2012年7月29日日曜日

HANABI.

近頃は暑くなってきましたね。

こんなに暑いと中学時代にやってた陸上の、あの草の焼ける匂いと、必要以上に重い顧問のプレッシャーを思い出して、あまり良い気持ちにはなりません。笑

もう10数年も前の話なのに、あの頃の記憶が鮮明で、テンションはあの頃のまま。
しかもトラウマまで引きずってることになろうとは、当時の自分は想像もしてなかっただろうな。苦笑
青春とは本当に大事なもんだ。


毎年、この時期になると、地元で行われる祭りのことを思い出します。


そろそろ本腰入れて、各地域の山車が囃子の練習をし出す頃ですね♪


私の夏ソングといえば、ミスチルのHANABIが浮かびます。

夕涼みの刻に、富士山周りをこれ流しながら車で走った時のあの感じが、凄く思い出に残っていて。
ちょっと遅めの青春て感じですw



夏は嫌いだったけど、大人になって毎年何かしらの思い出が出来ては印象が変わってきたりして、今年はなんとかトラウマを乗り越えて秋に向えそうで、ちょっと安心しております。


花火を観るといつも思います。
あれ、人間以外の生き物が観たら、この世の地獄みたいに見えるだろうな…ってゆーか、恐怖以外の何物でもないだろうなって。笑


全国的に有名な大曲の花火を、ばあちゃんと一緒に観に行ったことがあります。




視界を飛び越えるほどの花火のスケールには、圧巻されたし、視界が開ける程の感動を味わった数少ない思い出のひとつです。

帰ったあとの、ばあちゃんの言葉が更に印象的。


「思い出は美化されるから、今現在よりも思い出として楽しめる為に未来に向けて今を語るんだ」


↑いや、これ自体も大分フィクション入ってますがw


要は、思い出として残っていく出来事を、未来に向けて語ることによって、今の出来事が更に美しく見えるものになっていくんだ…

的なニュアンスだったと思います。




夏の夕涼みの刻、いかがお過ごしでしょうか。



鈴虫の鳴き声を聴きながら、水瓜でも食べたいもんだぁ。

2012年7月21日土曜日

パドリング。

出来るだけ「シンプルで」。

人生哲学じゃないけど、複雑を突き詰めれば、先にあるものはいつもこの言葉だと思う。

何かを思い詰めたり、躓いて苦悩したり、楽しくない時間を過ごしても、結局は自分の心に素直になることでしか楽しい時間は過ごせないわけで。
人間関係や自分の存在意義もそうだけど、結局は素直なままでいることがBESTなんだと思う。
ずるく、複雑で周りを支配しようとしても、結局は皆、うねる海を漂って藻掻いたり浮き沈みを繰り返してるようなもんで、その全てを把握するなんて到底無理なことなんだと思う。
自分も手や足をジタバタして泳いでるうちの一人だから。

だから、出来るだけ自分の呼吸に合わせて、波に合わせて漂って、流れに身を任せることで波に乗ることが出来て、結果距離としては一番進むことが出来てたりして。

生まれた時から豪華客船に乗ってる人もいれば、最初っから最後まで身ひとつで海原を漂ってる人もいて、荒れる海に投げ出された人もいれば、リゾートスポットの陽気で浅い海に漂ってる人もいたりして。

誰も予想できない波だから、やっぱ支配できないことに躍起になってもそれこそ一番スタミナを使う、しかもかなり意味のない力だったりして。


素直さやシンプルさが、波に乗るための一番の筋肉なのかもしれない。

そんな風に、近頃思った。



いずれ海底に沈むなら、魅惑の沈没船のように、浪漫を掻き立てるような宝物を積んだ、古くても夢のある船になれたら良い♪



さしずめ今は、小さな波を待ってる波待ちサーファーだけど、いつかはロングボードにタンデムしてるオサレな感じで、船に乗り込みたい。笑

2012年7月16日月曜日

地中海の旅。

iPadでニュースのメールを読んでたら、こんな画像が飛び込んできました。


まるで船が浮かんでるように見える、透明度の高い海!

うひょー、奇麗って思って場所を確認してみたら、「地中海」♪

思い出しました。

私、地中海テイストが大好きなんです。


凄いフェチってわけでも、地中海テイストに詳しいわけでもありませんが、高校時代とか、雑誌でたまに見かけると切り抜いて部屋に貼っちゃうような、地中海のあの蒼い感じが、鮮やかな青さがたまらなく好きだったことを思い出しました。笑


こんな感じ。


地中海独特の、白い壁に、青い家具。

トイレまで青い。

ドアも。笑


なんででしょう。


特に理由があるわけではないけれども、凄く癒しと想像力を掻き立てられるような鮮やかさ。


別に夏が好きとか、常夏の感じが好きなわけでなく、この開放感みたいなものに爽やかな青が加わると、とても、まるでラルクの「夏の憂鬱」とか「vivid colors」とかのあの絵画的な世界の中に入り込んだような気がして、とても気持ちが晴れます。







自分の今の部屋のテイストはこれらとは程遠いけども。笑

でも、基本的に部屋の構想とか、例えば日差しの入れ具合とか、なんちゅーかこの爽やかさだけは自分の部屋にも昔から取り入れてる気がします。

(奇麗な時だけはね笑)


いつか、行ってみたい場所です。


定年したらここで暮らしたい。笑


憧れの場所です。



扉を開いたら、一面に青が広がって、好きな音楽が窓越しに後ろで鳴ってる。


凄く良い感じですね♪

ガチャリ


どこへ行くでもなく、潮風を感じながら眠りに就きましょうか。

気持ち良さそー。。

2012年7月10日火曜日

Zoo.

ここ最近、とても多忙で腰を据えて何かをするなんて時間がなかったのですが、今やっと落ち着いて物思いに耽られる一人時間が出来たので、ここいらで少し独り言でも記事ってみようと思うw


最近は、人の素直さについて
考える機会が凄く多かった気がします。

会社の人、プライベートでの出来事、自分のこと、自分の周りの人たちのこと。

人が、何かに夢中になる時、無駄な思考が消え去って無意識の表情になってる時って、凄く素敵だなって思います。

利害関係を考えると、望まぬ駆け引きが発生するように。
他人を陥れようとして派閥が発生したり。

色んな、素直さとは真逆の出来事が自分の生活にだって渦巻いてますが、それを解決したいなー、とか、もっと直感的に、心の解放を噛み締めれるように、楽しく暮らしていくためには、やっぱ素直に気持ちを伝えて行く強さが必要なんだと思います。

それを分かって貰えるかは別としても。

物事をシンプルにしていきたかったら、何よりまず自分がシンプルでいないといけないと思います。

自分と関わりある、少なくとも自分にとっては大切な人達と、より良い未来を渡っていくためにも。築いていく為にも。

素直に何かを伝え、素直な感情で誰かと向き合い、素直に自分意外の誰かを思いやっていく。
それはきっと、強さがなければ出来ないこと。
他人を信じるには、自分にも強さが必要なことだと思うから。

自分の気持ちを隠すことや、好き勝手に吠えることは、強さとはまた違うくて、いつでも素直な自分の気持ちに向き合って、弱さや醜さを見つめて、泣いたり笑ったり、そうやって暮らしていくことで、自然に強さは身に付いて行くんだろうなって、思ってます。


笑。


実際大したこと書いてないですけど。



きっと皆似ていて、素直な自分を隠してる人ばっかなんだと思うし。


きっと皆心の中で言ってる。


「愛を下さい、うぉううぉう、愛を下さい♪Zoo..」

ってね。




恐らく、人は自分と共感してくれる人を探していて、恐らく人類の90%がそうなんじゃないかなって、勝手に思ってます。

でも、なかなかそういう人が見つからない。


多分、明日出会う人の3/4の人達に、ひたすら共感して力強く頷くことだけしてれば、恐らくその人達から好かれるんでしょう。

それは悪いことでもなくて、きっと良いことの部類に入るんでしょうけど。


でも、結局、

愛を下さい、wowwow、愛を下さい な心を出して、弱さや醜さを見つめて生きてる人の方がきっと魅力的なんでしょう。笑


その相手が見つかったなら尚更。

人に素直に向き合って行く強さが欲しい。
人の愛情に目一杯向き合っていく素直さが欲しいです。


そしたら、ほらね 皆似てるんだよ

Zoo,Zoo,Zooooo♪


久々だったので、随分まとまりつかなくなりましたが、ネタ無い状態で書いたしこんなもんでしょう。笑


自分の大切な人達には、少なくとも素直さだけは失わずに関わっていけたら、そんな風に願って、占めます。笑


さいなら、さいなら、さいなら♪

2012年5月3日木曜日

潜水。

夜遅くに、仕事終えて帰宅して

歯磨いて
熱い風呂に入って
清潔になって。

生活音だけを聴きながら、一人台所に静かに佇んで。
めっさ冷えた水を、一人きりでゴクゴク飲む静けさ…

通すことを忘れてた喉が、水の冷たさに刺激されながら


なんか思う…


今、生きてるな、俺


って。笑



窓空けた網戸ごしの雨音も、夜風も、また良い案配に心地よさを演出w


今まさに、いつか遺伝子を継ぐ(一般的には)であろうその人に、俺の20代はこんなんだったよって、語るとしたら、今の、この感じが良いなってゆー、そんな物思いに耽る深夜であった…。



あ、東京のオジさんってことで、今度生まれる甥っ子か姪っ子にでも、話せたら良いな♪笑


うふふのふ



2012年4月30日月曜日

Any.

自分自身、色んなことに真剣に取り組んでたつもりで、必死で本質を見極めようとしたり、「本当」のことがなんなのかを知ることに躍起になってきたけど

色んな人と関わったり、これだ!って思える応えを見つけては自分に納得したりそれを発信することで前に進めてる気がしてた。

けど、最近、思うことがあって。

弱さも強さも、人が生きてく上で、そのどちらが「本当」かなんて、それこそそのどちらかを否定することこそが「嘘」なわけで、言ってしまえば、「嘘」と「真実」その両方が「本当」なんだね、ってなんとなく思った。

その全てが人の真実なんだと、この歳になって思う。笑


答えはひとつじゃないってゆーか、全部本当なんだよね。

そう思いながら、誰かを否定したり、ひとつの真実を求めたり、、でもそれも間違いじゃないんだろうな。

無造作の中にある意志、みたいなw


かなり、漠然としてるし、なんでこんなこと書いたのかも、自分でわかってないけど、ただ、否定したり、嘘から真を、真からは嘘を、ってなってる自分に、少しの馬鹿らしさと、それを繰り返してきた今までに、少しの愛おしさを感じる今日この頃。

だから、自分がいるこの現状とか、それに携わってきた全ての人達に感謝と、その馬鹿らしさこそが、なんてゆーか、そこに何かがあるわけじゃないけれど、答えがなけりゃ進めないってのもまた、違うかなって。。

全てがまっさらで、全てが真実だった子供の頃みたいに、大人になった今だからこそ、馬鹿みたいに進む正直さ、真っ直ぐさみたいなものともう一度向き合ってみるのも面白いかもしんないなって、そこには何んにもないかもしんないけど、そういう馬鹿っぽさは少なくとも今の自分にないし、そんな風に思える今が自分の「真実」で、それは明日になって「嘘」になるかもしれないし、その移ろい易さを、少しは許しても良いんじゃないだろうか、、って都合の良い様に思ってみました。笑


結局、ONEもANYも、間違いじゃなくて。
真実真実って、思い込まず、嘘もあって真実もあって、それを受け入れる心の余裕こそが、過去の自分を否定せずに人生を楽しむ上でも大切なのかも。

違和感があるとすれば、それは、身勝手さ。
身勝手さも、立場や状況次第で主観として移ろっていくもんだとは思うけど、そこだけは常に自分の中に忘れずに持っていて、自分の弱さには向き合っていきたいと思う。


何が言いたいのか、いつものことだけど、たまにこうしてツラツラとひたすら書き殴りたい衝動に駆られます。





【追記】

上の長ったらしい文章を一言でいうと、

anyでもoneでもなくて、全部のことは、AnyOneなんだってこと。

その全てが平凡じゃなくて、どれもが特別な答えであって、真実なんだってことが言いたかったんだと思います。笑

2012年4月26日木曜日

どうも、ご無沙汰です。

かなり放置してましたね、わっためがす。笑

今日は休みで、久々にやることもないので、BlogでもUPしますよん♪
暇人カムバックです。

この休みにでも、去年購入したiPadのメールアドレス等、知人全てに送信しようかと思っております。
なんせ、docomoのBlackBerryからデータ引き継げず、全て手打ちで入力してたもんで、流石にそんな労力残すほどは暇してなかったってゆーw

それもこれも、タッチパネルだから特にやりづらいってことで、今はMacがあるから、キーボードで入力すれば、夕方頃には終わるかと思います。


最近、思うことがあって。。

地震関連でもあるんだけど、よくニュースとかで政治家が、
「万が一」って言葉を口にします。
万が一の事態に備えて、、とかね。

備えるって意味で使う分には、特に何も感じないけれど、個人的には「万が一」って言葉には当事者意識を欠いたニュアンスがある気がして、あまり好ましい言葉ではないかなって思ってます。
だって、もしその「万が一」が発生した場合、それはただひたすらにひとつの真実であって、そこから絶対逃げることの出来ない『現実』が、容赦なく横たわってくると思います。
「万が一」って言葉を使うことで、不安を和らげようとしてるんだろうか?
それはある意味、自己欺瞞でもあるのかなぁっても、思います。

【運命】は、個人的には【結果】だと思います。
イコールで結んでしまっても構わないと思ってます。
色んな過程を踏んで、それが今ある【結果】に繋がってきてる。
だから、万が一もなにも、例えば自分の努力でどうにかなるものと違うなら、それは「わからない」わけであって、人的なものでは不足の事態などはいくらでも防ぎようがあることだと思います。
金銭的なものとか、手続き的な問題もあるけどさ。

今やってる原発の再稼働の話とか、明らかに断層の「万が一」に逃げてる気がして。。
言いたいことをまとめると、、

結果からしてみたら、「万が一」もクソもないということ。

そんな言葉を使うこと自体、当事者意識に欠けてるからこそ出る言葉なんだと思う。
たとえ天災絡みなことでも。
可能性の芽を摘むことが、例えば今回の地震問題に関しては政府の責任でもあって、うちらにはうちらなりの、仕事に対する責任、不安要素を取り除くべく努力し続けるってことが責任を全うすることなんだと思う。
(今、地震問題に携わってる人達が努力してない、と言うわけでなくて、「万が一」って言葉を使う役人とかに対して抱いた違和感を言ってます)

ちょっとね、別にそれほど怒りとか湧いてるわけでもなく、「万が一」って言葉を考えるって感じで、深く考察したわけでもなく綴ってます。

主観では、【運命】=【結果】で、
【結果】は【過程】から紡がれる。

【過程】で予期しきれないことも確かにあるし、天災が絡むとそれもしょうがないけど、
「万が一にもありません」とか、もしその【万が一】が発生した場合、その時の【結果】を踏まえてない発言は、いささか無責任な印象を残すから、やめて欲しいなって想いを、綴ってみました。

【結果】は、無情な程に現実として伸し掛ってくるから。。


誰も、責めようとはしてないし、常にそんな心構えでいろなんて、人様には言えないけども。

なんか、【運命】をもやもやな感じで抱いてたくないから、人に任せず自分の力でもぎ取るくらいの意気込みで、人生を実りあるものにしたいから、【万が一】って使うことで現実に逃げたくない想いを刻みました♪


長い!

そして、

いまいちまとまってない!


ご免遊ばせ!