2014年3月15日土曜日

communication。

活発で、刺激的で、ユーモラスで、創造的で、精力的で、愉快で。

そんな楽しいひとときを過ごすのに必要なものは、「快活なコミュニケーション」であると、今更ながらに自覚した。


「自然体であること」と「快活なコミュニケーション」を繰り出すこと程、暮らしにおいて『豊かさ』を生み出す術においてbestなことはないんじゃないかって、もの凄く最近思う。


きっかけは職場だったりして。

対人関係において、当たり前のことではあるが
より良い人間関係を築けている人に対してと、そうではない人に対してとでは、
例えば対象が同じ失敗をしたら、確実に周りは前者に対してフォローかユーモア、最低でも指導またはアドバイスでコミュニケーションを図ったりする。
それが後者では、指導以上の叱責か、または事が済んでも人間関係に歪みを生んだり悪い噂となって対象の評価を落としたりする。

とても当たり前なことだと思うが、もし自分が前向きな精神の持ち主だと自負しているならば、そのことを発信して、より良いものを残す為にどうしたら良いかなど、周囲にも感化しながらお互いのことを知り合い、例えるなら石がぶつかり合って研磨し合うが如くよりシンプルで美しい形に物事が進んで行くと思う。

しかし、良いコミュニケーションを生んでいない場合、それは研磨でなくただ『破壊』。

どこまでぶつかれば良いのか、どの程度で壊れて、どの程度なら研磨されるのか。
心を閉ざして不貞るような人だったり、相手を思いやる心を見失ってる状態であれば、簡単なミスでも必要以上に悪く思われたりする。


最近は凄くそのことが顕著に身の回りで起こっているため、コミュケーションてこんなに大事なことなんだねって備忘録を兼ねて記録するに至った。


自然体な自分を知ってもらうためにコミュニケーションを図る。
それも積極的な視点で、そして快活に。

きっと心を閉ざす人は弱さから着込んで自然体をさらけ出せず、自分の思う方向に相手を促すためにダークになって、でも自然じゃないからどんどんダークになって。
コミュニケーションの取り方もわからなくなってふさぎ込んで。
そんな負のスパイラルから中々抜け出せずに独りで四苦八苦してるんじゃないだろうか。

自分もそんな気があったから、そんなふうに勝手に思ったりしてる。



「自然帯」と「コミュニケーション」。
きっとこの二つはお互いが相乗効果でより気持ちを高めていけるものだと思ってる。
コミュニケーションを取るからより良い人間関係が築けて、楽しいから自分をさらけ出すことが出来る。
そのお陰で自然体でいれるからより良いコミュニケーションが生まれる。


そんなスパイラルが生まれたらきっと楽しい。


自分の暮らしをシンプルに例えたり、「これをしよう」ってひとつずつ決めていくことって楽しいんだな。

そう思う今日この頃。

コミュニケーションに関して思うお話でした。

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