日がな一日、壁と寄り添って。
陰鬱な気持ちのまま孤独に苛まれたりして
続く限りの眠りに一日中溺れていたり。
そんな日々を送ったこともあったかと思う。
家族や友人、地元を離れて暮らしていて身に染みたことがひとつ。
人を変えることが出来るのは人だけだということ。
どんなに嫌気がさして人に躓いたりしても、起き上がらない理由を人のせいにしてはいけないと思う。
転んだのは誰かのせいでも、起き上がるかどうかは自分次第だから。
ルーティーンで変わっていく人もいるんだろうけど、自分自身に日々大きな変化をもたらすくらいの突貫力やチャレンジ精神を持ち続けることは凄く大切なことだと思う。
いくら人より優れていたところがあったって、結局のところ納得するのは自分だから。
昨日の自分より今日の自分、去年の自分より今の自分、て納得出来なきゃ本当の自分を見失ってしまう。
「痛いのは生きているから 転んだのは歩いたから 迷っているのは前に進みたいから 逃げ出したいのは闘っているから」
どこかで拾った言葉だけど、歳老いて昔ほど苦悩しなくなったのは、ちょっと日和ってまったからかなとも思うけど。
普通に暮らしてても逃げ出したくなる時なんて山ほどあるし、毎日転んでもいるけど、こうやって少しずつでも前進しようと思える心を養ってくれた家族や環境に感謝したい。
自分が今立ってる位置は、思ってたほど悪い位置でもないみたいだから。
本当にそうかはあとになってみないと分からないけれど。
仕事や家族、日々に忙殺されたらこんなこと考える暇すらなくなるんだろうけど。
自分が何歳の時に、こんなことを考えていたんだなって、残すのも悪くはない気がする。
頑固なとこはないと思ってた節もあるけど、自分の頭の中なんて自分だけのちっさな道徳の中でしか生きてなくて、他人の思考に絶大なインパクトを与えられて変わっていく自分と出会えた時は嬉しい。
正義の反対は別の正義。
誰しもが「自分の道徳に従ってる」だけだと思うから。
甘さも罪も、道理も理不尽も
凸凹が一致するようなパートナーと出会える時があったなら、それはとても幸運なことと思う。
そして、人を変えることが出来るのは人だけってのは、それを実感するまで気付けなかったこと。
それはつまり、今までなかなか人を認めることが出来なかったからかなと思う。
自分が心から認めた人との繋がりが、本当の意味で自分自身を変えて影響していくことと思うから。
良いにしろ悪いにしろ、そういった出会いは本当に大切にすべきことだなと思います。
こういうこと書く俺ってホント暇だなーって呆れるけれど、こうやって逃げに走んないと頭パンクするくらいやること多すぎる。
仕事も遅遅として進まない。
逃げたいのは闘ってるからだよね、うん。
なんか偉そうだし痛い日記になってしまった。
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