2012年3月19日月曜日

かぞえうた。

少し遅くなったけど。
綴っときたい。

ついこないだ、いつもより大きな地震が暮らしてるところに寄りました。

去年の大地震が嫌でもフラッシュバックして、色んなことを思い出しました。
今住んでるあたりは、震源地付近の被害に比べたら、大したことありません。

けど、もろに被災した地域にも知人はいたわけで。
新入社員として入社した若者達の中にも、家族や知人に計り知れない悲しみをもたらされた経験をした奴も何人かいた。

「知ってる人が死に過ぎて、涙も出ない」
それまでよく読ませてもらってたBlogの管理人の一言。
凄く痛切で、どうしようもなく愛おしさに苦しまざるを得ない感情が湧きます。

同時に、なんか日常が順調でいると、つい軽んじがちになってる自分にどうしようもなく愚かさとかみじめさを感じてしまい、そこはかとなく自己嫌悪な気持ちがやってくる。

考え方を変えたり、目線が少しでも違えば良いんだけど。
何事も、捉われ過ぎないことが大切だと思う。

何がどうなっても引っ繰り返らない現実って、受け止めるだけで辛いし、夜更けに孤独が爆発してどうしようもなくなる。
ただ、人の強さとか、絆の深さとか、その美しさや力強さにいつもより敏感になって、いつもより人に優しくなれる様な気はする。
それを、その強さを、本当はいつまでも忘れちゃいけないんだろうけど。

そんな事を忘れてしまう、軽んじてばかりの自分に、無性に悲しくなるってゆーか、忘れてばかりの自分に、疑問を感じる時があるよ。

色んなことが重なって、ちょっと感傷的にな記事になりましたw
明日はもっとマシに。
そう思って忘れずにいたい。

2 件のコメント:

  1. それは皆同じじゃないかなって思うよ。
    やっぱり我が身に起きていないことは、真実味を自分の中で感じられずにいて、時には心を乱されることがあっても、日々の暮らしの中で薄れて行ってしまうよね。

    私もそう。
    いけないなーって思うのに、普通に生きてる。
    普通に生活してる。
    やっぱり自分や自分を取り巻く人たちが大切なわけで…。
    難しいね。

    でも、こうしてきちんと文字にして発信するあなたはすごいなーといつも思うよ。

    人と自然に感謝して、生きて行けたらいいんだけどなー(>人<;)

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  2. ryoさん
    返信が凄く遅くなってしまって申し訳ないです。

    震災のあの日、例えば「明日はこれがしたいな」とか「今すっごくハッピー♪」とか、凄く沈んでたり未来に希望を馳せてたり、色んな人がいたと思います。

    それが、何の予兆もなく人生の終わりが近づいて、容赦なく海の藻くずと化して苦しんで死んでいくしかなかった最期を思うと、、なんつーか、人の想いの強さを普段から感じてる割に、それはとても儚いことでもあるんだなって思った。

    長年、愛情と慈愛でもって築き上げた家族だとか思い出。
    それがあまりに簡単に、唐突に奪われるって、、
    そこに意味なんてあんの?
    って怒りにも似た感情で、とてもやるせなくなりますよね。

    歳を取るにつれて、寡黙にならざるを得ない現実っていうんでしょうか。
    いつまでも、ただ純粋になんの考えもなしに楽しんではいられなくなります。

    色んな複雑の上に人の人生は建ってるって思いますけど、だからこその前向きさとか面白さを感じれる心は持ってたいですよね。
    いつまでも。

    長くなりました。w

    この日を胸に刻んで毎年迎えることが、自分が出来るせめてもの供養、、って言ったら軽薄でしょうけど、悔やみながら迎えるべき日なのかなって思います。

    暗くなったw

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