2012年8月2日木曜日

蒼穹。

こんな暑い日は、陸上用のまるいトラックを思い出しては、ジリジリ焼ける真夏の陽射しを恨めしく睨んでた中学時代を思い出します。笑



またまた人生哲学じゃないけど、まるでうちらはアスリートだなって思って。
オリンピックネタじゃないけど、そう思う。

レース前のアスリートみたいに、スターターの後ろに立って、準備が出来たら脚をセットして…
ガヤつく周囲とは隔離されたみたいな静けさの中に自分を置いて、静かに待つ。
静かに、でも一触即発な面持ちで。
ヨーイドン!
の合図と共に、気付いたら50m。ゴールまであと半分。
強く速く走り抜ければ、それだけ向かい風もきつくなって。。


速く走れば走る程、障壁は自分の前に立ちはだかるものじゃん。
当たり前なんだよね。
考えてみれば。



友達は少なくはない方だと思っていて。
人脈はあったに越したことはないし、それを自分の価値みたいに勘違いしてた時期もあるけど、ただの介添人ってゆーか、ただそこを通すだけの人間なんて、まっぴらゴメンだなって思ったことがある。
やっぱし、ギブアンドテイクとはちょっと違うけど、凄いな、努力したんだなって思う人達と、肩を並べてテンション高いまま腹から笑って過ごしたいって思う。

だから、いつからかは忘れたけど。笑
周りに返せるように。自分が何かを与えられるように。
そんな風に思って、自分なりの価値を何かしら高めてきたかなって、ちょっと思う。
勿論、全然まだまだなんだけど。


「成りたい自分」とか「取りたい資格」。
なんでも、難題でもなんでも良くて、今まではそれに尻込みしたり、何か理由を付けては後回しにしてた自分がいたけど。

例えばそれが、どこかで自分の訪れを『待ってる』って考えたら。
期待に胸を膨らませて、自分とか若しくは自分達の訪れを、どこかで信じてて、ずっと『待ってる』って考えたら。笑

そう思ったら、なんか力が湧いて、少しワクワクもしてくる。


どこかでずっと、自分達の訪れを『待ってる』。


そう考えたら少し、楽になるし、やる気が湧いてくる。


スターターに脚乗っけて待ってる緊張感も、別に否定はしないけど、陸上のトラックも、何mか先に一定間隔で置かれたハードルも。

訪れる先にあれば飛び越えなきゃいけないし、例えば逆周りに走ろうが、隣のトラックに移ろうが、そもそもトラックなんてなくて、ただそこに突っ立ってた時、走れる先は無限に広がってるのかもしれないって、まぁ全然現実と結びついてないけど、自分らが走る場所は陸上用トラックなんかじゃないって気付くことが大切なのかなって、そう思った。

こじつけだけどね。笑


だから、速く走れば向かい風も当然強くなるし、ハードルを飛び越えられるか不安な気持ちだって、いつもあるけど。

どこかで《それ》が自分らの訪れを『待ってる』なら、それは、走り抜けて出会ってみたいよね。笑


これでもかって!程の蒼穹に、卑屈な顔なんて向けたくないから。


そう思うことで走る勇気が湧くなら。

この【わっためがす】で俺はわっためがして意識表明をするよ。笑



まだまだ走れる。


俺のオリンピックは、まだ始まってない気もするし。
いつになったら始まるのか。苦笑






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