに付き合っていこうと思う。

肉体は老化していっても、きっと魂に年齢は関係ないから。

死ぬ寸前まで子供のように、冒険に憧れる気持ちを持っていたい。



…とか言って、あまり変わり映えしないんだろうけど。

でも、たまに思い出して、遊びに夢中になりたい。



なんか冒険したい。




…今年は海で素潜りとか自然に還ることが少なかったからか、なんか無性にアウトドアしたい気分。

2012年8月27日月曜日

i`m talking about lovin`

ミスチルの新しいLIVE DVD 「STADIUM TOUR 2011 SENSE-in the field」を買いましたよ♪

今、仕事を終えて晩酌しながら二周目観ています(^-^)

今回の一押しは、i`m talking about lovin`からのinnocent worldです♪
凄い軽やかに、緩やかに、流れてくるメロディーが、とてもinnocenseな雰囲気で、聴いてて心地良かった♪

やっぱ、ミスチルは良いなぁ。




休みに、高校時代からの親友が経営する会社に、バイトしに行ってきました。
エアコン設置とか修理の、仕事で、自分の仕事も電気に携わることをしているので、なんとなくノリで内容が分かるってことで、一緒に依頼主の家に出掛けて行きました♪

3件ほど、東京の街を廻って歩いたのですが、どこの家も同じような感じで。笑
どこの家にも、「私は詳しいんだよ」みたいな雰囲気を醸し出してる人がいます。笑
大したことないんだけど、修理に来る人に舐められたくないのか、何かとアピってくる様が、なんか面白くてw
自分も素人ではあるんだけど、なんとなくどこの家にも同じ様な人がいて、面白いなぁって感じました。
初めて修理人の視点で他人の家に上がって、こう視えてるんだなぁって、実感出来て楽しかったです。

これからは、そういう修理を依頼したら、口出ししないでいとこうと思います。
恥ずかしいし、基本相手にするのも仕方ないなぁって感じなので、あんまり口出しすると恥ずかしいもんです。って思った。笑
相手はプロなわけだしねw


同じ会社にとどまって、繰り返しとは言わないまでも
マンネリとした気持ちを、違う会社に出向いて、プロ意識を思い出す。
そうすることで、良い刺激になって、自分の仕事に携わる気持ちも良い意味でリセット出来る気がします。
どこの世界も、楽じゃないけど、自分が一番苦労してるなんて思っちゃ、面白くもなんともないです。
どんなに苦労しても、感謝されたり自分が役立ったことを実感することで、些細な仕事でもやりがいが生まれてくるように改めて感じました。

仕事は基本、楽しいもんだと思います。

それは、社会との、人との繋がりで成り立っていることだから。
基本的にはコミュニケーションの連鎖で、それを実感することで、自分の存在価値も、他人への優しさや思いやりも、自分の技能や技術を通してまるで鏡で見るように思い返していく。

仕事をすることで、自分を見つめ直す事が出来て、そして人と関わって隔たりを越えていく。
仕事はコミュニケーションの連鎖なんだなぁって、仕事は仕事ではなくて、人と人との繋がりの連鎖で成り立って、結局は楽しむことでやりがいが生まれてくる、良いもんなんだなぁって、思い返せました。笑
まぁなんてゆーか、良い刺激になったよと、そういうこってす。



今まで抱えてた問題も、別の視点で休み明けに出勤して、それとなく優しさをもちいって後輩と関われたり。
結局は自分次第なんですね。

抽象的だけど、普段自分がいる場所とは別の場所を体験することは、とても意義のあることなんだなって、勉強になりましたよ。



最近、1人でいる時は、基本漫画かゲームをして過ごしてます。

ハマっている漫画は「宇宙兄弟」で、やっているゲームは「アスラズラース」。

こういうものは、ちょっと前までは『意味がないもの』だとしか思えずに、何か夢中になれるものを探したり、それ以外で楽しめるものを必死で探していました。

でも、否定するようなものでもないし、かえって興味のあることを敢えて否定する必要もないなって思って、しかも独り身だから時間もあるし、やりたいことは成る可くやるようにしています。

本や映画を観るような感じで、自分の気持ちの息抜きに、良い感じに使ってます。
人と関わることが一番楽しいのは、分かってるけど、やっぱ独りの時間も大切で、どちらかに傾倒せずに、楽しくやってることが大事なんだと思います。




人生は、何が起こるかわからない。


だったらやっぱ、今を楽しむことが一番最良な生き方なのかもね。

そして仕事も
遊びも、それ以外の生活も


一緒に何かを共有することが出来る人が側にいるということは、とても幸せなことだと思います。
お互いを理解し合える人の存在は、自分の暮らしに彩りをくれます。

そんな人を、人たちを大切にして、それを守るためにも一生懸命誠実に生きて行きたいと、そう酔っぱらいながらに思いました。


二転三転、伝えたいことが転がりまくってますが、ほろ酔い気分で気持ちの良い感じで、綴ってみました♪



ミスチルのLIVEは、めちゃくちゃ良いね!

2012年8月18日土曜日

近頃の若者は。

社会人になって早8年。

まだまだ未熟者だけど、最近じゃ新卒で入って来る若者や後輩達に疑問を抱くことも少なくありません。

恐らくきっと、そんなことを言うと「お前が言うな。笑」と先輩や上司から私も批判されそうですが。苦笑

でもね、思うんです。
近頃の20代前半(下手したら後半にも)は、自分を何様だと思っているのかって。笑

てゆーのも、色んな出来事、経験から感じてることなんだけども、例えば

・敬語が全然出来ておらず、基本ため口。
・何かをしてあげても、それで当然。優しい先輩は良い先輩、厳しい先輩は悪い先輩の構 図。
・一端に観られたい願望が強過ぎて、筋の通ってない発言や自分に疑問を抱かな過ぎて遠 慮のない言動の数々。
・基本、上から目線(誰に対しても)。


全て失笑もんだけど、何に虫酸が走るかって、、


例えば、先輩が10年掛けて覚えたことを、半年くらいで効率よく後輩や部下に教えることが先輩上司の責務。
これ確かに。
そうだよ。正論だと思います。

でもね、これって、後輩の立場で考えるべきことだとは思わないんです。
先輩や上司が、自分のプライドとか費やした時間と葛藤して、自分の存在意義と内側で苦悩もしながら、積極的に教える。
人にもよるけど、複雑なことを自分なりにシンプルにして覚えて、それを伝えることの有り難みは、この歳になって本当に感謝すべき褒められた行為なんだって思います。

その行為に対するせめてもの返答は、それを当たり前に思わない、感謝するってことなんじゃないでしょうか。

教えられて当然、わかんないことを教えるのが先輩の努めなんじゃないの?的な思考回路の若者には、それ以前の教育が必要なんじゃないのかなって、そう思います。
頭の固い、前時代的な発想かもしれないよ?確かにね。

でも、仕事や社会をまわしてるのは人間で、そこには少なからず人情が介入してくるから、当然教えたいって思える後輩と、そうでない後輩が絶対先輩上司にはある筈。
しかも、時代は違えど、種類は違えど、誰もが皆苦労とか苦渋を味わいながら習得した技術だから、それを与えられた時は、せめてそこに敬意を払うべきなんだと思います。

たとえ、先輩や上司が、仏のように、敬語はなくても良い、惜しむ事なく与える。
そう言ってるとしても、「そっかぁ、アハハ〜♪」ってなって良いわけがないでしょ?
それは先輩上司のスタイル、そこに感謝するかどうか、当たり前と思うかどうかは後輩側のスタイルなわけです。

だから、当然と思ったりするような奴には皆がみんな、それで普通と思うような人たちばかりじゃないと私は思います。


謙虚に、積極的に、感謝とか輪を保とうと努力してる姿があってこそ、先輩や上司の苦悩に応えることが出来るのではないかって、そう思ってます。



与えられて当然、のスタンスは家庭の中だけにして欲しい。



まずその前に、教えたいって思える最低限の礼儀を身につけて欲しい。
それがわからないなら、いっぺん挫折して、自分のポリシーに頓挫して、3年くらい鬱病になって過去を悔やんでから出直してきてくれても良い。


それから落ち着いてもっぺん話し合いましょう。


…とは言わないけれど、そのくらいの苦労をしないと、こいつらマジでわかんねーんだろうなって、日々思います。

表面は、優しく言うようにはしてるし、厳しくも言わないけれど。
そこまで気を配らなくてはいけないのでしょうか?私たちは。



自分に言い聞かせてる面もあるけれど、本当は言いたいことだらけ。



でも、今日も抑える。
そんな毎日。



でも、俺だけ悩んでるわけじゃないし、職場は違えど、疑問を感じてる人は多いです。


皆がみんな同じ考えじゃない、んなことは分かってる。
でも、それだけで片付くような事柄でもないはず。


人知れず、闘ってる人達と人知れず摩擦が生まれないように、円満でいれるように、より良く世代を超えてうまくやっていけるように、そこのラインに立っていきたい。

2012年8月16日木曜日

風邪。

風邪をひきました。 

昔から、風邪をひくとオナラが出易い体質です。 

オナラと言えば、たぁちゃん(祖母)を思い出します。 


毎回、恒例のやりとりですが、 
居間でグダラーっとしてると、台所のほうから「ブッ!」っとたぁちゃんの放屁音が聞こえます。 
「にゃ、屁ぇこいで。」っと私が言うと、 
「あい、聞こえだ!良いー耳っこだごど♪」と返されます。 

都合の良い耳だけど、そんなたぁちゃんも一昨日で90になりました。 

おめでとう! 
たぁちゃん♪ 


末永く盛大にオナラしてね!

2012年8月13日月曜日

怖い話。

夜勤前だというのに、寝苦しい蒸し暑さにやられてます。
いっそのこと起き上がろうかと想い、今PCの前で『わっためがす』を開いてます。


『わっためがす』を読みにくる人が実際どれだけいるかわかりませんが、仮に「読者に皆さん」と呼びかけてみたいと思います。

皆さんは、怖い話をご存知でしょうか?

実体験でも、人伝てに聴いた話でも、作り話でも構いません。


私自身も、怖い体験は今までの人生で一度か二度、経験したことがあります。



しかし、実体験の話は結構洒落にならん要素も含んでいるので、今回は自粛しときます。



自分が思う怖い話の類いに、オカルト要素を含んだ《妖怪》話がいくつか思い浮かびます。




①クネクネ
②ヤマノケ
③八尺様


この三つは、ガチで怖い上に、話がシンプルゆえに想像力を刺激されて、身震いする程の面白さが魅力です。




怖い話はもともと大好きなので、もっと色んな物語を知りたいなー、とは思っておりますが、今日は、上記の三つの話を、めっちゃ簡単に紹介したいと思います。




では。。


①クネクネ
ある仲の良い兄弟が、田舎に帰省した時の話。
確かまだ10代後半の兄弟が主役だったと思います。
田舎特有の広大な田んぼで二人で遊んでいると、兄貴が双眼鏡で遠くを観ていました。
兄貴が双眼鏡を覗いたまま、固まっていたので、弟が声を掛けると、「観るな!」の一言。
弟は何がなんだかわからないまま、取り敢えず1人で遊びに戻ります。
暫くして兄貴の方を観ると、何やらクネクネと身体を奇妙に揺らしながら不気味に踊っています。
怖くなって、急いで祖父の家に戻って、その状況を伝えると、祖父が
「お前も観たんか!お前はどうしたんじゃ!」と血相を変えて聞いてきます。
弟は「観たって何を?」と問い返すと、祖父は「…観とらんのか、、良かった…兄のことは、仕方なかったんじゃ…」と何やら諦めたかのような態度です。
祖父母と一緒に兄のいる田んぼに戻ると、まだ異様な様子で踊り狂っています。
クネクネ、くねくね、と。

異常な状態の兄をなんとか連れて、祖父母の家に戻ると、父と母も田舎に戻ってきていました。
皆一様に、事態を悔やむような面持ちで、今後のことについて話合っていました。

祖父「兄のことはもう、どうしようもない、自然に返してやるのが一番じゃ。。」
弟はなんのことなのかわかりません。
しかし、その脇で兄は変わらずにくねくね、手足をじたばた動かしながら踊り狂っています。

その日は、皆疲れきった様子で、兄を残したまま眠りに就きました。

翌朝、父と母、そして弟は車で田舎から元々暮らしていた都会に帰ることとなりました。
祖父母と別れを告げて、車に乗り込み、田舎道を走ります。

田んぼを振り返ると、兄が異様な姿で身体をクネクネさせて、まるで家族に手を振るかのように踊りくるっています。

その姿を見送りながら、ふと田んぼの横に目をやると、何やら白い姿の人間のような姿をしたそれが、まるで兄のように物凄い速さで全身をねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくくねくねくねくねくねくねくねくねくね、、、、



…ってゆー話。


おっそろし!笑



②ヤマノケ
仲の良い兄貴と妹がおりました。
兄貴は成人したばかりで、父親の車を借りて、その日は可愛がっている妹とドライブに出掛けていました。
妹の喜ぶ姿を観ながら、海が見えては立寄り、妹のはしゃぐ姿に満足して、二人は家路に就きます。
帰る途中、森の中にぽっかりと口を開けたかのような真っ暗な道を妹が見つけ、「あそこに入ろう!」と言います。
最初は断りましたが、あまりにも妹が駄々をこねるので、仕方なくその道にはいりました。
暫く走ると、妹は助手席で眠そうにしています。
そろそろUターンして元の道に戻ろうかとした時、エンジンが唐突に止まります。
兄は何がなんだかわからないまま、キーを捻りますが、一向にエンジンは掛かりません。

そうこうしているうちに夜も更けていき、辺りは真っ暗。

諦めて、少し休もうとしていると、、
遠くから、、ケーンパ、ケーンパ、という足音が聞こえてきます。
よく聞いていると、「テーン(ケン?)…ソウ…メツ」と声だかなんだかわからない音で繰り返しています。


それが、段々近づいてきて、その姿をフロントガラス越しにみると、まるでウルトラマンに出てくるジャミラのような姿をした顔が胴体の中に埋まったような姿をしたそれが、ケンケンパをしながら近づいてきます。

固唾を飲んで呆気にとられていると、それは車の横を通り過ぎていきました。

何事もなく過ぎ去ったと思って、妹の方をみやると、助手席側の窓越しに、尋常じゃなく大きな顔(胴体?)が妹のほうを凝視しています。

怖さよりも得体の知れないものが妹に近づいたという怒りで、兄は「近づくなーーッ」と叫ぶと、それは姿を消しました。

息を切らして、妹をもう一度みやると、妹が「ハイレタ、ハイレタ、ハイレタ、」とぶつぶつ呟いています。

そしてそのうち、「ケーン…ソウ…メツ」と繰り返すようになってきました。








…あ、夜勤の時間が近づいてきたので今日はこの辺で。笑
続きは気が向いたら。
気になる方は、ネットで検索すると沢山出てくると思います。


調べてみてね!

かなり簡単に端折って書いたので、細部は違いますが、大体こんな感じの雰囲気だったと思います。

何より!
得体の知れないものに恐怖を感じますね!



あー涼しくなってきた。

2012年8月12日日曜日

江頭2:50

こんばんわ。


少し遅めとなりましたが、この夏用の服を買い出しに、今日は千葉県のららぽ〜と♪に赴いておりました。

NORTH FACEの店員がめっちゃ可愛くて、勿論デザインも良くて、Tシャツやら帽子やら何やらを購入。
あんまファッションに拘りとかもないけれど、今年はNORTH FACEにハマりそうです。
店員が可愛くて。

じゃなくって、デザインが素敵なので。

今月、給料入ったらもっかい行ってこよう。


で、今日一番の高価な買い物は、ランニングタイツ。
膝が悪いので、常に激痛と付き合いがならのランニングだったのですが、今回、膝サポート付きのタイツを購入したお陰で、今夜は大分楽チンなランニングになりました。
効果絶大!

いつも、しちめんどくさいことばっか書いてるので、今日は備忘録ってゆーか、ちょっとした日記程度に更新します。





あ、タイトルの江頭2:50は、タイツ履いた姿がなんかそれっぽかったんで、付けてみました。





あー…、特に書くことない。笑





なぁんか最近、洗車する度に雨が降ります。
にゃーな、わったり。
って感じ。





では。



また〜♪

2012年8月4日土曜日

涼。

真夏の真っただ中、皆さんは如何お過ごしでしょうか。


最近のマイブームは、「蕎麦」でございます。


近所に蕎麦屋さんがあって、最近は割りと頻繁に暖簾をくぐっております。

ざる蕎麦は、日本人の心に馴染む、夏に最も涼をもたらしてくれる食べ物だと、最近思ってきました。


ざる蕎麦のたれに、涼しげな輪切りのネギ達に、鼻もとをつーんと刺激してくれる山葵。

そこに、昔ながらの蕎麦を半分程つけて、ゾゾゾーッと音を立てて涼しげに啜る。


…最高に、夏!



出来るなら、家中の窓を明けて、畳に座ってひぐらしの鳴き声を聴きながら静かに食べたいもんです。笑


これぞ日本の夏!って感じで素敵じゃないですか?




話は変わって、最近『宇宙兄弟』という漫画を読んでおります。
まだ物語は終わってないようで、現在17巻まで書店に並んでるみたいです。
実の兄とか、友達にも薦められて、読み始めて今12巻まで読み終わりました。
なんか、主人公がとても身近に感じられて、共感するところも多く、読んでてとても素直になれる漫画です。
面白いです♪

11巻、12巻で久々に漫画読んでウルウルきました。笑

漫画本はもう買いだめしないって決めたのに、気付くと書店に足が向きます。


【宇宙】にも、久々に想い馳せて、なんだか子供の頃に戻った感覚です。笑
やっぱ、子供の頃にワクワクしてたものの存在は、大人になって仕事に追われたり人間関係に迷ったりしたところで、本質的には何も変わってない、同じ様なことでまたワクワクしてる自分を知って、ワクワクがどっかに行ったわけでなく、自分がワクワクから遠ざかってたってことを教えてくれる、良い目印みたいなものですね。

誰しも子供の頃に抱く、ファンタジックな想像や空想。
それがこの漫画では現実と繋ぎ合わせて、「それらが存在しない」、と誰か言った?みたいなテンションで物語を繰り広げてくれます。

だから、読んでるこっちもなんだかワクワクしてしまって、主人公の煩悩や迷いと同じテンションで段々物語の中に吸い込まれていくような感覚になってしまいます。笑
影響され易いですかね。



ひぐらしの鳴き声が響き渡る夕刻、小腹が空いてきましたね。

さて、また蕎麦でも食ってきますか。


蕎麦の日々、意外とダイエットにもなりそうです。笑

2012年8月2日木曜日

蒼穹。

こんな暑い日は、陸上用のまるいトラックを思い出しては、ジリジリ焼ける真夏の陽射しを恨めしく睨んでた中学時代を思い出します。笑



またまた人生哲学じゃないけど、まるでうちらはアスリートだなって思って。
オリンピックネタじゃないけど、そう思う。

レース前のアスリートみたいに、スターターの後ろに立って、準備が出来たら脚をセットして…
ガヤつく周囲とは隔離されたみたいな静けさの中に自分を置いて、静かに待つ。
静かに、でも一触即発な面持ちで。
ヨーイドン!
の合図と共に、気付いたら50m。ゴールまであと半分。
強く速く走り抜ければ、それだけ向かい風もきつくなって。。


速く走れば走る程、障壁は自分の前に立ちはだかるものじゃん。
当たり前なんだよね。
考えてみれば。



友達は少なくはない方だと思っていて。
人脈はあったに越したことはないし、それを自分の価値みたいに勘違いしてた時期もあるけど、ただの介添人ってゆーか、ただそこを通すだけの人間なんて、まっぴらゴメンだなって思ったことがある。
やっぱし、ギブアンドテイクとはちょっと違うけど、凄いな、努力したんだなって思う人達と、肩を並べてテンション高いまま腹から笑って過ごしたいって思う。

だから、いつからかは忘れたけど。笑
周りに返せるように。自分が何かを与えられるように。
そんな風に思って、自分なりの価値を何かしら高めてきたかなって、ちょっと思う。
勿論、全然まだまだなんだけど。


「成りたい自分」とか「取りたい資格」。
なんでも、難題でもなんでも良くて、今まではそれに尻込みしたり、何か理由を付けては後回しにしてた自分がいたけど。

例えばそれが、どこかで自分の訪れを『待ってる』って考えたら。
期待に胸を膨らませて、自分とか若しくは自分達の訪れを、どこかで信じてて、ずっと『待ってる』って考えたら。笑

そう思ったら、なんか力が湧いて、少しワクワクもしてくる。


どこかでずっと、自分達の訪れを『待ってる』。


そう考えたら少し、楽になるし、やる気が湧いてくる。


スターターに脚乗っけて待ってる緊張感も、別に否定はしないけど、陸上のトラックも、何mか先に一定間隔で置かれたハードルも。

訪れる先にあれば飛び越えなきゃいけないし、例えば逆周りに走ろうが、隣のトラックに移ろうが、そもそもトラックなんてなくて、ただそこに突っ立ってた時、走れる先は無限に広がってるのかもしれないって、まぁ全然現実と結びついてないけど、自分らが走る場所は陸上用トラックなんかじゃないって気付くことが大切なのかなって、そう思った。

こじつけだけどね。笑


だから、速く走れば向かい風も当然強くなるし、ハードルを飛び越えられるか不安な気持ちだって、いつもあるけど。

どこかで《それ》が自分らの訪れを『待ってる』なら、それは、走り抜けて出会ってみたいよね。笑


これでもかって!程の蒼穹に、卑屈な顔なんて向けたくないから。


そう思うことで走る勇気が湧くなら。

この【わっためがす】で俺はわっためがして意識表明をするよ。笑



まだまだ走れる。


俺のオリンピックは、まだ始まってない気もするし。
いつになったら始まるのか。苦笑






2012年7月29日日曜日

HANABI.

近頃は暑くなってきましたね。

こんなに暑いと中学時代にやってた陸上の、あの草の焼ける匂いと、必要以上に重い顧問のプレッシャーを思い出して、あまり良い気持ちにはなりません。笑

もう10数年も前の話なのに、あの頃の記憶が鮮明で、テンションはあの頃のまま。
しかもトラウマまで引きずってることになろうとは、当時の自分は想像もしてなかっただろうな。苦笑
青春とは本当に大事なもんだ。


毎年、この時期になると、地元で行われる祭りのことを思い出します。


そろそろ本腰入れて、各地域の山車が囃子の練習をし出す頃ですね♪


私の夏ソングといえば、ミスチルのHANABIが浮かびます。

夕涼みの刻に、富士山周りをこれ流しながら車で走った時のあの感じが、凄く思い出に残っていて。
ちょっと遅めの青春て感じですw



夏は嫌いだったけど、大人になって毎年何かしらの思い出が出来ては印象が変わってきたりして、今年はなんとかトラウマを乗り越えて秋に向えそうで、ちょっと安心しております。


花火を観るといつも思います。
あれ、人間以外の生き物が観たら、この世の地獄みたいに見えるだろうな…ってゆーか、恐怖以外の何物でもないだろうなって。笑


全国的に有名な大曲の花火を、ばあちゃんと一緒に観に行ったことがあります。




視界を飛び越えるほどの花火のスケールには、圧巻されたし、視界が開ける程の感動を味わった数少ない思い出のひとつです。

帰ったあとの、ばあちゃんの言葉が更に印象的。


「思い出は美化されるから、今現在よりも思い出として楽しめる為に未来に向けて今を語るんだ」


↑いや、これ自体も大分フィクション入ってますがw


要は、思い出として残っていく出来事を、未来に向けて語ることによって、今の出来事が更に美しく見えるものになっていくんだ…

的なニュアンスだったと思います。




夏の夕涼みの刻、いかがお過ごしでしょうか。



鈴虫の鳴き声を聴きながら、水瓜でも食べたいもんだぁ。

2012年7月21日土曜日

パドリング。

出来るだけ「シンプルで」。

人生哲学じゃないけど、複雑を突き詰めれば、先にあるものはいつもこの言葉だと思う。

何かを思い詰めたり、躓いて苦悩したり、楽しくない時間を過ごしても、結局は自分の心に素直になることでしか楽しい時間は過ごせないわけで。
人間関係や自分の存在意義もそうだけど、結局は素直なままでいることがBESTなんだと思う。
ずるく、複雑で周りを支配しようとしても、結局は皆、うねる海を漂って藻掻いたり浮き沈みを繰り返してるようなもんで、その全てを把握するなんて到底無理なことなんだと思う。
自分も手や足をジタバタして泳いでるうちの一人だから。

だから、出来るだけ自分の呼吸に合わせて、波に合わせて漂って、流れに身を任せることで波に乗ることが出来て、結果距離としては一番進むことが出来てたりして。

生まれた時から豪華客船に乗ってる人もいれば、最初っから最後まで身ひとつで海原を漂ってる人もいて、荒れる海に投げ出された人もいれば、リゾートスポットの陽気で浅い海に漂ってる人もいたりして。

誰も予想できない波だから、やっぱ支配できないことに躍起になってもそれこそ一番スタミナを使う、しかもかなり意味のない力だったりして。


素直さやシンプルさが、波に乗るための一番の筋肉なのかもしれない。

そんな風に、近頃思った。



いずれ海底に沈むなら、魅惑の沈没船のように、浪漫を掻き立てるような宝物を積んだ、古くても夢のある船になれたら良い♪



さしずめ今は、小さな波を待ってる波待ちサーファーだけど、いつかはロングボードにタンデムしてるオサレな感じで、船に乗り込みたい。笑

2012年7月16日月曜日

地中海の旅。

iPadでニュースのメールを読んでたら、こんな画像が飛び込んできました。


まるで船が浮かんでるように見える、透明度の高い海!

うひょー、奇麗って思って場所を確認してみたら、「地中海」♪

思い出しました。

私、地中海テイストが大好きなんです。


凄いフェチってわけでも、地中海テイストに詳しいわけでもありませんが、高校時代とか、雑誌でたまに見かけると切り抜いて部屋に貼っちゃうような、地中海のあの蒼い感じが、鮮やかな青さがたまらなく好きだったことを思い出しました。笑


こんな感じ。


地中海独特の、白い壁に、青い家具。

トイレまで青い。

ドアも。笑


なんででしょう。


特に理由があるわけではないけれども、凄く癒しと想像力を掻き立てられるような鮮やかさ。


別に夏が好きとか、常夏の感じが好きなわけでなく、この開放感みたいなものに爽やかな青が加わると、とても、まるでラルクの「夏の憂鬱」とか「vivid colors」とかのあの絵画的な世界の中に入り込んだような気がして、とても気持ちが晴れます。







自分の今の部屋のテイストはこれらとは程遠いけども。笑

でも、基本的に部屋の構想とか、例えば日差しの入れ具合とか、なんちゅーかこの爽やかさだけは自分の部屋にも昔から取り入れてる気がします。

(奇麗な時だけはね笑)


いつか、行ってみたい場所です。


定年したらここで暮らしたい。笑


憧れの場所です。



扉を開いたら、一面に青が広がって、好きな音楽が窓越しに後ろで鳴ってる。


凄く良い感じですね♪

ガチャリ


どこへ行くでもなく、潮風を感じながら眠りに就きましょうか。

気持ち良さそー。。

2012年7月10日火曜日

Zoo.

ここ最近、とても多忙で腰を据えて何かをするなんて時間がなかったのですが、今やっと落ち着いて物思いに耽られる一人時間が出来たので、ここいらで少し独り言でも記事ってみようと思うw


最近は、人の素直さについて
考える機会が凄く多かった気がします。

会社の人、プライベートでの出来事、自分のこと、自分の周りの人たちのこと。

人が、何かに夢中になる時、無駄な思考が消え去って無意識の表情になってる時って、凄く素敵だなって思います。

利害関係を考えると、望まぬ駆け引きが発生するように。
他人を陥れようとして派閥が発生したり。

色んな、素直さとは真逆の出来事が自分の生活にだって渦巻いてますが、それを解決したいなー、とか、もっと直感的に、心の解放を噛み締めれるように、楽しく暮らしていくためには、やっぱ素直に気持ちを伝えて行く強さが必要なんだと思います。

それを分かって貰えるかは別としても。

物事をシンプルにしていきたかったら、何よりまず自分がシンプルでいないといけないと思います。

自分と関わりある、少なくとも自分にとっては大切な人達と、より良い未来を渡っていくためにも。築いていく為にも。

素直に何かを伝え、素直な感情で誰かと向き合い、素直に自分意外の誰かを思いやっていく。
それはきっと、強さがなければ出来ないこと。
他人を信じるには、自分にも強さが必要なことだと思うから。

自分の気持ちを隠すことや、好き勝手に吠えることは、強さとはまた違うくて、いつでも素直な自分の気持ちに向き合って、弱さや醜さを見つめて、泣いたり笑ったり、そうやって暮らしていくことで、自然に強さは身に付いて行くんだろうなって、思ってます。


笑。


実際大したこと書いてないですけど。



きっと皆似ていて、素直な自分を隠してる人ばっかなんだと思うし。


きっと皆心の中で言ってる。


「愛を下さい、うぉううぉう、愛を下さい♪Zoo..」

ってね。




恐らく、人は自分と共感してくれる人を探していて、恐らく人類の90%がそうなんじゃないかなって、勝手に思ってます。

でも、なかなかそういう人が見つからない。


多分、明日出会う人の3/4の人達に、ひたすら共感して力強く頷くことだけしてれば、恐らくその人達から好かれるんでしょう。

それは悪いことでもなくて、きっと良いことの部類に入るんでしょうけど。


でも、結局、

愛を下さい、wowwow、愛を下さい な心を出して、弱さや醜さを見つめて生きてる人の方がきっと魅力的なんでしょう。笑


その相手が見つかったなら尚更。

人に素直に向き合って行く強さが欲しい。
人の愛情に目一杯向き合っていく素直さが欲しいです。


そしたら、ほらね 皆似てるんだよ

Zoo,Zoo,Zooooo♪


久々だったので、随分まとまりつかなくなりましたが、ネタ無い状態で書いたしこんなもんでしょう。笑


自分の大切な人達には、少なくとも素直さだけは失わずに関わっていけたら、そんな風に願って、占めます。笑


さいなら、さいなら、さいなら♪

2012年5月3日木曜日

潜水。

夜遅くに、仕事終えて帰宅して

歯磨いて
熱い風呂に入って
清潔になって。

生活音だけを聴きながら、一人台所に静かに佇んで。
めっさ冷えた水を、一人きりでゴクゴク飲む静けさ…

通すことを忘れてた喉が、水の冷たさに刺激されながら


なんか思う…


今、生きてるな、俺


って。笑



窓空けた網戸ごしの雨音も、夜風も、また良い案配に心地よさを演出w


今まさに、いつか遺伝子を継ぐ(一般的には)であろうその人に、俺の20代はこんなんだったよって、語るとしたら、今の、この感じが良いなってゆー、そんな物思いに耽る深夜であった…。



あ、東京のオジさんってことで、今度生まれる甥っ子か姪っ子にでも、話せたら良いな♪笑


うふふのふ



2012年4月30日月曜日

Any.

自分自身、色んなことに真剣に取り組んでたつもりで、必死で本質を見極めようとしたり、「本当」のことがなんなのかを知ることに躍起になってきたけど

色んな人と関わったり、これだ!って思える応えを見つけては自分に納得したりそれを発信することで前に進めてる気がしてた。

けど、最近、思うことがあって。

弱さも強さも、人が生きてく上で、そのどちらが「本当」かなんて、それこそそのどちらかを否定することこそが「嘘」なわけで、言ってしまえば、「嘘」と「真実」その両方が「本当」なんだね、ってなんとなく思った。

その全てが人の真実なんだと、この歳になって思う。笑


答えはひとつじゃないってゆーか、全部本当なんだよね。

そう思いながら、誰かを否定したり、ひとつの真実を求めたり、、でもそれも間違いじゃないんだろうな。

無造作の中にある意志、みたいなw


かなり、漠然としてるし、なんでこんなこと書いたのかも、自分でわかってないけど、ただ、否定したり、嘘から真を、真からは嘘を、ってなってる自分に、少しの馬鹿らしさと、それを繰り返してきた今までに、少しの愛おしさを感じる今日この頃。

だから、自分がいるこの現状とか、それに携わってきた全ての人達に感謝と、その馬鹿らしさこそが、なんてゆーか、そこに何かがあるわけじゃないけれど、答えがなけりゃ進めないってのもまた、違うかなって。。

全てがまっさらで、全てが真実だった子供の頃みたいに、大人になった今だからこそ、馬鹿みたいに進む正直さ、真っ直ぐさみたいなものともう一度向き合ってみるのも面白いかもしんないなって、そこには何んにもないかもしんないけど、そういう馬鹿っぽさは少なくとも今の自分にないし、そんな風に思える今が自分の「真実」で、それは明日になって「嘘」になるかもしれないし、その移ろい易さを、少しは許しても良いんじゃないだろうか、、って都合の良い様に思ってみました。笑


結局、ONEもANYも、間違いじゃなくて。
真実真実って、思い込まず、嘘もあって真実もあって、それを受け入れる心の余裕こそが、過去の自分を否定せずに人生を楽しむ上でも大切なのかも。

違和感があるとすれば、それは、身勝手さ。
身勝手さも、立場や状況次第で主観として移ろっていくもんだとは思うけど、そこだけは常に自分の中に忘れずに持っていて、自分の弱さには向き合っていきたいと思う。


何が言いたいのか、いつものことだけど、たまにこうしてツラツラとひたすら書き殴りたい衝動に駆られます。





【追記】

上の長ったらしい文章を一言でいうと、

anyでもoneでもなくて、全部のことは、AnyOneなんだってこと。

その全てが平凡じゃなくて、どれもが特別な答えであって、真実なんだってことが言いたかったんだと思います。笑

2012年4月26日木曜日

どうも、ご無沙汰です。

かなり放置してましたね、わっためがす。笑

今日は休みで、久々にやることもないので、BlogでもUPしますよん♪
暇人カムバックです。

この休みにでも、去年購入したiPadのメールアドレス等、知人全てに送信しようかと思っております。
なんせ、docomoのBlackBerryからデータ引き継げず、全て手打ちで入力してたもんで、流石にそんな労力残すほどは暇してなかったってゆーw

それもこれも、タッチパネルだから特にやりづらいってことで、今はMacがあるから、キーボードで入力すれば、夕方頃には終わるかと思います。


最近、思うことがあって。。

地震関連でもあるんだけど、よくニュースとかで政治家が、
「万が一」って言葉を口にします。
万が一の事態に備えて、、とかね。

備えるって意味で使う分には、特に何も感じないけれど、個人的には「万が一」って言葉には当事者意識を欠いたニュアンスがある気がして、あまり好ましい言葉ではないかなって思ってます。
だって、もしその「万が一」が発生した場合、それはただひたすらにひとつの真実であって、そこから絶対逃げることの出来ない『現実』が、容赦なく横たわってくると思います。
「万が一」って言葉を使うことで、不安を和らげようとしてるんだろうか?
それはある意味、自己欺瞞でもあるのかなぁっても、思います。

【運命】は、個人的には【結果】だと思います。
イコールで結んでしまっても構わないと思ってます。
色んな過程を踏んで、それが今ある【結果】に繋がってきてる。
だから、万が一もなにも、例えば自分の努力でどうにかなるものと違うなら、それは「わからない」わけであって、人的なものでは不足の事態などはいくらでも防ぎようがあることだと思います。
金銭的なものとか、手続き的な問題もあるけどさ。

今やってる原発の再稼働の話とか、明らかに断層の「万が一」に逃げてる気がして。。
言いたいことをまとめると、、

結果からしてみたら、「万が一」もクソもないということ。

そんな言葉を使うこと自体、当事者意識に欠けてるからこそ出る言葉なんだと思う。
たとえ天災絡みなことでも。
可能性の芽を摘むことが、例えば今回の地震問題に関しては政府の責任でもあって、うちらにはうちらなりの、仕事に対する責任、不安要素を取り除くべく努力し続けるってことが責任を全うすることなんだと思う。
(今、地震問題に携わってる人達が努力してない、と言うわけでなくて、「万が一」って言葉を使う役人とかに対して抱いた違和感を言ってます)

ちょっとね、別にそれほど怒りとか湧いてるわけでもなく、「万が一」って言葉を考えるって感じで、深く考察したわけでもなく綴ってます。

主観では、【運命】=【結果】で、
【結果】は【過程】から紡がれる。

【過程】で予期しきれないことも確かにあるし、天災が絡むとそれもしょうがないけど、
「万が一にもありません」とか、もしその【万が一】が発生した場合、その時の【結果】を踏まえてない発言は、いささか無責任な印象を残すから、やめて欲しいなって想いを、綴ってみました。

【結果】は、無情な程に現実として伸し掛ってくるから。。


誰も、責めようとはしてないし、常にそんな心構えでいろなんて、人様には言えないけども。

なんか、【運命】をもやもやな感じで抱いてたくないから、人に任せず自分の力でもぎ取るくらいの意気込みで、人生を実りあるものにしたいから、【万が一】って使うことで現実に逃げたくない想いを刻みました♪


長い!

そして、

いまいちまとまってない!


ご免遊ばせ!


2012年3月28日水曜日

メッセージ。

親戚の子の就職試験。

親戚って言っても、ほとんど妹みたいに接してた子なんで、連絡はしなくても気にはしてました。
その子が、就職活動に失敗した、との連絡。

それは確か去年の話で、今彼女は再トライの為に勉強して学校を受験するとか。

で、これまた親戚の姉ちゃんから、励ましの色紙を作るからメッセージをくれ、との事で急遽贈る言葉を考えることになりました。

で、まぁ一日考えたのですが(大袈裟かもしんないけど、こういうのって割りと大切だと考えてるんで、真剣に悩みますw)、結局自分が社会人になって素直に思ったことを贈ろうと思って。


で、浮かんだ言葉がこれ↓

「最後まで諦めないことが肝心。強く願い続ける事が出来た人が、最後には勝つ」

どうでしょうw

我ながら臭いと思います。

世の中を曲がりなりにでも渡ってきて、やはり声がデカイ人が勝つって思ってる面があります。
声がデカイって、それは物理的な話ではなくて。

想いの強さは、やっぱ声となってその意志が伝わってくると思ってます。
理屈が弱くたって、意志の強さがあれば、相手に有無を言わせない雰囲気を醸し出したり。

で、結局失敗したって諦めなければ絶対報われるよな、って真剣に思ってるしw
負けるのは諦めるからであり、勝つまで諦めなけりゃそりゃ勝つでしょwみたいな。
それが諦めないってことかなって、大分前に挫折を味わってた頃に思ってました。

自分の中に想いは沢山あって、色んな場面で感じることや悟ることは違うと思うけど、自分の根幹にある原点を贈ったつもりです。

伝わったかな。。

2012年3月19日月曜日

かぞえうた。

少し遅くなったけど。
綴っときたい。

ついこないだ、いつもより大きな地震が暮らしてるところに寄りました。

去年の大地震が嫌でもフラッシュバックして、色んなことを思い出しました。
今住んでるあたりは、震源地付近の被害に比べたら、大したことありません。

けど、もろに被災した地域にも知人はいたわけで。
新入社員として入社した若者達の中にも、家族や知人に計り知れない悲しみをもたらされた経験をした奴も何人かいた。

「知ってる人が死に過ぎて、涙も出ない」
それまでよく読ませてもらってたBlogの管理人の一言。
凄く痛切で、どうしようもなく愛おしさに苦しまざるを得ない感情が湧きます。

同時に、なんか日常が順調でいると、つい軽んじがちになってる自分にどうしようもなく愚かさとかみじめさを感じてしまい、そこはかとなく自己嫌悪な気持ちがやってくる。

考え方を変えたり、目線が少しでも違えば良いんだけど。
何事も、捉われ過ぎないことが大切だと思う。

何がどうなっても引っ繰り返らない現実って、受け止めるだけで辛いし、夜更けに孤独が爆発してどうしようもなくなる。
ただ、人の強さとか、絆の深さとか、その美しさや力強さにいつもより敏感になって、いつもより人に優しくなれる様な気はする。
それを、その強さを、本当はいつまでも忘れちゃいけないんだろうけど。

そんな事を忘れてしまう、軽んじてばかりの自分に、無性に悲しくなるってゆーか、忘れてばかりの自分に、疑問を感じる時があるよ。

色んなことが重なって、ちょっと感傷的にな記事になりましたw
明日はもっとマシに。
そう思って忘れずにいたい。

2012年3月17日土曜日

久々に。

昨日は久しぶりにスノーボードしてきました。
今シーズン初w

大体毎年6〜8回くらい行く身としては、かなりのブランクって感じです。

よく、子供の頃は親と一緒に滑って、3回くらい滑ったら親は休憩してビール飲んでw
スキー・スノボーに来てんのになぜに3回で終了!?って思ってましたけど、昨日はうちらも5回くらいしか滑りませんでした。

気持ちが分かるようになってしまったぃ。

たぶん子供の頃は、身体が温まるの速くて、体力の回復も速いから活力に満ち溢れてるせいでやる気が違う。
でも、歳行ったせいか、代謝が落ちたせいか、はたまた大人になったせいか、滑ることにあまり喜びを感じなくなってしまった。笑
身体温まるのに3回も滑ったし。
もう良いから温泉入って帰るべー、なノリでした。

ある程度うまい、雪国育ちの中でも上手な方だと自負してるけど、正直言って滑るだけで何が面白いんだろう。。と昔から思っております。笑

なんつーか、ゲームと一緒で誰かと一緒にやるコミュニケーションツールくらいにしか思えません。
本当に好きなこととは一線を画してますね!


で、帰りは調子こいてツケ麺大とラーメンのコンボで消費カロリーの元取って、帰りましたとさ♪

最近天候も悪いから、なかなか走れず。
体重は減量のままキープしてるけども、顔がむくむ。
やばいッス。
走らねば。

一応目指す身体がある!

あとでUPしますw

2012年3月13日火曜日

減量。

体重計に乗ったら、久々に懐かしい数字を見た。

順調に減ってっております。
1ヶ月ちょいで3キロ減。

最近は天候が悪かったため、ランニング出来ず。怖々でしたが、体重キープしてたので嬉しかったです♪

体重減らすのも、運動するのとしないのとでは質にかなりの差が出ますね。
細胞を活性化させて代謝が上がるとこんなにも良いもんなのか!って驚いてます。

一週間さぼってたツケは、やっぱ身体に出たけども、継続してた甲斐はありましたよ。

ナイキRun仲間が欲しいけどw

引き続き頑張ります。

2012年3月10日土曜日

iPhone。

SoftBankへ行ってきました。

現在docomoのスマートフォンを使用してますが、機種のローンが終了次第、SoftBankに乗り換えてiPhoneゲットしたいと考えております。

iPhoneは暫く我慢しとくつもりでしたけど、今回siriが日本語対応したってことで、すげー魅力が増した次第であります。

結構siri使ってないユーザーって多いんだよね。
勿体無いことこの上ないですw

だって、メールも音声で作成出来るほどなんですぜ?
あり得ないっしょ

iPadはRetina搭載して現存するどんな液晶よりも高画質だってゆーし。
ほんと、既存ユーザーを置いてきぼりにしてくれる企業です。笑
Appleわ。

あー、iPhone5まで我慢出来るのか不安だw

2012年3月9日金曜日

Best of you.

数時間前にめっちゃネガティヴな日記書いといてなんだけどw

バカデミーでサプライズプレゼントの映像集観てたら、ストレス吹き飛びました。笑

やっぱ、人が一生懸命喜んでる姿観るのって良いね♪

「愛」に気付ける日常を送れますように!

Tired of you.

まじで、疲れたー

今日いちにちで、今までどんだけ無駄に他人の事に自分の精神を無駄にすり減らしてたのかを思い知った。
「どうでも良いやつ」って割り切るだけで、随分自分の事に集中出来て、なんか笑えた。

奇麗事は今日は言いません。
他人のことに随分、自分を無駄に犠牲にしてたかと思います。
それが正しい事だとも、間違いだとも、正義だとも、悪だとも、道徳的だとも、こうあるべきだともなんて、全ての『どうあるべきだ』なんて自慰な発言は誰にも言わせない。
誰がどんなベクトル持とうが、今日は関係ない。

FREE MEEEEEEEEE!
って叫んで始まるFOOFIGHTERSの歌。
見え透いた同情を乞う表情に、何の気なしに応えるのはもうウンザリだ。
何かを教えたり、真剣に向き合わないといけない義務なんて、俺にはないよ。
そう思えた一日だった。

思い知れ!

2012年3月6日火曜日

アナザープラネット。

表題のタイトルの映画を観た。

アナザープラネット。
10代で人身事故を起こした女性がその遺族に謝罪しに行くけども、重い現実に耐えきれなくて、もう一つの地球に贖罪と希望を託す。。みたいな映画。

ヒロインのミステリアスな魅力とか、ドラマの深さが面白くて、ノンストップで魅入ってしまった90分間でした。

内容に飲まれてしまう面白さ。とてもシリアスな物語なんだけど。
誰しも覆せない過去や現実があるけど、ある意味、あり得ない設定を使うことで、重大な罪は一生掛かってでも償えないってことを語ってる気がした。

慎重さと、物事に対する深みを見直させる映画だった。

お薦めで、ごわす。

2012年3月5日月曜日

甘え。

「自分が嫌いな人間は、その人物に内面の自分を見るから」とよく言われるけれど、今いちピンと来てはいません。

会社で、自分が嫌いな人間は少なからずいるわけで。
それはまた逆も然りだと思うし、人間が集まればやっぱ避けらんない事なのかも。

ただ、自分がなぜそいつの事嫌いなのかな?って考えたことがあって。
その事についてちょっと綴っときたいと思う。

分かる様に言うと、「他人の心に土足で上がる」人が自分は嫌いです。
でも土足で上がられても踏み荒らされない限りは別になんともないわけで。
むしろ土足で上がって欲しい人達は沢山います。仲良くなりたいって意味で。
じゃあなぜそんなに癇に障るのかなって悩んでました。

で、思い至ったのが、「甘え」が癪に障るってこと。
そういう、「他人の心に土足で上がる人」ってのは、それが許されることだと思ってやってるわけだし、『俺ってこういう奴だから〜』って公表しとけば、キャラで通ったり誰かが『しょうがないなぁ』と受け入れてくれると思ってる。
つまり、他人への「甘え」が強いんだと思います。
普通であれば、それは家庭とか本当に親密な関係であればこそ許される(かどうかは知らないけど)行為であって、大抵学校とか社会に出て【自立】しなくちゃいけない環境になって初めて見直すことなんだと思う。
でも、そういう「土足行為」にいつまでも疑問持てなかった(または周りが教えてあげなかった)人間が、その「甘え」を周りに巻き散らかすんだと思います。

そこで、俺みたいな他人に厳しい人間が
「いい歳こいて甘えてんなよ!」と苛つくわけでww

やっと自分の心理が判ったような気がします。

自分に厳しく、他人に優しく

その域は、本当に自分ではまだまだ理解できないことだと思ってたけど、こうやって考えると、他人の「甘え」を受け入れる寛大さのことを言ってんのかな?とも思えました。
そうやって、自分の苛立ちに確信持てると、前程血圧高くもならんし。

要するに、俺がいままで思ってたことは
「俺が甘えてないんだからお前も甘えんなよ」って心理なわけで。
当然、一人でなんでも出来ないし、自分も充分過ぎるほど他人に甘えて日々を送ってます。
自分のことは棚にはあげたくないし、そのことに苛つくのも充分に他人への甘えだと思います。

でも、苛つきの原因が判っただけでも一歩前に進んだかな。

そんな風に思った夜でした。

2012年3月2日金曜日

BACK AND FORTH.

青春時代を共にした、史上最高ファッキンクールなロックバンド、『FOOFIGHTERS』のドキュメンタリーを手に入れた。

こういうアルバム制作の舞台裏とか、バンドの歴史を振り返る映像作品がとても好き。
どんなバンドでも例外ないけど、オールジャンル通して最も好きなバンドの一番大好きなアルバムのことが詳しく紹介されてるとなると、♥に火が点く。

人生の中で、どのバンドに傾倒するかってのは、自分の中ではとても大きな意味を持っていて、大袈裟な話、「人生のBGM」を選択するのと同意義だと思ってます。
だって、思春期だとか青年期だとか、ハマりまくれる音楽ってのは時間が限られてると思うから。
だから、死ぬ間際の人生を振り返る時には、その当時の音楽をばんばん脳内で鳴らしながら死ぬことを想定して、今大好きな音楽を全力で聴いてたいと思うのですw
(実際そこまで考えちゃないけどw)

実際、ほんと個人的な意見なんだけど、今の日本の音楽シーンにはとても失望しています。
正しくはちょっと前までの。なんだけど。
ダンスグループユニットのR&Bな曲とか、美少年グループが歌う自分達が作ってもないペラペラな曲とか、本当に自分の中では聴く価値もないし、聴いててわーきゃー言ってる人達とは少なくとも音楽について分かり合える気がしません。なんであれが売れるじゃ!って心の中で思ってます。
好みだからこのへんについては言葉に出さないけど。自分のBlogだから言わせてね♪

やっぱ!自分の根幹に根付いてるジャンルはロックで、それも苦悩の人生の中で苦しみもがきながら練り上げられた歌詞と旋律、これが感じられる音楽が最もロックだし心揺さぶられるわけです。
だから、基本的には自分よりも年下の、それも在り来たりなことばっか唄ってるアーティストは好きになれないのです。
音楽を自分の人生の一部に組み込んでる身としてはw

でね、今回FOOFIGHTERSのBACK AND FORTHを観て思ったんだけど、やっぱ傾倒する音楽を選ぶのはとても大事だな、と再認識したわけで。
それは狭い範疇で選べってことではなく、例えば青春時代にあらゆるバンド、アーティストの楽曲アルバムを聴きまくった上で、改めて「これだ!」って選べって意味で。
よくいる、「自分はほんとなんでも聴きますよ♪」とか言ってエグザイルとか西野かなとかしか挙げないような奴にはなるな!って声を大にして言いたいわけです。
あくまで自分のBlogだから好き勝手言わして貰いますが。

で、やっぱ高校時代を共にした友達とか、当時のバンド仲間とはこういう話が凄く合うわけでw
本当、いまだに自分の知らない世界を教えてくれて、とても刺激になります。

初めて音楽と出会ったのは小学校の頃かな。
家にあったビートルズのホワイトアルバム。
聴くものもないから、よくウォークマンにCD容れて朝がくるまでループしまくって聴いてた思い出があります。
そして小学校5年くらいに兄貴がラルクアンシエルのwinterfallを二階掃除しながら大音量で掛けてて、一階でそれ聴いてて、「なんだこのかっちょえー音楽は!」って驚愕したのを覚えてます。毎週それが鳴るのを下で聴いてて、歌詞全部覚えて一緒になって歌ってました。
で、中学時代はほぼラルクと共に過ごして、高校時代に出会った現在の親友の影響で洋楽に走り出す。
そいつらに大したことないって思われたくなくて、地元のCDショップに入り浸って片っ端から洋楽を試聴しまくったり、レンタルショップに行ってそれも片っ端からジャケ買いならぬジャケレンしたり。
青春時代は部活とバンドと音楽に明け暮れた日々でした。
今でもそれは誇り。

で、高校時代に出会ったFOOFIGHTERSとかGOOGOODOLLSとかCOLDPLAYとかQUEENS OF THE STONEAGEとかBONJOVIとかとは今でも良い付き合い。
まだ無名だったバンドが今では押しも押されぬ世界的なバンドになるのを観ると、なんだか嬉しい気持ちになります。
こんな話が出来るのは音楽ファンだけじゃないでしょうか。
勿論、今でも大好きな日本のアーティストは沢山いるし、さっき糞だって言ったアーティスト達にも味はあると思います。
でもあくまで俺の人生にはないわけでw

何回も、何百回も何千回もリピートして聴きまくってる音楽を振り返ると、人生の中で「これだ!」って思える楽曲やバンドに出会えるのは限られてるなと思うわけで。
何歳になっても熱くなれる音楽を聴き続けていられる人生を送りたいと願うわけです。

とりあえず、BACK AND FORTHは最高に楽しい熱くなれる作品でした。

まだ観終わってないから、明日会社終わってからまた観よう。
音楽熱、再燃!

2012年3月1日木曜日

iPadで初Blog。

初めてiPadでのBlog更新を行います。

ちまたじゃもうすぐiPad3の発表の話題で持ちきりですね。
最近は、周囲にもAppleに関心を抱く人が地味に増えており、喜ばしい限りです。

まーちょっと、Appleネタですけど、会社でもアップルごり押ししてたらiPhoneの導入がリアルに検討されるようにもなったし、知人でもパソコンにMac導入検討してる人もちらほら。
早くMac話に花を咲かせたいもんです。

あ、そうだ( ̄▽ ̄)
折角のiPadBlogなので、いろいろ試したいと思います。

まず、画像は載るのかな?
。。無理でした(>人<;)
残念!アップロードのアイコンが選択できない↓
まーでも、最近『わっためがす』文章だけのほうが長続きしそうなんで良いんですがw

約一年ちょっと経ってからの方向性決定です( ̄▽ ̄)

2012年に入ってからもう3ヶ月めに突入しました。
人生短し、月日が流れるのは本当早いもんです。
今年をよくするためにも受け身は辞めよう。受け身はw

去年は本当いい一年だったな、今思うと。
震災は別として。

よし、仕事しよう。

2012年2月28日火曜日

市街コース。

ランニング開始して一ヶ月。
いつも同じコースを廻ってますが、同じコースなもので、大体身体の調子が掴めるようになってきました。

コースの距離は約6.5キロ。

コースの概要は。。
①景気付けの下り坂 … 自宅から海岸に向かっての下り坂。UP代わりの1キロ
②必走ストレート  … 起伏の無いドストレート一本道。身体に負荷を掛ける2.5キロ
③神社インターバル … ストレートを終えた後のインターバル。酸素補給の50メートル
④心臓破りの上り坂 … 脹ら脛ぱんぱんの上り坂。急坂終えても地味に昇り続ける1キロ
⑤くねくね住宅街  … 身体の調子を整えつつ走る住宅街。たまに歩く1キロ
⑥ラスト      … 人通り多いので歩けない最後のRun。0.5キロ


④心臓破りの上り坂当たりから、体調次第でややキツくなります。
ここで余裕あるかどうかがタイムに関わってきます。
④は坂昇ってからも、歩道と車道の繰り返しになるので起伏が多くて脚がなかなか休まらず。
筋肉に磨きが掛かりますw

⑤くねくね住宅街あたりで、脚が痛み出したりする時もありましたが、やっと身体が慣れてきたようで、結構走るのが楽しくなってきてます♪


で!
重要なのは聴く音楽ですね!

日常生活でよく聴く音楽はミスチル、フーファイターズ、ラルクって感じなのですが、これがランニングには不向きでしてw(個人の嗜好ですが)
ミスチルなんかは、走りに集中出来なくて雑念ばっかで不向きw
フーファイターズは脚のリズムにあまり合わずw
ラルクは聴く気もなしw

で!この一ヶ月何が一番走りに適してる音楽なのか模索しておりました。
あまり無駄なことを考えずに、且つやる気が増す軽快な音楽。
それは、、、

B'zでした。笑

普段ほとんど聴かないのに、運動中に聴いてるとアグレッシブな気持ちになれて、結構良いです♪
そんなこんなでなんとか継続できてるランニングこと、僕のワークアウトなわけですが、あと一ヶ月したら距離を伸ばそうかと思ってます。
勿論体調と相談しながらw

出来れば、毎日10キロ走れる身体作りが出来れば最高ですね。

よーし!やーるぞー!

2012年2月26日日曜日

夜にふと。

今まで自分が放った言葉や態度、行動で、傷ついたり面白くない気分を味わった全ての人達へ。

『本当にごめん!心から。』

これだけで贖罪出来たり、全てのマイナスなことがリセット出来たなら。
ってよく思う。

自分本位だし、現実逃避なんだけど。
なんていうか、心から優しさが滲み出すような気持ちになれる時、こんな時ぱーっと呑み行きたくなるw

後々後悔しない様に、最近はよく考えて自分の気持ちを表現出来るようになってきたと思います。
今よりもっと、子供だった時よりは。
昨日より今日、今日より明日、少しずつ気持ちが晴れるような生き方が出来たら、凄くそれを望みます。

20数年で根本に根付いた人生観はそうそう変わらないもんだと思うけど、全ての自分が招いたマイナスな出来事がリセット出来たなら、もっとマシな純粋な気持ちを解放出来るような気になってる。
絵空事ですけどね/

でも、この気持ちは割りと本物なわけで。

わだかまりなく、笑顔でいきたいんです。
自分だけじゃなくて、勿論周り混みで。
かろやかに。

そういったベースに自分の幸が乗っかってる人生なら最高。

つか、今でも充分そういう友達が少数でもいる自分は渾身震えるくらいハッピーなんだけどさ!

そういう気持ちを解放したくなる時ってあるじゃない。
正に「飲み行きたい!」って気持ちです。

激辛ペヤング食いながら思った。

2012年2月25日土曜日

『怒る』ということ。

結構、独自のルールの中で生きてきて、しかもそれを割りと他者にも求めてきた愚かな性格です。

最近、『怒る』ことを極端に減らしました。

それで気付いたのは、怒ることによって、いかにその人たちとの人間関係の将来性(てゆーか未来?)を潰してきていたかってこと。
まー大抵、家に帰って冷静になって後悔することばっかだったんだけど。

『就業時間終了前一時間以内の出来事は、全て見逃す』って新しいルールを自分の中に設けてみました。
ずっと実践してるんだけど、これが意外と良い。
何より、自分の為に。

怒る=感情的
になってしまってた今までの自分では、やっぱ怒るってことはある程度その対象との関係を悪化させても良いって気持ちで、半ば自暴自棄に似たような感情で相手を傷付ける(自分のプライドを守る為)為に怒るのが大半の目的でした。
ま、正直に自分と向き合ってみて気付いたんだけどね。

それはやっぱ、自分では見てみぬ振りしていても、第三者とかその被害者にはやっぱ伝わってると思うわけで。
それを意図的に、自分にルールを課すことで封印したんです。

こうやって書くとなんか頻繁に暴言吐いてるような感じに思われるかもしれないけど、そうではなく。
やっぱある程度社会年数重ねると、ちらほら出てくる他者への不満、程度のレベルなんですが。

短気は損気。やっぱそうですね。
長い時間掛けて気付いたお互いの「信頼」は守るに値すると思います。

どうしても我慢出来ない時は問いかけます。
その「信頼」を棒に振る価値がある程のことなのか。
勿論、自分が立場上の時の「指導」は別物だけど。
嫌われる覚悟がないと、本当の教育は成立しないってことは、凄く分かってるつもりです。

あくまで、他者への嫌悪感が対象。

最も重んじることは「信頼」。
そして最も守るべきものも「信頼」であると確信してます。(自分の中で)
なんかヤクザみたいだけど、「怒る」ってことは、その信頼の線上にある「未来」を一時放棄する様な感覚に似てると思いました。

だから、なるべく気を長く。
一時の怒りに身を任せて、未来を遠のかせるのは、結局自分の為にはならんな、と思ったわけです。
その苦しみや痛みを分かって貰えなくても、未来を見るためには必要なことかな、と思うんです。
腹立つってことは同じステージにいるってこと、って意味もなんとなく分かるようになりました。

盲目にならず、極端にもならず、自分の思想を出来るだけハッキリさせとくのも悪くないもんですね。
思考の少し深いところに住めた気がするし。

歳相応でいたいもんです。

フィードバックの喜び。

最近、地味に「痩せたね」という声をちらほら聞くようになりました。

一ヶ月程前から必死こいて走り込んでる身としては、正直嬉しいし、俄然やる気が増してくる次第であります。

そういえばこれも最近、行きつけの店、セブンイレブンで新しいカップ焼きそばが発売されましたね。
『激辛ペヤング』。
これまでは一平ちゃん派だったんだけど、これは美味い。非常に食指が伸びる。
すげー辛いけど、これがまた食欲に歯止めが効かなくなっちまう味なのです。
カップ麺でここまで食欲出る品物は今までなかったね。うん、大袈裟じゃなくて本当に。

貧乏舌はこういう時便利。
基本なに食っても美味いけど、単純な味がその特性を極端に増した時、舌とか腸とか喉全体がそれを欲するようになります。
止めどなく流れる唾液。

激辛としょっぱさのシンクロニティは、心を鷲掴みにして離しませんでやす。

辛いと代謝上がんのかな?

運動を継続してるせいか、然程脂肪にもなってない気がします。
『激辛ペヤング』一押しですよー

2012年2月24日金曜日

かまいたちの夜。

前回の記事でも書きましたが、今暇をみては「真かまいたちの夜」ってゆーゲームをやっとります。

いやホント、ゲームは進化しましたね。
一通りディスクの中身をクリアしても、ダウンロードコンテンツが存在するから、クリアしてからも暫く遊べるってゆー。

昔は、それこそスーパーファミコンの時代は、カセットの中身がバグんないように優しく本体に挿入したりとか、何周も同じゲームをやり込んで、思い出にインプットしていたもんです。
それが今や、ゲーム自体ダウンロードで購入する時代になっちまいました。

クリア後のダウンロードコンテンツってのは、未来を感じます。
次世代に来てるってゆーか。

「かまいたちの夜」と言えば、ピンクの栞なるシナリオが存在します。
ちょっとエロいやつなのですが、今回も健在みたいでw

早速正規エンディングを観終わったらゲットできました。
出勤前にちょっとやってみました。今回は、男風呂だと思って入ったら実は女風呂だったって話。www

なんてゆーんでしょう、この遊び心が好きです。笑

まだまだダウンロードコンテンツは沢山あるので、じっくり恐怖と娯楽を堪能したいと思います。
それじゃ。

2012年2月22日水曜日

風邪。

風邪引いて寝込んでました。
ゴホゴホ。ゴッホ

独り身はこういう時辛いなぁ〜

体調悪いと、自ずと部屋も汚くなっちまいます。
服とかもそのまんまだし、鼻かんだティッシュとかもなかなかゴミ箱に捨てらんないとか。

そういえば、新しく暇つぶしようにゲーム買いました。

「真かまいたちの夜」

かまいたちの夜は、小学校の頃スーパーファミコンでやりまくってて、かなり極めてたんですけど、そのあとの続編はどうも好きになれず。
オリジナルはペンションが舞台で、あの緩い空気感とかリアルな恐怖感がたまんなく好きだったんですけど、続編は洋館が舞台でいかにもな感じがあまり好みではなかった。

そんな中、今回の新作は舞台がまたしても冬のペンションてことでテンション上がっております。w

幼なじみから、新作買った?って電話がありまして。
久々にゲームでワクワクしとります。

早速昨日、一周し終わりまして、案の定犯人に殺されました。笑
風邪で寝込みながらのゲームは最高に幸せです。

2012年2月9日木曜日

Run.

えー、ご無沙汰してます。
『わっためがす』の管理人こと、たげしですw


えーとですね、Blog更新しなくなってから色々と変化がありました。
プライベートなことから、仕事のことまで。
わたくし事なんで、ここでは詳しくは書きませんが、最近は心と時間に余裕が出て来たので、Blog『わっためがす』もちょくちょく更新してきたいと思います♪

まずはですねー、最近始めたこととして、「Run」を挙げます。

実は、iPod nanoを購入しまして、「フィットネス」アプリを使ってみたら、これが意外と楽しい!ことに気付きまして、最近ではナイキのサイトにRunデータをUPするまでに至りました。

日々のRunが管理されて、体脂肪は燃えるわ、サイト見てるとRunデータがまるでロープレゲームの経験値みたいに見えてきて、すっげー持続力補助に役立ってます♪

大好きなAppleがNikeと提携してることに気付いたのが最近なので、非常に出遅れた感w

これは、ネットで拾った写真なのですが、フィットネスアプリを使うと、こんな風にサイトにUPされます。

これも、他人のRunデータ。


こんなに楽しくRun出来る時が来るとわ、、陸上やってた頃は想像も付きませんでしたよ♪


6.5キロを大体40分掛けて走ってますけど、最近体力と筋力に余裕が出てきました。

これ、本当は全国的にチームとか作って、サイトで結果報告みたいなのも出来るみたいですね。
知り合いにiPod nanoの第六世代持ってる人がいたら、是非一緒にやりたいくらいです。
兎に角、コレクター魂とかロープレ精神とか、ことごとく自分の心をくすぐるんです。

今月の給料入ったら、ナイキのタイツを買おうと思ってます。
ちょっとずつですが、Runnerの様相を呈してきている『わっためがす』の管理人こと、「たげし」でしたw


夏までにスリム化達成するぞー!
おー!