2012年12月7日金曜日

ダイバーダウン!

自分の本質や臨んでいることを、自分でどの程度分かっているかって結構大事なことだと思う。

面倒くさい人間って思われるかもしれないけれど、浅はかに言葉を紡いだりしたら、それなりの人間関係しか築けないと思うしそれなりの結果しか人生に生まれないと思うから。

普段からそこまで考えてるわけではないけれど。


新しいアイディアだとか、これだ!って思えるほどピンポイントで自分の感情を伝える手段は、やっぱし自分と向き合っていないと出てこないことだと思うから。

周囲に流されたり、納得いかないまま過ごしてたりすると、自分に嘘を付いた代償はあとになって肥大して、自分に降り掛かってくるから。
心の病とかになってね。

だから、自分の深さを知るということは自分の健康のためにも大切だと思う。


自分の心の最深部を探ることは、そんなに嫌なことでもない。


未熟でいると、他人と話す時、気持ちを交わす時に自分の心の海の、極浅いところまで浮き上がってきてしまって、最深部のある位置を見失ってしまう。
再びそこまで潜って同じ場所を見つけるのは至難の技。
深ければ深いほど、潮流が速ければ速いほど。

ある程度の深域に留まっていても、いきなり水中爆弾を落としてくる様な人もいる。
他人の海の深さを知らないが故に『この程度の破壊力があればこの人に届くだろう』みたいな感じで爆弾を発射してくるから、
そういう人を「浅はか」と呼ぶんであれば、昔からある言葉や表現って、凄いなって思う。

恐らくきっと、自分ひとりでいる時は、心の最深部に静かに潜っていることが出来るから、色んなことが視えてくるんだろう。
勿論、自分の海の中にいるだけじゃ視えないことも一杯あるんだけど。
出来るだけ他人と話す時でも、なるべく深いところに潜りつつ、ある程度の浅瀬まで浮上してみたり、深くまで潜って相手を潜らせてみたり、その掛け合いをすることで相手の深さや浅はかさを知る。
コミュニケーションは、自分の潜水能力と相手の潜水能力を伺いながら、気にかけながら、思いやりと気配りを以て二人意外の新しい海の、ある程度の深さまで二人で到達しようと努力することなのだろう。

自分がそこまで潜れないからって、深部まで爆弾ぶち込む人は、好きくないです。


気を遣うことなく、相手の最深部まで到達出来たり、自分の深いところまで苦労することなく到達出来たり、新しい深海に一緒に潜り込める人と出会えた時は、それは本当に大切にしなきゃと思う。
信頼出来る人とじゃないと、ダイビングなんて出来ないだろうから。

そんな人とは、滅多に出会えないだろうし、巡り会える可能性は、かなり希薄な気がする。
優劣じゃなく、相性って意味で。

人を惹き付ける人っていうのは、その深度を保ったまま、まるで潜水艦に乗せるが如く相手に苦労をかけずに深いところまで誘導出来たり、深過ぎる深海が魅惑の魔力を放ってる
ように、深淵な魅力を見出させる人なのかもしれない。

浅ければ浅いほど、波に飲まれて揺れ動く。
深ければ深いほど、静寂と暗闇の中で光が輝きを増す。

真理な気もしてる。


一緒に深いところまで潜っていける相手は、それだけで光となって深海を照らす道しるべになるんでしょう。


…なんつって。




でも、なかなか上手いこと例えれた気がします。


上ばっか見て宇宙の輝きを物欲しそうに見るのも良いけれど、足下の大海を把握することもまた、楽しめないこともないと、そう思います。

面倒くさいのも良いじゃない。
浅い海に漂って藻くずのように消えるよりも、深海を探検する方が性に合ってる気がしてる。


巨大なイカが現れるのか、はたまた強い意思と優しさを兼ね備えたクジラと出会えるのか。
深くまで潜ってみないとそれは分からないでしょう。



息が続かなくなったら陸に上がって、何も考えないでいるのも良い!

地元の海で、素潜りしたい。

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