2012年8月30日木曜日

youthful days.

関東圏はなんで、太麺のラーメンがこんなにも多いのか、、意味がわからない。。
うどんで良いじゃん。。
細麺のちぢれ麺と、とても味わい深いスープとの相性がマッチングした時のあの、、
これぞラーメン!って味を、垂涎必須のあの五臓六腑全部で欲する程のあの味を、体験したことがない人が多いのだろうか。。

味覚も人も、千差万別とか言って納得出来るほどの人物じゃないし、理解不能なことを無理矢理理解しようとする程馬鹿じゃないです。

太麺の、太麺たる所以を納得するようなラーメンに出会ってみたいものだ。





子供の頃は、東北の大自然を懐にいつでも雄大な景色と共にありました。
家族とか知り合いとか、友達とか学校とか、愛されることにも愛することにも何の疑問も感じずに、ただ自分の空想とか遊びとかに夢中で、自然と調和する喜びだとか湧き起こる感情をそのままダイレクトに全身で表現していました。

大人になることなんて考えずに、ただひたすら『今』を感じるだけで、毎日が充実していた少年期。


仕事終わって帰って、駐車場に佇んで夜空を見上げると、昔となーんも変わんない雄大でミステリアスな宇宙が広がってます。
視線を戻して、自分の車を見て、子供の頃には持っていなかった自分の行動範囲の広がりやその制限の無さを、ふと感じます。
この車に乗って、行きたい場所へ行ったりすることも出来るんだなぁって。
子供の頃に思ってたことや、やりたいなーって思ってたことが今、なんの制限もなくただ眼前に広がってるんだなぁってなんとなく感じました。

やらないけどね。笑
面倒臭さとか、気力も大体60%だったりするから。

でも、自分に意味も無く理由もなく、なんとなく今の生活に縛られてる気がして自分の心や気持ちに制限をかけるのは、超ー無利益で不毛で勿体ないことかも…って思う。
1人で山に登ったり、1人で河を泳いだり、1人で修行したり。笑

そうこうしてるうちに友達が集って、遊びが広がっていって、新しい遊びが増えていった少年期。



世界が変わったのか、自分が変わったのか、聞くまでもなくわかること。



子供の頃の自分と言葉を交わすことが出来たら、きっと楽しいと思う。
どんな気持ちでそんな頃を過ごしてきたか分かるから、今も余裕がある時はその気持ちに付き合っていこうと思う。

肉体は老化していっても、きっと魂に年齢は関係ないから。

死ぬ寸前まで子供のように、冒険に憧れる気持ちを持っていたい。



…とか言って、あまり変わり映えしないんだろうけど。

でも、たまに思い出して、遊びに夢中になりたい。



なんか冒険したい。




…今年は海で素潜りとか自然に還ることが少なかったからか、なんか無性にアウトドアしたい気分。

2012年8月27日月曜日

i`m talking about lovin`

ミスチルの新しいLIVE DVD 「STADIUM TOUR 2011 SENSE-in the field」を買いましたよ♪

今、仕事を終えて晩酌しながら二周目観ています(^-^)

今回の一押しは、i`m talking about lovin`からのinnocent worldです♪
凄い軽やかに、緩やかに、流れてくるメロディーが、とてもinnocenseな雰囲気で、聴いてて心地良かった♪

やっぱ、ミスチルは良いなぁ。




休みに、高校時代からの親友が経営する会社に、バイトしに行ってきました。
エアコン設置とか修理の、仕事で、自分の仕事も電気に携わることをしているので、なんとなくノリで内容が分かるってことで、一緒に依頼主の家に出掛けて行きました♪

3件ほど、東京の街を廻って歩いたのですが、どこの家も同じような感じで。笑
どこの家にも、「私は詳しいんだよ」みたいな雰囲気を醸し出してる人がいます。笑
大したことないんだけど、修理に来る人に舐められたくないのか、何かとアピってくる様が、なんか面白くてw
自分も素人ではあるんだけど、なんとなくどこの家にも同じ様な人がいて、面白いなぁって感じました。
初めて修理人の視点で他人の家に上がって、こう視えてるんだなぁって、実感出来て楽しかったです。

これからは、そういう修理を依頼したら、口出ししないでいとこうと思います。
恥ずかしいし、基本相手にするのも仕方ないなぁって感じなので、あんまり口出しすると恥ずかしいもんです。って思った。笑
相手はプロなわけだしねw


同じ会社にとどまって、繰り返しとは言わないまでも
マンネリとした気持ちを、違う会社に出向いて、プロ意識を思い出す。
そうすることで、良い刺激になって、自分の仕事に携わる気持ちも良い意味でリセット出来る気がします。
どこの世界も、楽じゃないけど、自分が一番苦労してるなんて思っちゃ、面白くもなんともないです。
どんなに苦労しても、感謝されたり自分が役立ったことを実感することで、些細な仕事でもやりがいが生まれてくるように改めて感じました。

仕事は基本、楽しいもんだと思います。

それは、社会との、人との繋がりで成り立っていることだから。
基本的にはコミュニケーションの連鎖で、それを実感することで、自分の存在価値も、他人への優しさや思いやりも、自分の技能や技術を通してまるで鏡で見るように思い返していく。

仕事をすることで、自分を見つめ直す事が出来て、そして人と関わって隔たりを越えていく。
仕事はコミュニケーションの連鎖なんだなぁって、仕事は仕事ではなくて、人と人との繋がりの連鎖で成り立って、結局は楽しむことでやりがいが生まれてくる、良いもんなんだなぁって、思い返せました。笑
まぁなんてゆーか、良い刺激になったよと、そういうこってす。



今まで抱えてた問題も、別の視点で休み明けに出勤して、それとなく優しさをもちいって後輩と関われたり。
結局は自分次第なんですね。

抽象的だけど、普段自分がいる場所とは別の場所を体験することは、とても意義のあることなんだなって、勉強になりましたよ。



最近、1人でいる時は、基本漫画かゲームをして過ごしてます。

ハマっている漫画は「宇宙兄弟」で、やっているゲームは「アスラズラース」。

こういうものは、ちょっと前までは『意味がないもの』だとしか思えずに、何か夢中になれるものを探したり、それ以外で楽しめるものを必死で探していました。

でも、否定するようなものでもないし、かえって興味のあることを敢えて否定する必要もないなって思って、しかも独り身だから時間もあるし、やりたいことは成る可くやるようにしています。

本や映画を観るような感じで、自分の気持ちの息抜きに、良い感じに使ってます。
人と関わることが一番楽しいのは、分かってるけど、やっぱ独りの時間も大切で、どちらかに傾倒せずに、楽しくやってることが大事なんだと思います。




人生は、何が起こるかわからない。


だったらやっぱ、今を楽しむことが一番最良な生き方なのかもね。

そして仕事も
遊びも、それ以外の生活も


一緒に何かを共有することが出来る人が側にいるということは、とても幸せなことだと思います。
お互いを理解し合える人の存在は、自分の暮らしに彩りをくれます。

そんな人を、人たちを大切にして、それを守るためにも一生懸命誠実に生きて行きたいと、そう酔っぱらいながらに思いました。


二転三転、伝えたいことが転がりまくってますが、ほろ酔い気分で気持ちの良い感じで、綴ってみました♪



ミスチルのLIVEは、めちゃくちゃ良いね!

2012年8月18日土曜日

近頃の若者は。

社会人になって早8年。

まだまだ未熟者だけど、最近じゃ新卒で入って来る若者や後輩達に疑問を抱くことも少なくありません。

恐らくきっと、そんなことを言うと「お前が言うな。笑」と先輩や上司から私も批判されそうですが。苦笑

でもね、思うんです。
近頃の20代前半(下手したら後半にも)は、自分を何様だと思っているのかって。笑

てゆーのも、色んな出来事、経験から感じてることなんだけども、例えば

・敬語が全然出来ておらず、基本ため口。
・何かをしてあげても、それで当然。優しい先輩は良い先輩、厳しい先輩は悪い先輩の構 図。
・一端に観られたい願望が強過ぎて、筋の通ってない発言や自分に疑問を抱かな過ぎて遠 慮のない言動の数々。
・基本、上から目線(誰に対しても)。


全て失笑もんだけど、何に虫酸が走るかって、、


例えば、先輩が10年掛けて覚えたことを、半年くらいで効率よく後輩や部下に教えることが先輩上司の責務。
これ確かに。
そうだよ。正論だと思います。

でもね、これって、後輩の立場で考えるべきことだとは思わないんです。
先輩や上司が、自分のプライドとか費やした時間と葛藤して、自分の存在意義と内側で苦悩もしながら、積極的に教える。
人にもよるけど、複雑なことを自分なりにシンプルにして覚えて、それを伝えることの有り難みは、この歳になって本当に感謝すべき褒められた行為なんだって思います。

その行為に対するせめてもの返答は、それを当たり前に思わない、感謝するってことなんじゃないでしょうか。

教えられて当然、わかんないことを教えるのが先輩の努めなんじゃないの?的な思考回路の若者には、それ以前の教育が必要なんじゃないのかなって、そう思います。
頭の固い、前時代的な発想かもしれないよ?確かにね。

でも、仕事や社会をまわしてるのは人間で、そこには少なからず人情が介入してくるから、当然教えたいって思える後輩と、そうでない後輩が絶対先輩上司にはある筈。
しかも、時代は違えど、種類は違えど、誰もが皆苦労とか苦渋を味わいながら習得した技術だから、それを与えられた時は、せめてそこに敬意を払うべきなんだと思います。

たとえ、先輩や上司が、仏のように、敬語はなくても良い、惜しむ事なく与える。
そう言ってるとしても、「そっかぁ、アハハ〜♪」ってなって良いわけがないでしょ?
それは先輩上司のスタイル、そこに感謝するかどうか、当たり前と思うかどうかは後輩側のスタイルなわけです。

だから、当然と思ったりするような奴には皆がみんな、それで普通と思うような人たちばかりじゃないと私は思います。


謙虚に、積極的に、感謝とか輪を保とうと努力してる姿があってこそ、先輩や上司の苦悩に応えることが出来るのではないかって、そう思ってます。



与えられて当然、のスタンスは家庭の中だけにして欲しい。



まずその前に、教えたいって思える最低限の礼儀を身につけて欲しい。
それがわからないなら、いっぺん挫折して、自分のポリシーに頓挫して、3年くらい鬱病になって過去を悔やんでから出直してきてくれても良い。


それから落ち着いてもっぺん話し合いましょう。


…とは言わないけれど、そのくらいの苦労をしないと、こいつらマジでわかんねーんだろうなって、日々思います。

表面は、優しく言うようにはしてるし、厳しくも言わないけれど。
そこまで気を配らなくてはいけないのでしょうか?私たちは。



自分に言い聞かせてる面もあるけれど、本当は言いたいことだらけ。



でも、今日も抑える。
そんな毎日。



でも、俺だけ悩んでるわけじゃないし、職場は違えど、疑問を感じてる人は多いです。


皆がみんな同じ考えじゃない、んなことは分かってる。
でも、それだけで片付くような事柄でもないはず。


人知れず、闘ってる人達と人知れず摩擦が生まれないように、円満でいれるように、より良く世代を超えてうまくやっていけるように、そこのラインに立っていきたい。

2012年8月16日木曜日

風邪。

風邪をひきました。 

昔から、風邪をひくとオナラが出易い体質です。 

オナラと言えば、たぁちゃん(祖母)を思い出します。 


毎回、恒例のやりとりですが、 
居間でグダラーっとしてると、台所のほうから「ブッ!」っとたぁちゃんの放屁音が聞こえます。 
「にゃ、屁ぇこいで。」っと私が言うと、 
「あい、聞こえだ!良いー耳っこだごど♪」と返されます。 

都合の良い耳だけど、そんなたぁちゃんも一昨日で90になりました。 

おめでとう! 
たぁちゃん♪ 


末永く盛大にオナラしてね!

2012年8月13日月曜日

怖い話。

夜勤前だというのに、寝苦しい蒸し暑さにやられてます。
いっそのこと起き上がろうかと想い、今PCの前で『わっためがす』を開いてます。


『わっためがす』を読みにくる人が実際どれだけいるかわかりませんが、仮に「読者に皆さん」と呼びかけてみたいと思います。

皆さんは、怖い話をご存知でしょうか?

実体験でも、人伝てに聴いた話でも、作り話でも構いません。


私自身も、怖い体験は今までの人生で一度か二度、経験したことがあります。



しかし、実体験の話は結構洒落にならん要素も含んでいるので、今回は自粛しときます。



自分が思う怖い話の類いに、オカルト要素を含んだ《妖怪》話がいくつか思い浮かびます。




①クネクネ
②ヤマノケ
③八尺様


この三つは、ガチで怖い上に、話がシンプルゆえに想像力を刺激されて、身震いする程の面白さが魅力です。




怖い話はもともと大好きなので、もっと色んな物語を知りたいなー、とは思っておりますが、今日は、上記の三つの話を、めっちゃ簡単に紹介したいと思います。




では。。


①クネクネ
ある仲の良い兄弟が、田舎に帰省した時の話。
確かまだ10代後半の兄弟が主役だったと思います。
田舎特有の広大な田んぼで二人で遊んでいると、兄貴が双眼鏡で遠くを観ていました。
兄貴が双眼鏡を覗いたまま、固まっていたので、弟が声を掛けると、「観るな!」の一言。
弟は何がなんだかわからないまま、取り敢えず1人で遊びに戻ります。
暫くして兄貴の方を観ると、何やらクネクネと身体を奇妙に揺らしながら不気味に踊っています。
怖くなって、急いで祖父の家に戻って、その状況を伝えると、祖父が
「お前も観たんか!お前はどうしたんじゃ!」と血相を変えて聞いてきます。
弟は「観たって何を?」と問い返すと、祖父は「…観とらんのか、、良かった…兄のことは、仕方なかったんじゃ…」と何やら諦めたかのような態度です。
祖父母と一緒に兄のいる田んぼに戻ると、まだ異様な様子で踊り狂っています。
クネクネ、くねくね、と。

異常な状態の兄をなんとか連れて、祖父母の家に戻ると、父と母も田舎に戻ってきていました。
皆一様に、事態を悔やむような面持ちで、今後のことについて話合っていました。

祖父「兄のことはもう、どうしようもない、自然に返してやるのが一番じゃ。。」
弟はなんのことなのかわかりません。
しかし、その脇で兄は変わらずにくねくね、手足をじたばた動かしながら踊り狂っています。

その日は、皆疲れきった様子で、兄を残したまま眠りに就きました。

翌朝、父と母、そして弟は車で田舎から元々暮らしていた都会に帰ることとなりました。
祖父母と別れを告げて、車に乗り込み、田舎道を走ります。

田んぼを振り返ると、兄が異様な姿で身体をクネクネさせて、まるで家族に手を振るかのように踊りくるっています。

その姿を見送りながら、ふと田んぼの横に目をやると、何やら白い姿の人間のような姿をしたそれが、まるで兄のように物凄い速さで全身をねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくねくくねくねくねくねくねくねくねくねくね、、、、



…ってゆー話。


おっそろし!笑



②ヤマノケ
仲の良い兄貴と妹がおりました。
兄貴は成人したばかりで、父親の車を借りて、その日は可愛がっている妹とドライブに出掛けていました。
妹の喜ぶ姿を観ながら、海が見えては立寄り、妹のはしゃぐ姿に満足して、二人は家路に就きます。
帰る途中、森の中にぽっかりと口を開けたかのような真っ暗な道を妹が見つけ、「あそこに入ろう!」と言います。
最初は断りましたが、あまりにも妹が駄々をこねるので、仕方なくその道にはいりました。
暫く走ると、妹は助手席で眠そうにしています。
そろそろUターンして元の道に戻ろうかとした時、エンジンが唐突に止まります。
兄は何がなんだかわからないまま、キーを捻りますが、一向にエンジンは掛かりません。

そうこうしているうちに夜も更けていき、辺りは真っ暗。

諦めて、少し休もうとしていると、、
遠くから、、ケーンパ、ケーンパ、という足音が聞こえてきます。
よく聞いていると、「テーン(ケン?)…ソウ…メツ」と声だかなんだかわからない音で繰り返しています。


それが、段々近づいてきて、その姿をフロントガラス越しにみると、まるでウルトラマンに出てくるジャミラのような姿をした顔が胴体の中に埋まったような姿をしたそれが、ケンケンパをしながら近づいてきます。

固唾を飲んで呆気にとられていると、それは車の横を通り過ぎていきました。

何事もなく過ぎ去ったと思って、妹の方をみやると、助手席側の窓越しに、尋常じゃなく大きな顔(胴体?)が妹のほうを凝視しています。

怖さよりも得体の知れないものが妹に近づいたという怒りで、兄は「近づくなーーッ」と叫ぶと、それは姿を消しました。

息を切らして、妹をもう一度みやると、妹が「ハイレタ、ハイレタ、ハイレタ、」とぶつぶつ呟いています。

そしてそのうち、「ケーン…ソウ…メツ」と繰り返すようになってきました。








…あ、夜勤の時間が近づいてきたので今日はこの辺で。笑
続きは気が向いたら。
気になる方は、ネットで検索すると沢山出てくると思います。


調べてみてね!

かなり簡単に端折って書いたので、細部は違いますが、大体こんな感じの雰囲気だったと思います。

何より!
得体の知れないものに恐怖を感じますね!



あー涼しくなってきた。

2012年8月12日日曜日

江頭2:50

こんばんわ。


少し遅めとなりましたが、この夏用の服を買い出しに、今日は千葉県のららぽ〜と♪に赴いておりました。

NORTH FACEの店員がめっちゃ可愛くて、勿論デザインも良くて、Tシャツやら帽子やら何やらを購入。
あんまファッションに拘りとかもないけれど、今年はNORTH FACEにハマりそうです。
店員が可愛くて。

じゃなくって、デザインが素敵なので。

今月、給料入ったらもっかい行ってこよう。


で、今日一番の高価な買い物は、ランニングタイツ。
膝が悪いので、常に激痛と付き合いがならのランニングだったのですが、今回、膝サポート付きのタイツを購入したお陰で、今夜は大分楽チンなランニングになりました。
効果絶大!

いつも、しちめんどくさいことばっか書いてるので、今日は備忘録ってゆーか、ちょっとした日記程度に更新します。





あ、タイトルの江頭2:50は、タイツ履いた姿がなんかそれっぽかったんで、付けてみました。





あー…、特に書くことない。笑





なぁんか最近、洗車する度に雨が降ります。
にゃーな、わったり。
って感じ。





では。



また〜♪

2012年8月4日土曜日

涼。

真夏の真っただ中、皆さんは如何お過ごしでしょうか。


最近のマイブームは、「蕎麦」でございます。


近所に蕎麦屋さんがあって、最近は割りと頻繁に暖簾をくぐっております。

ざる蕎麦は、日本人の心に馴染む、夏に最も涼をもたらしてくれる食べ物だと、最近思ってきました。


ざる蕎麦のたれに、涼しげな輪切りのネギ達に、鼻もとをつーんと刺激してくれる山葵。

そこに、昔ながらの蕎麦を半分程つけて、ゾゾゾーッと音を立てて涼しげに啜る。


…最高に、夏!



出来るなら、家中の窓を明けて、畳に座ってひぐらしの鳴き声を聴きながら静かに食べたいもんです。笑


これぞ日本の夏!って感じで素敵じゃないですか?




話は変わって、最近『宇宙兄弟』という漫画を読んでおります。
まだ物語は終わってないようで、現在17巻まで書店に並んでるみたいです。
実の兄とか、友達にも薦められて、読み始めて今12巻まで読み終わりました。
なんか、主人公がとても身近に感じられて、共感するところも多く、読んでてとても素直になれる漫画です。
面白いです♪

11巻、12巻で久々に漫画読んでウルウルきました。笑

漫画本はもう買いだめしないって決めたのに、気付くと書店に足が向きます。


【宇宙】にも、久々に想い馳せて、なんだか子供の頃に戻った感覚です。笑
やっぱ、子供の頃にワクワクしてたものの存在は、大人になって仕事に追われたり人間関係に迷ったりしたところで、本質的には何も変わってない、同じ様なことでまたワクワクしてる自分を知って、ワクワクがどっかに行ったわけでなく、自分がワクワクから遠ざかってたってことを教えてくれる、良い目印みたいなものですね。

誰しも子供の頃に抱く、ファンタジックな想像や空想。
それがこの漫画では現実と繋ぎ合わせて、「それらが存在しない」、と誰か言った?みたいなテンションで物語を繰り広げてくれます。

だから、読んでるこっちもなんだかワクワクしてしまって、主人公の煩悩や迷いと同じテンションで段々物語の中に吸い込まれていくような感覚になってしまいます。笑
影響され易いですかね。



ひぐらしの鳴き声が響き渡る夕刻、小腹が空いてきましたね。

さて、また蕎麦でも食ってきますか。


蕎麦の日々、意外とダイエットにもなりそうです。笑

2012年8月2日木曜日

蒼穹。

こんな暑い日は、陸上用のまるいトラックを思い出しては、ジリジリ焼ける真夏の陽射しを恨めしく睨んでた中学時代を思い出します。笑



またまた人生哲学じゃないけど、まるでうちらはアスリートだなって思って。
オリンピックネタじゃないけど、そう思う。

レース前のアスリートみたいに、スターターの後ろに立って、準備が出来たら脚をセットして…
ガヤつく周囲とは隔離されたみたいな静けさの中に自分を置いて、静かに待つ。
静かに、でも一触即発な面持ちで。
ヨーイドン!
の合図と共に、気付いたら50m。ゴールまであと半分。
強く速く走り抜ければ、それだけ向かい風もきつくなって。。


速く走れば走る程、障壁は自分の前に立ちはだかるものじゃん。
当たり前なんだよね。
考えてみれば。



友達は少なくはない方だと思っていて。
人脈はあったに越したことはないし、それを自分の価値みたいに勘違いしてた時期もあるけど、ただの介添人ってゆーか、ただそこを通すだけの人間なんて、まっぴらゴメンだなって思ったことがある。
やっぱし、ギブアンドテイクとはちょっと違うけど、凄いな、努力したんだなって思う人達と、肩を並べてテンション高いまま腹から笑って過ごしたいって思う。

だから、いつからかは忘れたけど。笑
周りに返せるように。自分が何かを与えられるように。
そんな風に思って、自分なりの価値を何かしら高めてきたかなって、ちょっと思う。
勿論、全然まだまだなんだけど。


「成りたい自分」とか「取りたい資格」。
なんでも、難題でもなんでも良くて、今まではそれに尻込みしたり、何か理由を付けては後回しにしてた自分がいたけど。

例えばそれが、どこかで自分の訪れを『待ってる』って考えたら。
期待に胸を膨らませて、自分とか若しくは自分達の訪れを、どこかで信じてて、ずっと『待ってる』って考えたら。笑

そう思ったら、なんか力が湧いて、少しワクワクもしてくる。


どこかでずっと、自分達の訪れを『待ってる』。


そう考えたら少し、楽になるし、やる気が湧いてくる。


スターターに脚乗っけて待ってる緊張感も、別に否定はしないけど、陸上のトラックも、何mか先に一定間隔で置かれたハードルも。

訪れる先にあれば飛び越えなきゃいけないし、例えば逆周りに走ろうが、隣のトラックに移ろうが、そもそもトラックなんてなくて、ただそこに突っ立ってた時、走れる先は無限に広がってるのかもしれないって、まぁ全然現実と結びついてないけど、自分らが走る場所は陸上用トラックなんかじゃないって気付くことが大切なのかなって、そう思った。

こじつけだけどね。笑


だから、速く走れば向かい風も当然強くなるし、ハードルを飛び越えられるか不安な気持ちだって、いつもあるけど。

どこかで《それ》が自分らの訪れを『待ってる』なら、それは、走り抜けて出会ってみたいよね。笑


これでもかって!程の蒼穹に、卑屈な顔なんて向けたくないから。


そう思うことで走る勇気が湧くなら。

この【わっためがす】で俺はわっためがして意識表明をするよ。笑



まだまだ走れる。


俺のオリンピックは、まだ始まってない気もするし。
いつになったら始まるのか。苦笑